高い精度が求められるアナログ回路の設計においても、D/A コンバータ(DAC)や A/D コンバータ(ADC)の給電用に、何の変哲もない電圧リファレンス IC( 以下、リファレンス) が使用されることがよくあります。ただ、これはリファレンスの使い方として適切だとは言えません。リファレンスの本来の目的は、現実の電源、つまりはパワー・コンバータのリファレンス入力に、ノイズが小さく精度の高い電圧を安定して供給することです。実際、少し注意を払えば、リファレンスを使うことで、ほぼ確実に高精度な電圧をパワー・コンバータのリファレンス入力に供給することができます。そのこともあってか、より多くの電流を要するアプリケーションの給電にもリファレンスを使おうとする設計者は少なくありません。実際、パワー・コンバータの給電に使用できるのであれば、アナログ・シグナル・チェーンや ADC/DAC、それ以外の何らかのアナログ部品の給電にもリファレンスを使用できるはずです。
アプリケーションの種類を問わず、電源の設計を行う際には、精度と出力電力のうちどちらを優先するかという選択を迫られるケースが少なくありません。最も単純な判断方法は、精度が求められるならばリファレンスを使い、数 mW の出力電力が求められるならば LDO(低ドロップアウト)レギュレータを使用するというものになります。仮に精度と出力電力の両方が必要になるならば、公称電圧が同じであっても信号を個別にルーティングしなければならないこともあり、基板の面積とコストの問題が増大することになります。また、高精度の電圧源によって数 mW の電力を供給する必要がある場合、リファレンスにバッファを付加することも必須になります。アナログ・デバイセズの「LT6658」は、ノイズが小さく精度の高い 2 つの出力によってこれらの問題を解決します。計 200 mA までの出力電流に対応可能であり、リファレンスとしては世界最高レベルの仕様を実現しています。
レギュレータと同等のレベルにドリフトを抑えた高精度のリファレンス
LT6658 は、高精度、低ノイズ、低ドリフトのリファレンスです。精度の面では一般的なリファレンスと同等のレベル、出力電力の面では一般的なリニア・レギュレータと同等のレベルの性能を兼ね備えています。アナログ・デバイセズの Refulator™ 技術によって、両者の特徴を融合しています。温度ドリフトは 10 ppm/°C、初期精度は 0.05 %で、2 つの出力はそれぞれ 150 mA と 50 mA のソース電流に対応します。アクティブ・シンク電流はいずれも20 mA です。また、負荷レギュレーションは、0.1 ppm/mA という高い精度を実現します。さらに、ライン・レギュレーションは、入力電圧を供給するピンが共通の電源に接続されている場合で 1.4 ppm/V(標準値)です。入力電圧ピンがそれぞれ独立した電源に接続されている場合には、0.1 ppm/V 未満という高い性能が得られます。
図 1 に、LT6658 を使用する標準的なアプリケーション回路を示しました。ご覧のように、同 IC は、バンド・ギャップ部、ノイズを低減するためのフィルタ部、2 つの出力バッファで構成されています。バンド・ギャップ部と 2 つの出力バッファには、優れたアイソレーション性能を得るために個別に給電できるようになっています。また、各出力バッファは、最適な負荷レギュレーションを得るためのケルビン検出ピンを備えています。
ノイズを低減するためのフィルタ部は、400 Ω の内蔵抵抗と、外付けコンデンサを接続するためのピンで構成されています。この RC 回路はローパス・フィルタとして機能し、バンド・ギャップ部からのノイズの帯域を制限します。外付けのコンデンサの値に制約はありません。そのため、非常に低い周波数まで帯域を制限してノイズを低減することが可能です。
ステップ状の負荷に対する高速で安定した応答
LT6658 は、レギュレータとして優れた過渡応答を示しつつ、VOUT1_F ピンから 150 mA を供給することができます。図 2a に示したのは、10 mA から 11 mA まで負荷電流がステップ状に変動(1 mA)する場合の過渡応答です。一方、図 2b は、10 mAから 150 mA まで負荷電流がステップ状に変動(140 mA)する場合の過渡応答です。出力バッファのソース/シンク能力により、出力が高速にセトリングされることがわかります。過渡応答の時間は短く、優れた負荷レギュレーションが維持されます。負荷レギュレーションは標準でわずか 0.1 ppm/mA です。もう 1 つの出力である VOUT2_F も、50 mA の最大負荷電流に対して似たような応答を示します。
出力のトラッキング
アプリケーションによっては、異なるリファレンスを使用する複数のパワー・コンバータが使われることがあります。そのようなアプリケーションにおいて、LT6658では、2 つの出力にそれぞれ異なる値の電圧が設定されている場合でも、トラッキングによって一貫した変換結果が得られます。LT6658 の 2 つの出力は、共通の電圧源で駆動されているからです。出力バッファに対してはトリミングが施され、優れたトラッキング性能とドリフト性能が実現されます。図 3 に示すように、VOUT1_F の負荷電流が 0 mA から 150 mA に増加した場合に、VOUT2 の出力に現れる変動は 12 ppm 未満です。これは、負荷や動作条件が変化しても、出力間の関係は適切に維持されるということを表しています。
電源電圧変動除去とアイソレーション
LT6658 は、卓越した電源電圧変動除去性能と出力のアイソレーション性能を得るために、3 本の電源ピンを備えています。VIN ピンはバンド・ギャップ部に対する給電に使用し、VIN1 と VIN2 はそれぞれ VOUT1 と VOUT2 に対する給電に使用します。3 本の電源ピンを 1 つの入力電圧源に接続するという最もシンプルな構成の場合、DC の電源電圧変動除去性能は 1.4 ppm/V(標準値)となります。各電源ピンを異なる入力電圧源に接続し、VIN1 のオン/オフを切り替える場合、VOUT2 の DC ライン・レギュレーションは 0.06 ppm/V となります。
表 1 は、各電源ピンに印加する電圧を 5 V から 36 V まで変化させた場合の電源電圧変動除去性能についてまとめたものです。VIN ピンは最も影響が大きく、出力に標準で 1.4 ppm/V の変化が生じます。VIN1 と VIN2 の電源ピンは、ほとんど影響を与えません。VIN1 と VIN2 の列に記されている測定値は、この IC の出力ノイズ性能がそのまま現れたものだと言えます。
電源のステップ |
V (5 V to 36 V) |
VIN1 (5 V to 36 V) |
VIN (5 V to 36 V) |
VIN = VIN1 = VIN2 (5 V to 36 V) |
単位 |
Bypass | 0.01 | 0.02 | 1.36 | 1.36 | ppm/V |
VOUT1 | 0.07 | 0.01 | 1.34 | 1.43 | ppm/V |
VOUT2 | 0.03 | 0.06 | 1.39 | 1.37 | ppm/V |
図 4 に示したのは、AC の電源電圧変動除去性能(PSRR)の測定結果です。これは 2 つの条件下で測定を行って得たものです。1 つ目の条件では、NR ピンに 1 μ Fのコンデンサを接続しました。もう 1 つの条件では、NRピンに接続するコンデンサの値を 10 µF としました。10 µF という容量の大きいコンデンサを使用すると、2 kHzまでの範囲で 107 dB という優れた PSRR が得られます。
図 5 は、AC チャンネル間の電源アイソレーション性能を示したものです。ここでは VIN1 と VOUT2 の間を例にとっています。NR ピンに 10 µF のコンデンサを接続した場合、100 kHz を超える周波数まで 70 dB 以上のチャンネル間電源アイソレーション性能が得られます。
LT6658 では、負荷に対する過渡応答が、隣接する出力に及ぼす影響も最小限に抑えられています。図 6a と図 6bは、チャンネル間の出力アイソレーション性能を示したものです。一方の出力を 50 mV rms で変動させた場合に、もう一方の出力に現れる変化をグラフとして示しました。
図 7a の回路を使用すれば、AC の PSRR を大きく高めることができます。VOUT1 の出力によって VIN と VIN2 の電源がブートストラップされ、再帰リファレンスが構成されます。
電源の管理と保護
3 本の電源ピンにより、IC 全体の消費電力量を管理することができます。例えば、多くの電流を供給する場合には、電源電圧を引き下げることによって、LT6658 の消費電力を最小限に抑えることが可能です。出力デバイスの電圧が低くなるので、消費電力は少なく、効率は高くなります。
OD(出力ディスエーブル)ピンを使えば、出力バッファをオフにし、VOUT1_F/VOUT2_F ピンの出力をハイ・インピーダンスの状態にすることができます。これは、何らかの異常が生じた際に役に立つ機能です。例えば、負荷が破損して短絡が生じた場合などです。外部回路によってそのような状態が検出されたら、両方の出力をディスエーブルにするという対処を図ることができます。また、この機能は無効にすることも可能です。OD ピンをフローティングの状態にするか、ハイに固定すると、わずかなプルアップ電流によって、出力バッファがイネーブルの状態で保持されます。
LT6658 のパッケージは、エクスポーズド・パッド付きの 16 ピン MSEです。ΘJAは最小 35 °C/W です。電源電圧が高い場合、電力効率は低く、過度の熱がパッケージ内で生じることになります。例えば、電源電圧が 32.5 Vで負荷が最大という条件では、30 V × 0.2 A の余剰電力が生成されます。6 W の余剰電力により、ダイの温度は周囲よりも 210 °Cも高い危険なレベルにまで達します。ダイの温度が 165 °Cを超えると、IC 自身を保護するために、サーマル・シャットダウン回路によって出力バッファがディスエーブルになります。
ノイズ
高精度の ADC/DAC などを使用するアプリケーションでは、ノイズが重要な検討事項になります。LT6658 は低ノイズの製品ですが、NR( ノイズ低減) ピンにコンデンサを追加することで、さらなる低ノイズ化を実現できます。NR ピンに付加したコンデンサは、4 0 0 Ωの内蔵抵抗と組み合わせられます。それにより、ローパス・フィルタが構成されます。容量の大きいコンデンサを使用すれば、フィルタのカットオフ周波数が低く設定され、トータルの積分ノイズを低減することができます。図 8は、NR ピンに付加するコンデンサの値を増加させることによって、どのような効果が得られるのかを示したものです。10 µF のコンデンサを使用すると、ノイズは約7 nV/√Hz まで抑えられます。
また、出力に付加するコンデンサの値を高めれば、さらにノイズを抑えることができます。NR ピンに付加するコンデンサと出力に付加するコンデンサの両方を大きくすることにより、出力ノイズを数 µV のレベルにまで低減することが可能です。LT6658 は、出力に付加される容量が 1 µF ~ 50 µF の範囲にあれば、安定した状態で動作します。出力の安定性についても、1 µFのセラミック・コンデンサを並列に接続すれば、大きな容量を接続することによって問題が生じることはありません。図 9aに示したのは、1 µFのセラミック・コンデンサを 100 µFのポリアルミニウム・コンデンサと並列に接続した例です。この構成であれば、ノイズの帯域幅を低く設定しても安定した状態が維持されます。図 9b に示したのは、出力容量の値とノイズの関係です。いずれも、小さな 1 µF のセラミック・コンデンサをそれよりも大きなコンデンサと並列に接続した場合の結果です。
この方法には 1 つの欠点があります。それはノイズのピーキングが生じることです。それにより、トータルの積分ノイズが増加してしまう可能性があります。ノイズのピーキングを抑えるには、図 10a に示すように、大きな出力コンデンサに直列に 1 Ω の抵抗を接続します。図 10bと図 10c に、その場合の出力電圧ノイズとトータルの積分ノイズを示しました。
アプリケーション
LT6658 を使えば、要件の厳しい多くのアプリケーションにおいても、低ノイズで高精度な電力を供給することができます。ミックスド・シグナルの世界では、ADC/DAC がマイクロコントローラや FPGA によって制御されるケースが少なくありません。図 11 に示したのは、その概念図です。センサーからの信号はアナログ回路や ADC/DACに送られます。それらすべての電源は、低ノイズでなければなりません。また、マイクロコントローラも複数の電源ピンを備えており、その中にはアナログ回路用の電源ピンが含まれていることがあります。
マイクロコントローラに供給されるデジタル回路用の電源電圧は、一般にノイズが大きいことが予想されます。原則として、この種の電源は、低ノイズで高精度のアナログ電源やリファレンスに対して十分に分離する必要があります。LT6658 の 2 つの出力は、高い電流供給能力に加え、優れたチャンネル間アイソレーション性能と電源電圧変動除去性能を備えています。そのため、ノイズに敏感な複数のアナログ回路に対して、低ノイズの電力を確実に供給することができます。
LT6658 は、ノイズの多い電源を使用する場合でも適切に動作します。また、一方の出力において負荷の変動が生じても、隣接する他方の出力にはほとんど影響が及びません。そのため、産業分野の用途にも適しています。一方の出力で多くの負荷電流が必要になった場合でも、他方の出力はトラッキングを続けます。
現実の回路例を図 12 に示しました。この回路では、LT6658 によって高速 ADC「LTC2379-18」に給電を行います。VOUT2 のケルビン検出機能は、2.5 V の出力を4.096 V のリファレンス電圧にまで引き上げ、コモンモード電圧を入力アンプ「LTC6362」に供給するように構成されています。VOUT1 は 5 V に引き上げられ、5 V の電源を必要とする LTC6362 やその他のアナログ回路への電力供給に使用されます。VOUT1 と VOUT2 の最大出力電流は、それぞれ 150 mA と 50 mA です。
この回路のSNR、ENOB、およびTHDは、表2に示すように、LT6658の優れた性能を実証しています。
Parameter | 16-Bit SAR | 18-Bit SAR |
SNR | 92.7 dB | 97.5 dB |
SINAD | 92.1 dB | 95.9 dB |
THD | −101.2 dB | −101.1 dB |
SFDR | 101.6 dB | 103.2 dB |
ENOB | 15.01 bits | 15.64 bits |
図 13 の回路では、LT6658 によってノイズの多いデジタル回路に電源を供給しつつ、高精度の ADC に対してもノイズが少なく精度の高いリファレンス電圧を供給します。LT6658 の一方の出力(またはテスト用の別のLDO レギュレータ)により、3.3 V の電圧をノイズの多い FPGA の電源(VCCIO)やその他のロジック回路に供給します。もう1つの出力により、5 V の電圧を分解能が 20 ビットの ADC のリファレンス入力に供給します。
デジタル電源への給電元として LT6658 と LDO レギュレータを切り替えることで、両者を使用した場合の特性の比較を行いました。LT6658 の一方の出力は、分解能が 20ビットの ADC に入力する低ノイズのリファレンスを供給します。その ADC の変換結果を比較することにより、もう一方のチャンネルのデジタル・ノイズからどの程度分離されているのかを評価することができます。ADC の入力として低ノイズの DC 電源を使用することにより、図 14に示すようにノイズ量を測定することができます。このヒストグラムから、LT6658 と LDO レギュレータのうちどちらで FPGA の VCCIO ピンに給電を行っても大きな差は出ないことがわかります。つまり、LT6658 は堅牢なレギュレーション性能とアイソレーション性能を併せ持っているということです。
結論
LT6658 は、リファレンスとレギュレータをより進化させたものだと言えます。高い精度を実現するとともに、単一のパッケージによって計 200 mA の電流を供給することができます。これらの能力は、高精度のアナログ電源にパラダイム・シフトをもたらすでしょう。ノイズの除去、チャンネル間のアイソレーション、トラッキング、負荷レギュレーションといった性能に優れており、アナログ回路用の高精度のリファレンスを含む電源ソリューションとして、理想的な製品となっています。この製品ならではの新たなアプローチにより、アプリケーションにおいて精度や出力電力の面で妥協する必要がなくなります。