概要
優れた性能のRF回路を実現するのは容易なことではありません。「黒魔術でも使わなければ完成しない」と言われることもあるほどです。その難しさを実感していただける例として、本稿では当社が航空宇宙市場向けの低ノイズ・アンプ(LNA)を開発している際に直面した課題を紹介します。そのLNAは、18GHz~31GHzに対応する「ADH519S」という製品です。この製品のダイは、もともと航空宇宙の用途に向けて開発されたものでした。ただ、これまではLC4パッケージに実装して民生/産業分野向けに販売されていました。当社では、この製品をMIL-PRF-38535規格に適合させ、航空宇宙など、高い信頼性が求められる市場向けに提供しようと考えました。それに向けて、そうした市場向けの製品に最適なものとして、ハーメチック・シールを適用したセラミック・パッケージを採用することにしました。この開発作業を通して、当社は、ボンディング・ワイヤによってRF性能を高める独自のソリューションを生み出すことができました。また、その開発プロセスにおいては、次のような課題があることを把握できました。
- 当社は、入手可能なものの中で最適な、ハーメチック・シールを適用したセラミック・パッケージを選択しました。しかし、このパッケージでは、LC4 パッケージにダイを実装した場合と比べてキャビティ(空洞)が大きくなることがわかりました。そのため、ボンディング・ワイヤの長さを 2 倍にしなければなりませんでした。このような長いワイヤとパッケージの寄生成分が組み合わせられると、デバイスに不安定性が生じる可能性が浮上します。
- 仮に不安定性が生じなかったとしても、長いボンディング・ワイヤの寄生成分によって、S パラメータが悪化する可能性があります。
本稿では、これらの課題を克服するために適用した様々な手法について説明します。特に、この新たなセラミック・パッケージを使いつつ、優れた安定性とノイズ指数を実現した方法について詳しく解説します。
性能の改善、評価に向けたアプローチ
18GHz~31GHzの周波数範囲で優れた安定性とノイズ指数を得るためには、様々な工夫が必要になりました。詳細は後述しますが、結果としては、0dBのパッシブ・アッテネータをパッケージ内に実装し、RF入出力のボンディング・ワイヤを短縮するという手法を適用することになりました。
設計の段階では4種の回路を構成し、LNAの重要なパラメータを比較しました。比較の対象にしたのは、安定性、Sパラメータ、ノイズ指数などです。安定性を測定/比較するためには、以下に示す安定度係数μを使用しました。
この係数μの値が大きいほど、デバイスはより安定しているということになります。
設計1
続いて、4種のLNAの設計内容について説明します。設計1では、LNAのダイを単にパッケージの中心に配置し、丸線のワイヤを使ってダブル・ボンディングの手法で接続を行います。この設計では、規定の動作周波数の範囲においてμは(一部の周波数では1に近くなったものの)1未満になりました。その原因は、パッケージの寄生成分とボンディング・ワイヤにあります。周波数範囲全体で安定性を得るためには、入力リターン・ロス(S11)を改善しなければなりません。それには、LNAの入力における寄生成分を低減する必要があります。この結果に基づいて、2つ目の設計を試みました。
設計2
安定性を高めるために、LNAの入力部に減衰量が0dBのアッテネータを追加しました。それにより、入力部におけるマッチングが改善し、S11が高まりました。同時に、ボンディング・ワイヤを短縮することが可能になり、寄生成分も低減できました。目論見どおり、S11は改善することができました。しかし、アッテネータで使用する受動部品の電流ノイズと熱ノイズが原因で、ノイズ指数の仕様を満足することができませんでした。そこで、ノイズ指数を改善するために設計3、設計4を試すことにしました。
設計3、設計4
設計3と設計4では、LNAのダイの出力部にアッテネータを配置しました。それにより、ノイズ指数を改善することができました。カスケード接続した回路のノイズ指数は、フリスの方程式によって表されます。それに基づけば、初段の回路がトータルのノイズに最も大きく寄与します。そして、2段目以降の回路のノイズは各段単体のノイズを前段のゲインで割った値になります。そのため、入力ノイズの影響はそれほど増大することはありません。設計3、設計4の構成では、トータルのノイズ指数は次式のようになります。
ここで、FTはトータルのノイズ指数、FLNAはLNAのノイズ指数、FATTNはアッテネータのノイズ指数、GLNAはLNAのゲインです。なお、アンプの後段に配置されたアッテネータの受動部品によって、ゲインの低下に関するトレードオフが発生する可能性があります。
設計3では、RF入出力の部分のボンディングだけでなく、LNAとアッテネータのダイ間のボンディングにもリボン・ワイヤを使用しました。一方、設計4では、両ダイの接続に、丸線のワイヤによるダブル・ボンディングを適用しました。リボン・ワイヤと丸線のダブル・ワイヤを使用した2種類のボンディング方法については、事前にシミュレーションを実施しました(Keysight Technologiesの「ADS」を使用)。すると、ダイ間のボンディングにリボン・ワイヤを使用しても、入力リターン・ロスとゲインはわずかしか改善しないという結果になりました。
ボンディング方法の違いによる性能の差
続いて、各設計に対応したデバイスを実際に組み立てて評価を実施しました。以下、各設計の比較結果について説明します。なお、評価の最初の段階で、設計1については検討の対象から外すことにしました。シミュレーションによって、設計1は最も安定性に欠けるということが判明していたからです。
設計2と設計3/設計4の比較結果
出力部にアッテネータを付加すると、インピーダンス・マッチングが改善し、信号の反射が最小限に抑えられます。つまり、出力リターン・ロス(S22)が改善されるということです。トレードオフによるゲインの低下は低い周波数で顕著になると想定していました。実際には、22GHzより高い周波数では、ゲイン応答(S21)はほぼ同等でした。しかも、設計2の1つのサンプルでは、より優れた結果が得られました。ただ、これは個体間のばらつきによるものだと言えます。
設計3と設計4の比較
リボン・ワイヤと丸線のダブル・ワイヤを適用したサンプルを比較したところ、リボン・ワイヤを適用したサンプルの方が周波数範囲の全体で性能が優れていました。つまり、設計3の方が良好な性能が得られるということです。その理由は、リボン・ワイヤの方が表皮効果とクロストークが少ないことにあります。リボン・ワイヤでは、断面積と比べて表面積が大きく、抵抗が小さくなります。その結果、電力効率が高くなります。評価結果からは、リボン・ワイヤを適用したサンプルの方がゲイン性能がわずかに優れていました。入力リターン・ロスはほぼ等しいか無視できる程度の改善にとどまっていました。出力リターン・ロスは、丸線のダブル・ワイヤを適用したサンプルよりも、リボン・ワイヤを適用したサンプルの方が大幅に改善されていました。
LNAの性能プロット
図1~図4に、設計2、設計3、設計4に対応するサンプル(各2個)のSパラメータを評価した結果を示しました。各データは、パッケージングされた状態のデバイスをプロービングすることで取得しました。
また、図5に示すノイズ指数のデータは、評価用ボードを使用して測定したものです。
図1. 入力リターン・ロスの評価結果
図2. 出力リターン・ロスの評価結果
図3. ゲインの評価結果
図4. 安定性の評価結果
図5. ノイズ指数の評価結果。25°Cの条件で評価しました。
まとめ
RF回路の設計は、予測可能な一連の物理法則にのっとって行うべきものです。決して「黒魔術」に頼ってはなりません。
ここまでに示した評価結果を基に、LNAに関する課題の解決方法を以下にまとめます。
- LNA では、寄生成分の影響によりマッチング性能とリターン・ロス性能が低下します。この問題は、パッケージのキャビティにアッテネータを実装することで大幅に改善されます。それにより、寄生成分を低減できるからです。但し、以下のトレードオフについて考慮する必要があります。
- 入力部のアッテネータ:ノイズ指数が劣化
- 出力部のアッテネータ:ゲインが低下。
- 慎重に検討を重ねて、パッケージに巧妙にアッテネータを配置すれば、寄生成分を低減できます。その結果、S パラメータも改善することが可能になります。S パラメータを使用すれば、安定性の指標となるμを求められます。一般に、この係数は周波数範囲全体において無条件に安定性を高めたい場合に役立ちます。
- 非常に高い周波数(3GHz < SHF < 30GHz)における動作については、丸線のワイヤではなく、リボン・ワイヤによるボンディングを適用した方が高い性能が得られます。これについてのトレードオフとしては、組み立てが複雑になることが挙げられます。したがって、製造の可能性について検討する必要があります。
ここで注意すべき重要なことは、これらの結果は、RFに関する基本的な法則や公式によって予測できていた可能性があるということです。なお、筆者らは、何種類ものデバイスを組み立てる前に、2種類のダイの配置方法と様々なボンディング方法について、ADSと「Genesys」によるシミュレーションを実行しました。実験によって得た評価結果と比較することにより、シミュレーションの妥当性も確認することができました。