概要
現在の商用車には、様々なワイヤレス接続技術に対応するアーキテクチャが適用されています。そのアーキテクチャは、レベル2までの自動運転車にとっては適したものだと言えるのかもしれません。しかし、レベル3以上の要件を満たせるのかということについては疑問が残ります。そこで、本稿では、将来の自動運転車に対応可能なワイヤレス接続用のアーキテクチャを紹介することにします。そのアーキテクチャは、ソフトウェア無線(SDR:Software Defined Radio)を適用したRRH(Remote Radio Head)という概念に基づいています。この新たなアーキテクチャによって、2つのメリットが得られます。1つは、将来のユース・ケースに求められる性能上の要件を満たすことができるというものです。もう1つは、特定のサービスを実現するために複数のワイヤレス・アクセス技術を容易に利用できるようにすることで、信頼性を高められるというものです。また、本稿では、そのアーキテクチャによって、2つの異なるワイヤレス・アクセス技術をどのように実装できるようになるのかを示す例を紹介します。このアーキテクチャでは、ソフトウェア化によって得られる効果を最大限に活用します。このアプローチは、車載向けコンピューティング技術の方向性に合致したものだと言えます。
はじめに
本稿では、進化を続けるコネクテッド・カーに適用されるワイヤレス接続用のアーキテクチャに焦点を絞ります。解説を進める上では、ワイヤレス接続に関連するサービスの例を取り上げて、その概要を示します。そうしたサービスのほとんどは、双方向の通信機能を備えています。また、主にサービスの信頼性と品質を確保するために、複数またはハイブリッド型のワイヤレス通信規格や複数の周波数帯を利用しています。複数の規格と複数のバンドに対応するワイヤレス接続用のシステムを設計するのは、非常に難易度の高い作業です。本稿では、RF領域の従来のアプローチに即して車載向けの無線接続ユニットを設計する際に直面する課題について説明します。そうすると、サービスの種類によっては、無線性能などの面で従来のアプローチは最適ではないという事実が浮かび上がってきます。従来のRF設計手法の欠点を把握した結果として誕生したのが、無線接続ユニット用の新たなアーキテクチャです。このアーキテクチャは、RRHの概念に基づいています。筆者らは「5GとDSRCの連携により、自動運転車向けのV2Xを構築する」1という記事において、サブ6GHz/マルチバンドに対応し、SDRを実現可能な4チャンネルのトランシーバーIC「ADRV9026」を紹介しました。本稿では、この記事を更に発展させ、RRHの概念とSDRに対応する単一のトランシーバーICを使用することで、V2X(Vehicle to Everything)を実現するデュアルバンドの接続ユニットを構築する例を紹介します。この接続ユニットの特徴は、5GとDSRC(Dedicated Short Range Communication:専用狭域通信)という2つの技術に対応することです。また、このユニットであれば、無線性能を高めるだけではなく、V2Xのワイヤレス・アクセスを実現するための高度な協調/連携用アルゴリズムを実装することが可能になります。
コネクテッド・カー向けのワイヤレス技術
インフォテインメント、ナビゲーション、通信、放送など、最新の車両が提供するサービスにはワイヤレス・アクセス・システムが必要です。その種のシステムで使用されるRF周波数帯は非常に広範にわたり、90MHz(ラジオ放送)から5.9GHz(V2X、Wi-Fi)までに達しています。また、将来のシステムでは、ミリ波(5Gのミリ波、24GHz~29GHzなど)に相当する周波数もターゲットになります。図1に示すように、各種のサービスを提供するためには、何種類ものワイヤレス・システムを用意する必要があります。
現在市場に提供されている無線接続ユニットは、アプリケーション空間とそれぞれのワイヤレス・システムの間のインターフェースを提供します。ワイヤレス・システムとしては、以下に示すような種類のものが使用されます。
- GNSS/GPS:GNSS(Global Navigation Satellite System)やその一種である GPS(Global Positioning System)は、位置情報や位置情報に関連するサービスを提供します。よく使用されるのは、他のワイヤレス・システムにおいて同期を確立できるようにするためのサービスです。複数の地域で異なる規格が定められており、1176MHz ~ 1602MHz の周波数が割り当てられています。
- 2G/3G/4G/5G のセルラ:テレマティックス、インフォテインメント、OTA(Over the Air)のアップデート、V2X の通信など、音声とデータのサービスに使用します。300MHz ~5.9GHz の範囲で膨大な数のバンドとチャンネルが使われています。
- Wi-Fi:OTA のアップデート、診断、データのダウンロードなどのアプリケーションに対応します。地域が異なれば、内部/外部での使用に対して異なるバンドとチャンネルが割り当てられます。最も一般的なのは、2.4GHz 帯と5.8GHz 帯のチャンネルです。日本では、一部のチャンネルが 5GHz 帯に割り当てられています。
- ITS-G5/DSRC:V2X の通信向けには、世界のほとんどの地域で 5.9GHz の周波数帯、70MHz の帯域幅が割り当てられています。
- ラジオ放送:90MHz ~ 240MHz の周波数が使われます。地域によってチャンネルとバンドが異なります。なお、放送システムに無線接続ユニットで対応することも可能ですが、通常は双方向の通信システムとは別に実装されます。
複雑なRFシステムの旧来の実装
各種のワイヤレス・システムを搭載することにより、車両はあたかも車輪を備えたスマートフォンであるかのように進化しています。しかし、機能の実装という面では、スマートフォンと車両のUE(User Equipment)には大きな違いがあります。ここでは、商用車に実装される4Gのセルラ・システムのアーキテクチャについて考えてみます。図2(a)では、車両のボディの外側(通常はルーフトップ)に、4Gの広い周波数帯をカバーするアンテナが取り付けられています。このアンテナは、信号の伝送に用いる同軸ケーブルに接続されています。このケーブルは、車両のボディを通って4Gのモジュールをホストする制御ユニットに接続されます。
ここで、レシーバーのRFパスに配置されるRFフロント・エンド(以下、RFFE)に注目してみましょう。この部分では、帯域制限のためのフィルタ処理を行った後、ノイズ指数(NF:Noise Figure)が非常に低くゲインが高い低ノイズ・アンプ(LNA)により、入力されたRF信号を増幅する処理が行われます(システムによっては増幅段が複数使用されます)。このRF信号には、ケーブルによって誘起されるノイズが付加されています。次に、増幅された信号がベースバンドと上位層の処理のために4Gのモジュールに伝送されます。同モジュールでは4Gのプロトコル・スタックによる処理が行われ、得られたデータがアプリケーション・プロセッサに送られます。このアーキテクチャについて単純なRF解析を行うと、シグナル・チェーン全体のノイズ性能が非常に低いことがわかります。同軸ケーブルのNFはLNAより高く、信号の損失は周波数とケーブル長に比例します。ノイズについてカスケード解析を実施すると、シグナル・チェーン全体のNFは最初のコンポーネントのNFによって大きくなりすぎることがわかります。つまり、ケーブルのNFが問題になるということです。性能の高いLNAを適用しても、この問題を解決することはできません。通常、ケーブルとしてはコストの削減と軽量化のためにより軽いものが使用されます。残念ながら、この選択が問題を悪化させます。システムのノイズ性能は、RFFEのコンポーネントをアンテナの近くに配置することによってある程度向上します。それでも同軸ケーブルの影響はシステムに残存することになります。
トランスミッタ側では、信号を送信する前に適切に増幅を行う必要があります。こちらのパスについての詳細な説明は割愛します。ただ、セルラ・ネットワークに接続される送信側のデバイスについては、ネットワーク事業者の承認を得なければならないということを強調しておきます。つまり、受信側、送信側共に、RF信号のパスは適切に設計する必要があるということです。
図2(b)は、セルラ以外のワイヤレス・システムがどのように実装されるのかを示したものです。この図を見れば、各システムに対応するアンテナを接続するために、多くの同軸ケーブルが使用されるということがわかります。また、各システムでどれほどの信号損失(dBm単位の減衰量)が発生するのかということも、容易に想像できるでしょう。それらの損失は、単一のシステムで複数のアンテナを使用する場合には急増します。加えて、複数のアンテナの信号の間で同期をとったり、それらを同軸ケーブルで伝送したりするのは容易なことではありません。更に、ミリ波(24GHz~29GHz)を使用する5Gでは、同軸ケーブルにおける信号損失がサブ6GHzを使用する場合と比べてより大きくなります。
ワイヤレス接続に用いるRRHのアーキテクチャ
RRHの概念は、既に確立されています。実際、同軸ケーブルによって生じる問題を解決するために、基地局では広く使用されています。その戦略の柱は、RF信号を伝送するのではなく、デジタル信号を伝送するようにシステムを構成するというものです。この目的に向けて、RFFEとトランシーバーIC(RF IC)はアンテナの近くに配置されます。その上で、アナログのRF信号はデジタルのI/Qデータに変換され、高速デジタル・データ・リンクによって伝送されます。デジタル・データに対する後続の処理は、ベースバンド処理用のリソースを使って実施されます。アナログ・デバイセズは、このRRHと似たアーキテクチャを車両に適用することを提案しています。図3に示したのが、その概要です。ご覧のように、同軸ケーブルが高速デジタル・リンクに置き換えられています。また、アナログ・デバイセズは、RF信号をI/Qのデジタル信号に変換するために、RF信号をビット・データ(デジタル・データ)に、あるいはその逆に変換することが可能なトランシーバーICを採用することを提案しています。得られたビット・データは、デジタル・リンク(ギガビット・イーサネットなど)によってトランシーバーICとベースバンド・プロセッサの間でやり取りされます。同プロセッサによる処理を経て、得られたデータはアプリケーション・プロセッサに引き渡されます。これらのプロセッサは、無線接続ユニットあるいは集中型のコンピューティング・プラットフォームの形で提供されます。現在の自動車では、演算リソースと集中型コンピューティングに関する動きが急加速しています2。そのため、このアーキテクチャに徐々に移行するのは、将来の車両に適用されるコンピューティング・アーキテクチャにマッチしていると言えます。
RF信号からビット・データへの変換機能だけをアンテナの近くに配置することには、2つの長所があると言えるでしょう。1つは、スペースと電力が既に問題になっているアンテナの近くに配置する必要があるのは、RF信号の損失を避けるための最小限の変換部だけで済むということです。もう1つは、デジタル高速リンクにおいてデータ・レートに関する要件が緩和されることです。
RRHとSDRをベースとしたV2Xの実
マルチバンドに対応するトランシーバーICとRRHを組み合わせれば、RRHのアーキテクチャの長所を強化することができます。V2Xの通信サービスは、この組み合わせを活用できる良い例だと言えます。V2Xのサービスは、2つの異なるワイヤレス・アクセス技術をベースとして構築することができます(「5GとDSRCの連携により、自動運転車向けのV2Xを構築する」を参照)。1つは、DSRC/ITS-G5(IEEE 802.11p)をベースとした技術です。もう1つは、4G(LTE)や5Gなどのセルラ技術をベースとした技術(C-V2X:Cellular V2X)です。両技術を協調/連携させて使用することにより、求められる信頼性と安全性を保証することが可能になります。トランシーバーICとしてADRV9026を採用すれば、この1つのICをベースとしてマルチバンド対応のV2Xシステムを設計することができます。具体的には、RRHにADRV9026を組み込んで、ルーフトップのアンテナ・ボックスに配置することが可能になります(図4)。ADRV9026は、送信用、受信用に、それぞれ4つのメイン・チャンネルを備えています。ベースバンド・プロセッサに対しては、最大4系統の独立したデジタル・データパスを設けることが可能です。また、同ICは先進的なアーキテクチャの局部発振回路を内蔵しています。それにより、6GHz未満の複数の周波数帯を同時に使って送受信が行えるようになっています。V2Xのワイヤレス・アクセス管理(WAM:Wireless Access Management)機能を使えば、(世界のほとんどの地域で)V2Xに割り当てられている5.9GHz帯/70MHz幅の周波数資源を、2種類のワイヤレス・アクセス技術によって実現されるサービスで効率的に共有することができます。
アナログ・デバイセズは、将来の動向に鑑みると、車両において集中型の計算リソースを利用できると考えています(図4)。つまり、ベースバンド処理、モデムのプロトコル・スタック、アプリケーション処理は、集中型のプラットフォームに実装できるということです。ADRV9026の場合、シリアル・データの送受信についてはJESD204B/JESD204Cのプロトコルに準拠しています3。市販のケーブルを使用することにより、10Gbpsのデータ・レートで最長1mまでの伝送に対応することができます4。より高い柔軟性、より高いデータ・レートが必要な場合には、任意のプロセッシング用ハードウェアを使用し、JESD204B/JESD204Cに対応するシリアル・データをギガビット・イーサネットやPCI Express(PCIe)向けのフォーマットに変換することで対応可能です。
図4の構成では、DSRC、5Gを利用したV2X向けに、それぞれ2つの送信チャンネルと2つの受信チャンネルを割り当てています。C-V2Xのサービスを含めて、5Gによる通信には2つのチャンネルを使用することができます。それにより、2×2のMIMO(Multiple Input Multiple Output)の機能を実装することも可能です。現在使われているアーキテクチャとは異なり、集中型のコンピューティング・プラットフォームには、それぞれのワイヤレス規格に対応するモデム機能(ソフトウェア)を実装する必要があります。つまり、それぞれのワイヤレス規格に対応するI/Qデータは、それぞれのモデムによって処理されます。アナログ・デバイセズとしては、現世代のシステムにこのような変更を加えるのは困難だと考えています。しかし、ソフトウェア化と仮想化を進めれば、このような構成も実現可能になるはずです5。
まとめ
本稿では、現状の分析として、車両でワイヤレス接続を実現するために使われているアーキテクチャについての説明を行いました。そのアーキテクチャでは、各種のワイヤレス・システムが、アンテナ、ケーブル、RF処理用のハードウェア、ソフトウェア処理用のハードウェアを組み合わせて個別に実装されています。また、定性的な分析に基づけば、旧来のアーキテクチャではサービスの性能に対して悪影響が及ぶことがわかっています。そこで、アナログ・デバイセズは、車両におけるワイヤレス接続向けの新たなアーキテクチャを提案しました。そのアーキテクチャでは、RRHの概念とデュアルバンド対応のトランシーバーICを組み合わせて使用します。それによって、以下に示すような様々なメリットが得られると見込んでいます。
- 同軸ケーブルの使用量を削減でき、RF 性能と無線リンクの信頼性が高まる
- 将来の車両で使われるソフトウェア・アーキテクチャに即している
- ソフトウェアのアップデートによって新たな機能を管理可能
- 単一のトランシーバー IC によって複数の規格に対応できる
- サービスの品質保証に向けた管理を強化することが可能
- 複数のワイヤレス規格を利用するサービスにおいて、より適切な協調を実現できる
- 将来の車両において、ミリ波対応の 5G のような新たなワイヤレス規格に即した実装が行える
このようなアプローチにより、(自動運転機能に必要なレベルまで)性能を高められるだけでなく、共通のハードウェアをベースとして複数のワイヤレス・システムを実装することが可能になります。V2Xのサービスは、信頼性の高いワイヤレス接続が求められる隊列走行や遠隔操縦走行といった自動運転のユース・ケースに不可欠です。本稿で紹介したアーキテクチャの長所を活かせば、そうしたサービスを実現することが可能になるでしょう。