はじめに
本稿では、まず地球低軌道(LEO:Low Earth Orbit)衛星の配備を後押している市場の主な動きについて説明します。次に、LEO衛星ならびに同衛星に対応するユーザ端末(UE)とはどのようなものなのか簡単に説明します。それを踏まえて、Ku/Kaバンドに対応する次世代UEを具現化する上で、なぜRF ICが重要な意味を持つのか詳しく解説します。
LEO衛星によるコネクティビティの提供
現在、衛星通信(Satcom:Satellite Communications)は、音声、映像、データの転送手段として広く利用されています。一般に、人工衛星の軌道は静止赤道軌道(GEO:Geostationary Equatorial Orbit)、地球中軌道(MEO:Medium Earth Orbit)、LEOの3つに分類されます。それぞれの軌道は、多種多様なユース・ケースで使用されています。衛星通信の具体的な利用例としては、ナビゲーション用のGPSが挙げられます。それ以外にも、天気の情報、テレビ放送、音声、データを通信するための有効な手段としても活用されています。更には、イメージングをはじめとする科学的な用途にも利用されています。ただ、衛星通信の分野には新たな波が押し寄せつつあります。来るべき高速インターネット接続の手段として大きな期待が寄せられているのです。実際、LEO衛星コンステレーションを利用すれば、低遅延、大容量のブロードバンド接続を実現できます。言い換えれば、次世代のインターネットを具現化するための通信技術として大いに注目を集めているのです。
現在は、5G対応のセルラ・システムが広く展開されようとしている状況にあります。そのなかで、LEO衛星は重要な役割を果たすことになります。実際、衛星をベースとするネットワークについては、3GPP(3rd Generation Partnership Project)による標準化活動との関わりが深くなってきています。将来のネットワークに向けて、衛星が、期待される役割を果たせるようにするための開発もかなり進んでいます。2017年には、3GPPにおいて、5Gベースのネットワークに衛星通信をベースとするネットワークを統合して活用するための活動が開始されました。3GPPの標準規格であるリリース15/16/17/18には、そのネットワーク統合をサポートするための活動の成果が盛り込まれました。LEO衛星を利用すれば、現在十分なサービスを受けられていない地域を含む広範なカバレッジを実現できます。また、LEO衛星は、移動中の人々に対して継続的にサービスを提供する手段にもなり得ます。更に、M2M(Machine to Machine)機器やIoT(Internet of Things)機器への接続にも利用可能です。このように、LEO衛星は、5Gにおける費用対効果の高いアップグレード・パスになり得ます。
次世代のLEO衛星システムは、地表から500km~2000kmの軌道を周回することになります。それらのシステムは、従来の衛星ベースのネットワークと比べて技術的に優れたソリューションを提供する存在になります。非常に地球に近い位置にあることから、低遅延の接続を提供できるようになるからです。このことは、オンライン・ゲームや、産業用/医療用機器のリアルタイム制御など、民生分野ならびにビジネス分野のユース・ケースにおいて重要な意味を持ちます。LEO衛星には、遅延を約50ミリ秒に抑えることが求められます(次世代の技術が適用されれば遅延は20ミリ秒以下に改善される予定です)。それに対し、GEOの場合、遅延は700ミリ秒にも達します。したがって、LEOに対する期待が高まるのは当然のことです。
LEO衛星の主な優位性はもう1つあります。それは、軌道が高い衛星と比べて放射線の被ばく量がはるかに少ないことです。これは、法外な費用を要することもある耐放射線テストの要件を緩和できるということを意味します。その結果、LEO衛星では製造コストが大幅に削減されます。つまりはスケール・メリットが得られるということです。放射線のレベルが低ければ、様々なプロセスで製造されたICを利用できます。したがって、コンポーネントの選択肢が大幅に増えることになります。
一方で、低い軌道を利用するということは、非常に多くの衛星を配備する必要があるということを意味します。そして、それらの衛星の平均寿命は従来と比べてはるかに短くなるはずです。おそらく、その年数は5~8年程度になるでしょう。その後、衛星は軌道から落下してしまうので、交換用の新たな衛星が必要になります。つまり、LEO衛星については、打ち上げならびに交換用の再打ち上げの費用対効果を高めなければなりません。
ビジネス分野では、LEO衛星を利用したブロードバンド接続が強く求められるようになる見込みです。そのため、上述したようなあらゆる動向は、業界に携わる人たちからの注目を集めています。1990年代のことを思い起こすと、いくつかの企業がそうしたインターネット・ベンチャーに注目していました。残念ながら、導入コストが高く、需要が限られていたことから、そうした事業は成功するまでには至りませんでした。しかし、当時と比べて現在の半導体技術は目覚ましい進化を遂げています。その結果、極めて高いレベルの性能と集積度が実現されるようになっています。より多くの地域や、十分なサービスを受けられない環境においても、高速、低遅延のインターネット接続に対する需要は急激に高まっています。また、衛星通信が5Gの標準技術として利用されるということは、将来のLEOコンステレーションに対しては、従来よりもはるかに優れた基盤が提供されるということを意味します。
本稿執筆の時点で、ダウンリンクのデータ転送速度としては最大100Mbpsを達成できると予想されています。また、将来的にはこの速度は150Mbpsに達する可能性があります。これであれば、マルチユーザに対するフルタイムのビデオ・ストリーミングに対しても理想的です。
但し、LEO衛星にも課題はあります。最も大きいのは、LEO衛星は常に移動し続けるというものです。最低限のサービスを提供できるようするためには、完全なコンステレーションの配備が必須の要件になります。軌道が低いことに起因して多くのLEO衛星が必要になることを考慮すると、初期費用は明らかに大きくなります。ただ、このことはLEO衛星の成功を妨げる要因にはならない見込みです。ビジネス分野のユース・ケースを想定すると、ユビキタスなレベルのカバレッジを提供することが必須です。このことは、投資家を強く後押しする要因になるのです。
LEO衛星をベースとする通信システム
LEO衛星を利用した通信システムは、図1に示すように、3つの主要なコンポーネントによって構成されます。
ユーザ端末/ユーザ装置
ユーザ端末/ユーザ装置(UE:User Equipment)は、ユーザと衛星を直接リンクする役割を果たします。通常は、低コストでセットアップが容易な家庭向け端末の形態で利用されます。ただ、海上で使用される無線機や、衛星通信を利用する移動型の無線機、軍用のマンパック無線機といった移動体端末として実現されることもあります。いずれにせよ、UEは集積度の高いICを活用することによって構築されます。それにより、BOM(部品表)の簡素化、コストの低減、小型化が図られます。
地上局/ゲートウェイ
通常、地上局/ゲートウェイはファイバを介して地上のサーバ(インターネット接続用のデータ・センター)に接続されます。それにより、衛星と地上のリンクが実現されます。地上局/ゲートウェイは、地球上の固定された場所に配備されます。
衛星
コンステレーションは、数多くの衛星から成ります。それらの衛星は軌道を周回し、端末/ゲートウェイの両方に対する同時リンクを実現します。
各LEO衛星は宇宙空間を移動し続けます。通常、1つの衛星は90分から110分の周期(軌道周期)で軌道を周回します。そのため、ユーザが1つの衛星に接続できる時間は最大20分程度になります。その衛星は、この時間だけ、そのユーザからの接続に対応できる範囲内に存在するということです。通常の運用が行われている場合、ユーザが通信を維持し続けるためには、複数の衛星に接続する必要があります。つまり、ユーザに対しては、接続が可能な範囲に入ってきた他の衛星に対するハンズオフ(引き渡し)の機能を提供しなければなりません。例えば、移動中の車内で携帯電話を使っている人は、セルラ・ネットワーク内のある基地局から別の基地局へハンズオフすることで通信を維持します。それと同じ機能を実現しなければならないということです。最も適切な衛星に対する最良のリンクを維持するためには、ビームの方向を制御する手法が必要です。その手法に対しては厳しい要件が課せられます。
続いて、もう1つの興味深い進化について触れておきます。それは、地上局が通信可能な範囲外に衛星システムが移動したときに運用を維持する方法です。図1の中央に示したように、悪天候が生じると地上局へのリンク速度に影響が及ぶ可能性があります。衛星では、従来からベント・パイプ方式が使われています。つまり、衛星は、常に地上または別の手段(航空機など)へのリンク経路を見いだし、次に地上局の対応範囲内に入る可能性がある、宇宙空間の別の衛星にホップバックする処理を行う必要があります。これについては、新たな手法が生み出されました。それは、宇宙空間で光またはV/Eバンドによる接続を使用する衛星間のリンクを利用することで、各衛星に対するリンクを実現するというものです。
UE用のアップ/ダウンコンバータの進化
UEには、より集積度の高いICが必要になります。この需要に対し、アナログ・デバイセズはプロセス技術の特性と集積化の手法を進化させることによって対応を図っています。求められるのは、フォーム・ファクタを最小限に抑えた無線端末を実現するための最高レベルの集積度です。また、消費電力を最小限に削減しつつ、UEにふさわしい最適なコストを実現しなければなりません。
アップ/ダウンコンバータ(UDC:Up/downconverter)は、UEの基盤になる機能です。これは、モデムのIF/ベースバンドの情報をKuバンドまたはKaバンドに直接変換する役割を果たします。
UDCをRF ICとして実現する場合、周波数カバレッジの目標は以下のようになります。
- Ku バンド:約 10.7GHz ~約 14.5GHz
- ダウンリンク(衛星から地上):10.7GHz ~ 12.7GHz
- アップリンク(地上から衛星):14GHz ~ 14.5GHz
- Ka バンド:約 18GHz ~約 31GHz
- ダウンリンク(衛星から地上):17.7GHz ~ 21GHz
- アップリンク(地上から衛星):27GHz ~ 31GHz
ご覧のように、ダウンリンクとアップリンクの周波数は異なっています。つまり、衛星とUEの間の通信には2つの異なる周波数帯域を使用することになります。したがって、RF ICのメーカーとしては、それぞれ異なる帯域を対象として各UE向けのアップコンバータとダウンコンバータを設計しなければなりません。
通常、UEのリンクは、アップリンクとダウンリンクに対して125MHz~250MHzのチャンネル帯域幅(BW)をカバーします。一方、ゲートウェイがカバーするのは250MHz~500MHzです。ただ、システムによってはUEとゲートウェイのリンクで帯域幅を共有する機能を備えています。その場合、チャンネル帯域幅は、運用する周波数帯で再構成することが可能です。
図1に示したように、LEO衛星は常に移動しています。一方、周波数のアップコンバートとダウンコンバートを実現するためには、UEのUDCが備える周波数シンセサイザが使用されます。このシンセサイザは、接続が中断しないようにするために高速なロックを実現する必要があります。また、このシンセサイザは、運用中に様々な衛星に対するUEの接続/再接続を実現する上でも重要な役割を果たします。なぜなら、運用帯域内(KaバンドとKuバンド)において、無線周波数は、ある衛星の周波数から別の衛星の周波数へと絶えず変化することになるからです。
アナログ・デバイセズは、KuバンドとKaバンドに対応するUDCの製品ファミリを開発しました。それらはUEを対象としたものであり、SWaP-C(サイズ、重量、電力、コスト)の問題を解決しています。そのための方策として、フィルタ、アンプ、アッテネータ、フェーズ・ロック・ループ/電圧制御発振器(PLL/VCO)、パワー・ディテクタなど、RF/IFに対応する多様なシグナル・コンディショニング回路を内蔵しています。いずれの製品も、UEのシグナル・チェーンに求められる性能を考慮し、目的に応じた形で設計されています。Kuバンドに対応するUDCとしては、「ADMV4630/ADMV4640」を提供しています。これらは、衛星通信用のモデム向けにIF対応のインターフェースを提供します。図2と図3は、各製品のブロック図と性能についてまとめたものです。
より周波数の高いKaバンド向けのUDCとしては、「ADMV4530/ADMV4540」を開発しました(図4、図5)。これらは、I/Qベースバンドのインターフェースを必要とする衛星通信用のモデムをサポートしています。なお、アップコンバータであるADMV4530はデュアルモードのデバイスであり、IFインターフェースも提供します。両製品はシリコン・ベースのICとして設計されており、最高レベルの集積度を実現しています。それにより、こうした大規模な端末アプリケーションで求められる厳しい要件に対応しています。
高性能端末向けのUDC
端末アプリケーションの中には、性能が重視され、サイズやコストに関する設計上の制約はさほど厳しくないものがあります。そうしたアプリケーションでは、ディスクリート構成のRF ICソリューションを採用することができます。つまり、個別のパッケージに収容されている複数のコンポーネントを組み合わせて使用するということです。その場合、MESFET、pHEMT、BiCMOS、CMOSなど、あらゆるプロセス技術を採用した製品を混在させることができます。言い換えれば、設計上のあらゆる要件に対して最適化を図ることが可能になります。また、ディスクリート構成の設計では、性能とサイズのトレードオフを様々な観点から行うことができます。つまり、設計プロセスにおいて最大限の柔軟性が得られます。結果として、より大きな出力パワーを提供し、より広い帯域幅をサポートする、より高性能の無線機を構築することが可能になります。また、レシーバーの感度を高め、ダイナミック・レンジを拡大し、スプリアス性能を向上させるといったことも実現できます。なお、地上局/ゲートウェイの設計についても、同様のソリューションを採用できます。ゲートウェイはサイズが大きいので、端末用のコンポーネントと同じレベルの集積度が求められるわけではありません。つまり、ゲートウェイでは、様々なプロセス技術を活用し、最適な性能が得られるソリューションを市場に投入するということが行われます。アナログ・デバイセズは、このようなユース・ケースに対応するために、ディスクリート構成のソリューションのポートフォリオも拡充し続けています。図6に、そうした高性能のソリューションの例を示しました。
電子制御アンテナによるUEの低コスト化
従来、UEの導入コストを低減するためには、次のようなことが行われていました。すなわち、プロの請負業者に機器の取り付けを委託し、衛星の位置を特定するために発生していた大きな設置コストを削減するというものです。それに向けて、通信リンクを処理するために必要なすべての電子デバイス(位相シフト用の素子、UDCなど)とアンテナは、単一の屋外ユニット(ODU:Outdoor Unit)に組み込まれていました。ODUは、屋外で空に向けて設置されるアンテナ・アレイだと表現することもできます。このODUには屋内ユニット(IDU:Indoor Unit)が接続され、有線/無線ルータのように使用されます。それにより、ユーザのPCや電話などに対するインターネット接続が提供されます。
先述したように、LEOコンステレーションは、地上に配備された端末の視野(通信が可能な範囲)の内外を移動する多くの衛星で構成されます。そのため、電子制御アンテナ(ESA:Electronic Steerable Antenna)を利用すれば、はるかに高い効率を得ることができます。ESAを使用すれば、衛星に対して送受信するエネルギー・ビームの方向を電子的に制御することが可能になります。つまり、高い指向性を実現することができます。その結果、衛星がUEの視野に出たり入ったりしても、ある衛星から別の衛星への切り替えをほぼ瞬時に行うことで最良のリンクを維持することが可能になります。実際、軌道の周期や、通常の運用中に接続する必要がある衛星の数を考慮すると、ESAはほぼ必須の要素だと言えます。
この課題に対処するために、アナログ・デバイセズはKuバンドに対応するビームフォーミングIC(BFIC)技術を開発しました。「ADMV4680」は、そのBFIC技術を採用して設計されたUE向けのシリコン・ベースのソリューションです(図7)。これを採用すれば、半二重チャンネルで信号のゲインと位相を独立した形で制御することが可能になります。特筆すべき点は、このICのサイズがわずか8.2mm2に抑えられていることです。
BFIC技術を採用すれば、無線機全体のコストを最小限に抑えることができます。その開発を支えているのは、システムとアレイに関する専門知識です。機械的な組み立てや、多数の積層レイヤを含むプリント回路基板の設計は、無線機のコストがかさむ要因になります。機械的な設計と基板の設計を考慮に入れてBFICを開発することにより、無線機全体としてのコストを最小限に抑えることが可能になります。アナログ・デバイセズは、基板設計を専門とする技術者を擁しています。そうして技術者がお客様との緊密な連携を図ることによって、上記の課題を解決しています。実際、システムにおけるトレードオフの検討結果を踏まえてICの設計と最終的な構成は完成します。
ESAを採用し、LEO衛星を追跡しつつリンクの速度を最適化することによって、セットアップの低コスト化が可能になります。通常、これはプラグ&プレイで行われます。ESAを採用し、より統合されたODUへの移行を図ることで、配備作業が大幅に簡素化され、システムのコストが低減されます。また、ESAを採用すればパネルの平坦化も可能になります。結果として、美観の面でも優れた設計が得られます。
注目すべきは、最高性能の端末アプリケーションの場合、可動式のパラボラ・アンテナが2つ使用されるという点です。その場合、コストと美観は主要な要因ではなく、全体的な性能が焦点になります。民生向けのソリューションやコストを重視する小企業向けのソリューションにおいても、ESAは有用な技術となります。ESAは、システム設計における目標を達成しつつ、無線機の低コスト化を実現するための非常に優れた解になります。
まとめ
LEO衛星によってインターネット接続を実現するというのは、新たに登場したエキサイティングなアプリケーション領域です。宇宙をめぐる競争に対しては、ほとんどの国の政府やインターネット・プロバイダが関心を示しています。現在、世界レベルで見ると、ネットワーク接続はより一層広まりつつある段階にあります。その動きは、3GPPの標準規格が更に強化されることでますます加速しています。LEO衛星は、宇宙から地方までを網羅する接続技術です。実際、5Gにおいて非常に重要な役割を果たすことになります。そうしたなか、UEで使われるRF ICには、より高い集積度が求められるようになっています。この要件に対応するのは容易なことではありません。アナログ・デバイセズは、この領域に向けたソリューションの開発とICのロードマップの策定を継続的に実施しています。
参考資料
Shkelzen Cajaj「The Parameters Comparison of the ‘Starlink’ LEO Satellites Constellation for Different Orbital Shells(様々な軌道殻に対応するLEO衛星コンステレーション「Starlink」のパラメータの比較)」Frontiers in Communications and Networks、Vol. 2、2021年5月
Tasneem Darwish、Gunes Karabulut Kurt、Halim Yanikomeroglu、 Michel Bellemare、Guillaume Lamontagne「LEO Satellites in 5G and Beyond Networks: A Review from a Standardization Perspective.(5G以降のネットワークにおけるLEO衛星:標準化の観点からのレビュー)」IEEE Access、Vol. 10、2022年3月
Brad Hall「Need More Bandwidth for the Ka Band? Here Are Three Options(Kaバンドの帯域幅に関する3つの選択肢)」Analog Devices、2017年11月
Yasmine King「商業衛星の新時代」Analog Devices