デジタル・ヘルスケア市場は世界的な規模で成長を続けています。健康管理のデジタル化は新たなサービスの創出や社会保障費(医療費)の抑制につながるため、ベンチャーを中心とした民間企業の参入が活発なだけではなく、国レベルでの振興や法整備(規制緩和)も進められています。また、アルゴリズムを含むセンシング技術の向上、ウェアラブル・デバイスを中心としたデジタル・ヘルスケア機器の高機能化と低価格化、スマートフォン・アプリやクラウドサービスの発展などが成長を後押ししていると言えるでしょう。
本稿ではデジタル・ヘルスケア機器における電源設計の重要性と、アナログ・デバイセズが開発したパワーマネジメント・ソリューションについて説明します。
ウェアラブル・デバイスに不可欠な低Iq電源
バイタルデータをモニターするシステムは2種類に大別できます。ひとつは、病院でよく見かける医療機器で、アナログ・デバイセズはこの分野で多くの実績があります。ただし市場の成長はそれほど大きく見込めません。
もうひとつの市場がウェアラブル・デバイスです。すでに多くの人がスマートウォッチやスマートリング(指輪)を装着していることからも、その成長度合いが分かります。また、COVID-19が蔓延した際、リモートでの健康管理に価値があることが明確に示されたように、ウェアラブル・デバイスはパーソナル分野だけでなく医療分野での活用も見込まれています。
ウェアラブル・デバイスの価値を決める重要なスペックが、バッテリの動作可能時間とデバイスの大きさです。大容量バッテリを搭載すれば解決しますが、デバイスのケースがぶ厚く大きくなってしまいます。つまり電源の設計を含めて、デバイス全体の消費電力をいかに抑えるかが製品の競争力につながるのです。
ウェアラブル・デバイスにて定常的なモニタリング動作を行う場合の典型的な動作概念図を図1に示します。消費電力は外部との通信の際にもっとも大きくなり、計測時も増加します。一方でスリープ・モード時の消費電力はわずかです。
しかし動作時間の大半をスリープ・モードで占めている場合、図1右の円グラフが示すように、スリープ・モード中の消費電力は積算で考えると決して無視できない大きさになるでしょう。
スリープ・モード時の電力を抑えるにはどうすればいいでしょうか。回路の待機時電流を抑える手段のひとつが、Iq(自己消費電流)の小さいパワーマネジメントICを採用することです。
ウェアラブル・デバイスに適した低Iqソリューションの一例が、2つの降圧レギュレータと3つのリニアレギュレータをシングル・パッケージに封止したMAX20335です(図2)。
降圧レギュレータは出力0.7V~2.275V/200mA(Iq=0.9µA)と出力0.7V~3.85V/200mA(Iq=1µA)、リニアレギュレータは、LDO1が出力0.8V~3.6V(Iq=0.6µA)、LDO2とLDO3は出力0.9V~4.0V(Iq=1µA)で、最大出力500mAのリチウムイオン・バッテリ用充電回路も内蔵しています。自己消費電流がµAオーダーに抑えられているので、バッテリ動作時間の延長が可能です。
アナログ・デバイセズでは、このほかにもさまざまな低Iqソリューションを取り揃えています(図3)。
電源のS/N比の改善もローパワー化に効果
次に、バイタルデータの計測において重要な性能指標のひとつであるS/N比(SNR)の観点で消費電力を考察してみましょう。
皮膚に照射したLED光の反射量から血流の脈動を検知する光電式容積脈波記録法(PPG:Photo Plethysmography)を用いて脈拍を計測する場合、ウェアラブル・デバイスの装着者が安静の状態にあれば、光学センサーは安定した信号を出力するため、LEDの駆動電流をある程度絞って光量を落としても問題なく計測できるはずです。たとえば電流を40mAとします。ここで、光学センサーのフロントエンドにおけるS/N比が高ければ、LEDの駆動電流をさらに35mAにまで絞り光量を落としても、血流の変化を正しく抽出できるでしょう。つまり、S/N比が高ければ消費電力の削減が図れ、バッテリを長持ちさせることが可能になるのです。
アナログ・フロントエンドのS/N比を高める方法としては、リップルノイズの多いスイッチング・レギュレータの後段にノイズの少ないリニアレギュレータを置いて電源を供給する方法が一般的に用いられます。しかし、スイッチング・レギュレータに比べ電源の変換効率が低いリニアレギュレータを使うこの方法では、デバイス全体の消費電力が増えてしまいます。
こうした課題を踏まえ、アナログ・デバイセズでは低Iqかつ低ノイズのスイッチング・レギュレータを使う方法をご提案します。
では、スイッチング・レギュレータからアナログ・フロントエンドに電源を直接供給した場合、実際のS/N比はどうなるでしょうか。リニアレギュレータのMAX1819を使ってS/N比120dBのアナログ・フロントエンドを駆動した場合と、低ノイズのスイッチング・レギュレータMAX20343を使って駆動した場合を評価してみました(図4)。結果は、MAX1819を使用した場合とMAX20343を使用した場合とで、アナログ・フロントエンドのS/N比にはほとんど差が見られませんでした。すなわち、MAX20343を使うことで、後段のリニアレギュレータを必要とせず、高い電力変換効率と高いS/N比を維持できることが確認できました。
また、低Iqの昇降圧レギュレータMAX20345を競合他社の同期整流昇圧コンバータと比較したところ、LED電流が15µAや32µAのとき、MAX20345のほうがS/N比において7dBほど高くなることも確認しています。
なお、低ノイズのリニアレギュレータによる電源供給においても、負荷電流の変化が大きい場合にリニアレギュレータの出力電圧が変動し、回路としてS/N比が悪化することがあります。2023年にリリースしたMAX20356はそうした課題に応えるソリューションで、単体LDOを上回る過渡応答性能を実現したLDOを内蔵しているのが特長です。2020年にリリースしたMAX20360の内蔵LDOに比べて、負荷変動に対して1~2dB程度のS/N比の改善が得られます。
システムのノイズを低減するもうひとつの方法を紹介します。ここまで紹介したパワーマネジメントICに組み込まれている降圧レギュレータは、一般的なPWM(パルス幅変調)ではなくPFM(パルス周波数変調)によって出力電圧を制御する方式を採用しています。そのため、負荷電流に応じてスイッチング周波数が変化します。
ここで、ウェアラブル・デバイスにGPS(GNSS)レシーバが搭載されていて、200mAを消費するとき、スイッチング周波数は2MHzに上昇すると仮定します。
ではスイッチング周波数2MHzで生じるスイッチング・ノイズがGPSレシーバ回路にとって好ましくない周波数帯であった場合に、どうすればいいでしょうか。
アダプティブ電流ピーク機能を備えているMAX20356は、レジスタへのプログラミングを通じてこの機能をオフにすると、図5で示す緑の線のような特性で電流の増加とともにスイッチング周波数は上昇を続けます。この場合、200mA出力に対応したスイッチング周波数は4MHzに上がるため、GPSレシーバ回路にとってセンシティブな帯域を回避することができるかもしれません。ピーク電流自体もレジスタからプログラミングできるため、スイッチング周波数がノイズ帯に作用しないように、システムに応じた使い方ができます。
DVSマイコンに対応した低遅延の電圧切り替え
アナログ・デバイセズのウェアラブル・デバイス用パワーマネジメントICのうち、MAX20345、MAX20356、およびMAX20360にはDVS(ダイナミック電圧・スケーリング)に対応した電圧制御機能が搭載されています。
DVSとは、アクティブ・モード、スリープ・モード、ディープスリープ・モード、バックアップ・モードといった動作モードに応じて異なる電圧を要求する機能です。アクティブ・モードでは電源回路に対して高めの電圧を要求し、スリープ・モードやディープスリープ・モードでは消費電力を抑えるために低めの電圧を要求します。
円滑かつ高速なモード遷移を実現するには、マイコンからの指示に従って速やかに出力電圧を制御できるパワーマネジメントICが必要です。MAX20360の場合、GPIOを経由して0.55V出力を1.1Vに高める指示を受けたときの応答速度は、降圧コンバータ3系統ともにわずか14µsと高速です。また、I2Cを経由して0.6V出力を1.0Vに高める指示を受けたときの応答速度は、I2Cのトランザクションを含めて59µsと高速で、モードの遷移に速やかに追従できます。
図1に示したような、アイドル、計測、送信といったシステムの動作に合わせて、マイコンの動作モードとコア電圧を小まめに調整してシステム全体の消費電力を抑えることで、バッテリ動作時間のさらなる延長が可能です。
このDVS機能は本来マイコン向けですが、これをLEDの駆動に応用して消費電力を抑えるテクニックを紹介します。
LEDは色(波長)によって順方向電圧(VF)が異なります。ウェアラブル・デバイスに使われるLEDの場合、緑色LEDのVFがもっとも高く、赤色LED、赤外線LED(IR LED)の順でVFは低くなります。もしもウェアラブル・デバイスのLED駆動回路をもっともVFの高い緑色LEDに合わせて設計したとすると、赤色LEDや赤外線LEDを駆動する場合でも緑色LEDと同じVFが印加されることを意味します。
ここで、DVSに対応したパワーマネジメントICをVLEDの生成に使うと、発光させるLEDに応じて最適な電圧に切り替えることが可能です(図6)。
赤色LEDと赤外線LEDを使ってSpO2(血中酸素飽和度)を計測するシーケンスを考えてみます。アルゴリズムとして、赤色LEDを4回発光させ、その後赤外線LEDを4回発光させる場合、それぞれのVLEDを適切な電圧まで下げられますので、VFがもっとも高い緑色LEDに対応したVLEDを単純に印加する場合に比べて、30%から50%程度の消費電力の節減が期待されます(図7)。
ヘルス・システム・プラットフォーム4.0を新たに提供
最後のセクションでは付帯的な情報を紹介します。
ウェアラブル・デバイス向けパワーマネジメントICの一部には、リチウムイオン・バッテリの残量を計測する機能が搭載されています(図3)。MAX14690、MAX14745、MAX20335、MAX20345、MAX14720、MAX14750、MAX20310にはバッテリセル電圧から残量を推定するもっとも単純なモニター方式が採用されています。MAX14676、MAX20303、MAX20353には同じく電圧のみで推定するModelGauge方式が採用されていますが、Monitorよりも高い推定精度を実現しています。
さらにMAX20356とMAX20360には、旧マキシムが開発した高精度な「ModelGauge m5 EZ」方式が採用されています。クーロン・カウンタ方式の精度とリニアリティ、セル電圧測定による安定性、および温度補償とを組み合わせたアルゴリズムで、低温などの環境でも高い精度が得られるのが特長です。パワーマネジメントICに統合されていますので、単体のModelGauge m5 EZソリューションMAX17055に比べて消費電力の増加はわずかです。
その他の付加機能としてMAX20303、MAX20353、およびMAX20360は(図3)偏心モーター(ERM)とリアクタ(LRA)の両方に対応したハプティック・ドライバを内蔵しています。また、太陽光でウェアラブル・デバイスを駆動するエナジー・ハーベスティング・ソリューションMAX20361も用意しています。1セルから3セルの太陽電池パネルに対応しています。
ドイツで開催されたelectronica 2022で出展したヘルス・システム・プラットフォーム4.0(HSP 4.0)(型番MAXREFDES106#)は、バイタルデータ・モニタリングの開発プラットフォームです(図8)。3 2 m m×5 2 m m の 本 体に、A r m Cortex-M4ベースのマイクロ・コントローラMAX32666、デジタル温度センサーMAX30210×2個、アナログ・フロントエンドMAX86178、3軸MEMS加速度センサーADXL367、アルゴリズム・ハブMAX32674C、パワーマネジメントIC MAX20356、および190mA/hのリチウムイオン・バッテリと64MBのフラッシュメモリが搭載されています。
計測できる項目は、心電図、脈拍、SpO2、呼吸数、ICG(インピーダンス・カーディオグラフィ)、生体電気インピーダンス、体温および環境温度です。回路図やアルゴリズムも提供されますので、お客様のウェアラブル・デバイスの開発にお役立てください。
以上、ウェアラブル・デバイス向けのパワーマネジメントICソリューションや設計のポイントを説明しました。小型化とバッテリ動作時間はウェアラブル・デバイスの市場競争力に大きく影響を与える要素であり、自己消費電流の削減、S/N比の向上、EMIノイズの抑制など、さまざまな課題を考慮しなければなりません。
アナログ・デバイセズはこれからも、ヘルスケアや医療機器を対象にしたパワーマネジメントICソリューションだけではなく、アナログ・フロントエンドなどのさらなるエンハンスを進めていきます。