機械や装置を対象として、測定/制御/通信を行いたい――。このようなニーズは、産業革命の初期の時代から存在していました。最近の製造工場は、センサーやアクチュエータを利用した計測システムによって支えられています。この分野では、長きにわたり、4~20mAのアナログ電流信号を使って通信を実現するという方法が広く使われてきました。その場合、配線を介してデータや設定に関する情報を伝送するということが行われます。しかし、その種の計測システムは、そうした純粋なアナログ方式のものから、よりスマートな成熟したシステムへと移行しつつあります。多くの場合、通信機能については、HART®(Highway Addressable Remote Transducer)などのプロトコルを使用することで拡張が図られています。HARTは、周波数偏移変調(FSK:Frequency Shift Keying)を利用する通信方式です。この方式では、DC信号と周波数の低い電流信号を、より周波数の高い2つの独立した信号で変調します。0と1を表す一対の周波数信号を切り替えながら変調をかけることで、デジタルの情報を伝送します(図1)。
本稿では、システム設計者を支援することを目的とし、HARTの実装方法について詳しく説明します。また、いくつかのアプリケーションの例を示し、HARTに対応するICによってどのような効果が得られるのかを明らかにします。更に、HARTに対応するICの例として、アナログ・デバイセズの「AD5700」を紹介します。同ICは、小型かつ低消費電力であり、広い電源電圧範囲に対応します。これを使用すれば、HARTに準拠した完全なモデム(変調‐復調)機能を実現することができます。
HART通信とは?
上述した旧来のアナログ通信方式では、4mA~20mAを通常の範囲とする電流ループを使用します。その電流ループは、トランスミッタ、レシーバー、電源で構成されます。4~20mAの電流ループを使用するシステムは、リモートのキャリブレーション、フォルトの調査、プロセス変数のデータの送信といった機能を提供するものになるはずです。低消費電力のトランスミッタとレシーバーは、エラーの表示に必要なヘッドルームにもよりますが、4mA以下という最小限の電流で動作する必要があります。このような電流ループであれば、優れた信頼性と堅牢性を実現でき、長距離の通信においても環境からの干渉に対する高い耐性を発揮することが可能です。しかし、1つの電流ループでは単方向の通信しかサポートできません。つまり、センサーからの通信、またはアクチュエータに向けた通信のどちらかしか実現できないということです。加えて、1つのプロセス変数の値しか送信できないという重大な欠点も抱えています。
従来、4~20mAの電流ループを使用する計測器ではツイストペア・ケーブルが使われていました。HARTの規格が登場したことにより、同じケーブルを共有しつつ、デジタル通信機能を提供できるスマートなトランスミッタが開発されるようになりました。HARTでは、4~20mAのアナログ電流が、ピークtoピークが1mAのFSK信号によって変調されます。元の主要な変数の送信が妨げられることはなく、ループを適切に動作させるために設けられたヘッドルームが侵食されることもありません。HARTのプロトコルは、スマート・デバイスと制御/監視システムの間で、アナログ配線を介してデジタル情報を送受信するための世界的な標準規格となっています。
HARTに対応するモデムIC
「AD5700-1」は、完全な機能を備えるHART対応のモデムICです。同製品は、フィルタリング、信号の検出、変調、復調、信号の発生に必要なすべての機能を搭載しています(図2)。そのため、外付け部品の点数をかなり少なく抑えられます。パッケージはわずか4mm×4mmの24ピンLFCSPです。2V~5.5Vの単一電源によって、-40°C~125°Cという広い温度範囲で動作します。
送信パス
図2からは、変調に関連する主要な回路ブロックが見てとれます。FSK用のDDS(Direct Digital Synthesis)エンジン、スイッチド抵抗ストリング型のD/Aコンバータ(DAC)、バッファの3つです。これらによって変調器(送信パス)が構成されています。その入力となるデジタル・データは、UART(Universal Asynchronous Receiver/Transmitter)のインターフェースを介して引き渡されます。変調器は、RTS(Request to Send)をローに設定することによってイネーブルになります。TXDピンから入力された送信データは、UARTインターフェースによってエンコードされます。変調器は、エンコードされたHARTのデータのビット・ストリームを、1200Hz(1に相当)と2200Hz(0に相当)のトーンから成るバイナリ・シーケンスに変換します(図3)。その際、DDSエンジンは、いずれかの周波数の正弦波に対応するデジタル・ワードのストリームを生成します。それを受けたDACは、約493mVp-pのアナログ正弦波を生成します。この正弦波信号は、バッファを介してHART_OUTピンに出力されます。DDSエンジンは、本質的に連続位相の信号を生成します。つまり、周波数が切り替わるときに出力が不連続になることはありません。HART_OUTピンの前段に配置されたバッファは、駆動能力を高める役割を果たします。外付けのアナログ・バッファは必要ないので、それに伴う問題が解消されます。HART_OUTピンは、0.75VのDC電圧でバイアスされています。このピンは、負荷に対して容量結合する必要があります。詳細については、AD5700/AD5700-1のデータシートをご覧ください。
受信パス
続いて、受信パスについて説明します。RTSピンをハイに設定すると、変調器はディスエーブルになり、復調器がイネーブルになります。このとき、このモデムICは受信モードになっているということです。レシーバー側では、HART_INピンから入力されたFSKの変調信号を復調します。このモードに関連するブロックは、バンドパス・フィルタ、A/Dコンバータ(ADC)、DSPエンジンです。有効なキャリアが検出されたら、CD(Carrier Detect)ピンからはハイが出力されます。復調済みのデータは、UARTインターフェースのRXDピンを介してホスト・プロセッサに送られます。
AD5700の受信側のアーキテクチャは、過酷な産業環境におけるノイズや干渉に対して堅牢性を示すように構築されています。アナログ・フィルタとデジタル・フィルタを組み合わせることによって、優れた感度が実現されます。また、RXDピンからは非常に適切な出力が得られます。HARTのビット・ストリームは、UARTの標準的なフレーム構造に即して、スタート・ビット、8ビットのデータ、1ビットのパリティ・ビット、ストップ・ビットで構成されます。復調側については、AD5700が内蔵するフィルタ(HARTの信号をHART_INピンに入力)または外付けフィルタ(HARTの信号をADC_IPピンに入力)を使用できるようになっています。外付けフィルタを使用するモードを選択した場合、防爆環境や本質安全環境でAD5700を使用することが可能です。その場合、外付けフィルタでは、本質安全の要件に準拠する十分に低いレベルまで電流を制限するために、150kΩの抵抗を使用します。安全重視のアプリケーションでは、AD5700をループ電源の高い電圧から隔離する必要があるでしょう。そのようなケースについては、外付けフィルタの使用が推奨されます。外付けフィルタを使用するモードでは、高い過渡電圧に対する入力保護の機能が強化されます。そのため、最も過酷な産業環境でも、保護用の回路を追加する必要はないはずです。
その他のブロック
図2を見ると、上述した主要なブロック以外に3つのブロックが存在することがわかります。先ほど少し触れたUARTのインターフェース、リファレンス回路、発振器の3つです。RTSとTXDは、変調を行う際に重要な意味を持つ信号です。一方、復調を行う際にはCDとRXDが重要になります。AD5700のAVDDの値が2.7Vよりも高い場合には、外付けのリファレンス(2.5V)を使用できます。内蔵リファレンスと外付けのリファレンスのうちどちらを使用するかは、REF_ENピンによって決定します。また、クロックについては複数の構成をサポートしています。そのため、シンプル、低コスト、構成可能なソリューションを実現できます。AD5700では、外付けの水晶発振器、セラミック共振器、またはCMOSクロック入力を使用可能です。一方、AD5700-1は低消費電力で精度が0.5%の発振器を内蔵しています。このことから、AD5700-1では外付け回路を削減でき、トータルのコストを抑えられます。この種の発振器を内蔵するHART対応のモデムICは業界初です。このように、AD5700/AD5700-1は多数の機能を搭載しています。そのため、これらを採用すれば、HARTに対応するシステムの設計が大幅に簡素化されます。また、信頼性、堅牢性、費用対効果に優れるネットワーク接続ソリューションを構築することが可能です。
低消費電力のアプリケーションの例
本稿で取り上げているようなアプリケーションでは、消費電力を少なく抑えることが非常に重要な要件になります。ループによって給電される回路全体の消費電流を3.5mA未満に抑えなければならないからです。図4に、ループ内でHARTによる通信を行うアプリケーションの例を示しました。この例では、AD5700の評価用ボードを使用しています。そのボード上で、AD5700を「AD5421」と「ADuCM360」に接続しています。AD5421は、分解能が16ビット、シリアル入力のDACであり、4~20mAのアプリケーションでループ給電によって動作するように設計されています。一方のADuCM360は、マイクロコントローラを内蔵するデータ・アクイジション・システムICです。ループ給電型のトランスミッタ回路は、圧力(チャンネル0)と温度(チャンネル1)を測定する2つの共有データ・チャンネルに対応しています。
当然のことながら、この回路については十分な検証が行われています。また、HART Communication Foundationによるコンプライアンス・テストに合格しており、認定を受けたHARTソリューションとして登録されています。登録の詳細については、HART Communication Foundationのウェブサイトをご覧ください。
4~20mAのループによって給電するアプリケーションで最も重要な要件は、回路全体の消費電流を3.5mA未満に抑えることです。3.5mAというのは、信号の下限値である4mAよりも0.5mA少ない下限警告値に相当します。そこで重要になるのが、AD5700の消費電力です。AD5700では、わずかな量であっても電流を無駄に消費することは許されません。回路で使用している全ICの消費電流は、十分に少なく抑える必要があります。3.5mAという上限値を超えないようにすれば、この回路によって求められる機能を実現できます。AD5700の送信電流と受信電流はそれぞれ124μA、86μAです(公称値)。最大値は、それぞれ140μA、115μAと規定されています。つまり、許容可能なトータルの消費電流に占める割合は非常に低く抑えられます。
まとめ
AD5700は、業界で最も消費電力の少ないHART対応のモデムICです。アナログ・デバイセズは、同ICだけでなく、完全な機能を備えるHART向けソリューションを構築するために必要なあらゆる製品を提供しています。その例としては、マイクロコントローラ、アンプ、高精度のリファレンス、スイッチ、ADC、電流出力型のDACなどが挙げられます。また、AD5700はいくつかのIC製品と簡単に接続できるように設計されています。ループ給電型のトランスミッタの例で使用していたAD5421はその1つです。それ以外のものとしては、分解能が16ビットの電圧/電流源出力型DAC「AD5422」があります。これは、フィールド計測器やアナログI/Oカードに適した製品です。あるいは、分解能が16ビットのクワッドDAC「AD5755-1」にも簡単に接続できます。AD5755-1は、マルチチャンネルのアプリケーションを対象とした革新的な動的消費電力制御技術を採用しています。これら以外にも、シグナル・チェーンを構成するために簡単に組み合わせられるように設計された各種製品も提供しています。それらをAD5700/AD5700-1と組み合わせれば、システム設計が簡素化されます。加えて、システムの信頼性が高まります。つまり、HARTに準拠する堅牢なシステムを迅速かつ容易に実装できるということです。
I invite you to comment on HART Modems in the Analog Dialogue Community on EngineerZone.
AD5700は、HARTに対応するシングルチップのモデムICです。この製品は、スマート・フィールド計測器のデモ用ソリューションの構成要素として、HART Communication Foundationに登録されています。AD5700を使用すれば、HARTのプロトコルに準拠するモデムを迅速かつ容易に実装できます。そのモデムは、必要な機能をすべて備えつつ、業界で最も消費電力の少ないものになるはずです。信頼性の高い通信インターフェースが実現され、ノイズの多い過酷な産業環境でも、HARTに対応する通信信号を正確にエンコーディング/デコーディングすることが可能になります。そのモデムも、HART Communication Foundationに登録することができます。AD5700を採用すれば、競合他社のソリューションを使用する場合と比べて、外付け部品を60%削減し、基板上の実装面積を75%以上縮小することが可能になります。