これまで、自動車の業界には産業、民生、医療といった他の業界で培われた数多くの技術が導入されてきました。例えば、自動車の大量生産という革命を支えたものとしては、それまで採鉱に使われていたコンベア・システムが挙げられます。また、30年ほど前には、自動車のECU(Electronic Control Unit)に家電業界などで使われていたマイクロコントローラが初めて採用されました。それ以来、自動車でもマイクロコントローラの処理能力が急速に活用されるようになりました。このように、自動車の業界は他の業界から多くの技術を取り入れることにより成功を収めてきました。その一方で、現在の自動車業界は他の業界に恩を返すかのように、ある技術を提供しようとしています。その技術がA2B®(Automotive Audio Buses)です。A2Bは、多様な業界のオーディオ・アプリケーションが抱える問題を解消することを可能にします。
A2Bは、双方向のデータ伝送に対応する広帯域幅のデジタル・バス技術です。もともとは車載アプリケーションにおけるオーディオ・データ伝送の課題を解決するために開発されました。通常、既存の車載オーディオ・ネットワークは、ポイントtoポイントのアナログ接続によって実現されていました。この方法には、ケーブルの重量とコスト、配線の難しさ、複数の接続に伴う信頼性といった特徴的な課題が存在します。A2Bは、そうした課題を解決する技術です。これを採用すれば、完全に同期が確立されたオーディオ・データ(I2S/TDM/PDM)と制御データ(I2C)を、UTP(Unshielded Twisted Pair)ケーブルとコネクタで構成されるインフラを介して分散型のマルチモード・オーディオ・システム全体に伝送することができます。A2Bは、アップストリームとダウンストリームの双方向の伝送に対応します。それぞれの方向において、最大32のオーディオ・チャンネルをサポートします。トータルの帯域幅は50Mbpsです。また、A2Bは、ポイントtoポイント、デイジーチェーン、ブランチの各ネットワーク・トポロジをサポートします。
A2Bを採用したネットワークは、1個のマスタ・ノードと最大10個のスレーブ・ノードで構成されます(図1)。マスタ・ノードには、ホスト・プロセッサに接続されたA2B対応トランシーバーが実装されます。ホスト・プロセッサからは、A2Bのバスに対してオーディオ・データ、制御データ、I2Cデータを送信することができます。スレーブ・ノードは形態も複雑さもまちまちです。高い処理能力を備える高性能アンプかもしれませんし、バスから電力を得るマイクであるかもしれません。いずれにせよ、A2Bに対応するトランシーバーを備えている必要があります。そのトランシーバーは、マイク、DSP、スピーカ、センサー(加速度センサーなど)、D級アンプといった多様なデバイスとの間で通信を行います。マスタ/スレーブのA2B対応トランシーバーは、TDM(Time Division Multiplexing )方式やPDM(Pulse Density Modulation)方式のマイク入力などをサポートします。また、トランシーバーには、機能レベルが簡素化された様々なバージョンが存在します。例えば、エンドポイント・スレーブ(TDMのサポートなし)、簡易版のマスタ(サポートするケーブル長が短い。スレーブ数も少ない)、簡易版エンドポイント・スレーブ(サポートするケーブル長が短い。サポートするPDM入力の数が少ない)などがあります。
A2Bは、車載アプリケーションを対象とした限定的な製品ラインによって市場に提供されていました。しかし、2019年には、広範な分野を対象としたA2B対応製品がリリースされ、多くのアプリケーションで利用されるようになりました。
自動車業界では、様々なユースケースにおいてA2Bの有用性が実証されてきました。それらのユースケースは、従来A2Bを利用できなかった輸送業界の多くのユースケースと似通っています。輸送業界には、建設用機械や農業用機械といったセグメントがあります。これらの分野では、技術開発が急速に進められています。建設用機械や農業用機械はオペレータの作業環境となります。ハンズフリーでの通話機能、ビームフォーミングに対応するための複数のマイク、緊急通報システム、ノイズ除去機能などが追加されることにより、各機械は、より快適で、より安全性が高いコネクテッドな作業環境へと進化します。
Fritzmeierは、Antretter & Huberの「SMARTCOM」を採用し、オフハイウェイ車両や特定用途車両向けにキャブ・システムを提供しています。そのシステムには、A2Bが備えるスケーラビリティが活かされています。SMARTCOMは、マイク、アクティブ・スピーカ、FM/DAB(Digital Audio Broadcast)に対応するスマート無線モジュールを搭載しています。このシステムは、サードパーティ製のモジュールを簡単に組み込めるように設計されています。そのSMARTCOMで活用されているのがA2Bです。このシステムでは、マスタ・ノードに対して最大10個のスレーブ・ノードを接続できることや、双方向の通信をサポートすることなど、A2Bの主要な特徴が活かされています。
バス、航空機、電車といった人員の大量輸送を担う機器も、A2Bを活用できるようになった重要なセグメントの1つです。それらの機器内におけるオーディオ・コンポーネントの接続は、A2B対応デバイスの代表的なユースケースとなります。例えば、費用対効果に優れる軽量のUTPケーブルを使用し、分散配備されたスピーカを効率的に接続するといった具合です。また、A2B対応デバイスは、ダウンストリーム(マスタ・ノードからスレーブ・ノードへ)とアップストリーム(スレーブ・ノードからマスタ・ノードへ)のそれぞれにおいて、最大32のオーディオ・チャンネルをサポートします。そのため、単一のシステム内で、異なるオーディオ・コンテンツの複数チャンネルのデータを伝送することができます。例えば、観光バスにおいて、様々なジャンルの音楽や様々な言語のツアー・ガイダンスを配信するといった具合です。
A2Bでは、非クリティカルなGPIOデータを長い距離にわたって伝送することができます。この能力も、輸送業界の複数のユースケースで活用できるようになりました。例えば、バスや客車の停止ボタンでA2Bの能力を利用するといった具合です。A2Bでは、処理に伴うオーバーヘッドが最小限に抑えられています。初期化を行う際、マスタ・ノードによってA2Bのリンクを構成(コンフィギュレーション)すれば、それ以上ホストが介入しなくてもGPIOは機能します。
言うまでもなく、オーディオ・データの伝送が行われるのは輸送業界だけではありません。例えば、AES67などの規格では、イーサネットやIP(Internet Protocol)といった技術によって、様々な距離のオーディオ伝送が実現されています。その利用場面としては、家庭や小規模スタジオ、スタジアム、ショッピング・センターなど、あらゆる場所が考えられます。オーディオ・データの長距離伝送には、イーサネットをベースとする多くの技術が利用されています。しかし、A2Bはそれらと直接競合するものではありません。A2Bは、バックボーン・ネットワークとペリフェラル・デバイス(マイクやスピーカなど)の間のエッジ接続に最適な補完的技術だと考えることができます。
例えば、スタジアムでは、AES67などのイーサネット・ベースの技術が非常に有効に機能します。それにより、コンコース・エリアの全体、個室観覧席、レストランなどのローカル・ゾーンを対象として、オーディオ・データを配信することができます。ただ、ローカル・ゾーンの内部では、イーサネット・ベースのシステムとネットワークのエッジの間をつなぐための手段としてA2Bを利用する方法が考えられます(図2)。そうすれば、複数の顕著なメリットが得られるからです。A2Bに対応するトランシーバーは、ネットワーク・コントローラと物理層を内蔵しています。また、A2B対応デバイスでは、UTP用のコネクタを使用できます。その種のコネクタは費用対効果が高く、実装が容易です。加えて、A2B対応デバイスで使用可能なUTPケーブルは、費用対効果と柔軟性が高く、非常に軽量です。更に、A2Bはノード処理の面で高度に最適化されています。そのため、スレーブ・ノードにマイクロコントローラを実装する必要はありません。
A2Bは、ネットワーク全体にわたって処理に求められる要件を最小限にすることを目指して設計されています。システムを初期化する際、マスタ・ノードが備えるA2B対応トランシーバーは構成されますが、その責任はホスト・コントローラが担います(I2Cインターフェースを備える任意のIC/SoCをホスト・コントローラとして使用できます)。アナログ・デバイスは、ネットワークの構成に使用するソフトウェア・スタックのリファレンス設計を提供しています(Embedded CまたはLinux®をサポート)。一度ネットワークの構成が完了すれば、ソフトウェア処理に伴って発生するオーバーヘッドは最小限に抑えられます。具体的には、個々のアプリケーションで策定した戦略に従って、ステータスの確認が実施されるだけです。このことから、A2Bは、ネットワークに接続されている全ノードで複雑なスタックを実行する必要がある技術に対して優位性を持ちます(図3)。
A2Bでは、ノードにおける処理の要件が最小限に抑えられています。また、各ノードには、ケーブルを介して給電することが可能です。そのため、スレーブ・ノードの設計を簡素化することが求められるアプリケーションに適しています。トークバック用のマイクやピックアップ用のマイクなど、レコーディング・スタジオ内の複数のアプリケーションにおいて、バスから給電できるシンプルなノードを設計する場合に活用できる可能性があります。バスから給電するノードとローカル電源を使用するノードを組み合わせることにより、複雑ではあるものの高度なスタジオを実現することができます。A2Bにより、分解能が24ビットでサンプリング周波数が96kHzのデジタル・オーディオ信号用のパスを活用できるからです。A2Bは長いケーブルをサポートしているので、スタジオや小さなステージでの利用にも適しています。A2Bの柔軟性を活かせば、小さなステージで使用するミキシング・デスク、モニタ、マイク、イコライザ、アンプなどの要素を接続することが可能になります。
A2Bがサポートするケーブル長は、今日の会議室の中心的な存在であるテレビ会議システムの構築にも役立ちます。テレビ会議システムでは、マイク、スピーカ、ミュート・ボタンといった様々な要素を接続する必要があります。テレビ会議システムに、ビームフォーミングを使用するマイクのソリューションを適用する場合にも、A2Bは重宝します。なぜなら、A2Bの遅延はデタミニスティックであり、値が非常に小さいからです。ビームフォーミングが有効に働くか否かは、システムで使用するマイクの数、利用可能な処理能力、遅延によって左右されます。A2Bでは、遅延が50マイクロ秒未満に抑えられ、同期のとれたデータ交換を実現できます。また、GPIOをサポートすることもA2Bの特徴の1つです。この特徴は、テレビ会議システムにおいて受信状態/ミュート状態を表すインジケータやミュート・ボタンの制御に使用する信号のやり取りに活かすことができます。
A2Bは、車載環境において高いEMI(電磁妨害)性能/EMC(電磁両立性)性能を発揮することが実証されています。そのため、高いEMC性能が求められる環境下でオーディオ・データや非クリティカルなデータを伝送しなければならないアプリケーションにとって魅力的な選択肢となります。また、A2BはEMI、EMC、ESD(静電気放電)を含む非常に厳しい車載規格に準拠しています。そのため、アビオニクス(航空電子機器)を含む航空宇宙分野のアプリケーションにとっても理想的です。基本的な設計ガイドラインに対する一貫性を維持すると共に、リファレンス設計に従うことで、規格に準拠するシステムを構築することができます。
リファレンス設計は、製品開発にかかわるエコシステムの重要な要素です。デザインインのプロセスを簡素化し、その作業を加速する上で重要な役割を果たします。A2Bに対応するハードウェアについては、アナログ・デバイセズと多数のパートナー企業からリファレンス設計が提供されています。エコシステムに含まれるその他の要素としては、サンプル、ドキュメント、評価キットなどが挙げられます(図4)。これらに加えて、A2Bのエコシステムには、ソフトウェア、設計ツール、設計パートナーという3つの重要な要素が含まれています。
先述したソフトウェア・スタックのアーキテクチャには、A2Bが組み込まれています。それだけでなく、アナログ・デバイセズの開発ツール「SigmaStudio®」もA2Bをサポートしています。SigmaStudioは、A2Bの導入に向けたデザインインのプロセスをあらゆる側面から支援します。例えば、A2Bに対応するノードや補助デバイスで構成されるネットワークを、ドラッグ&ドロップを中心とする操作によって設計することができます(図5)。また、ノードの構成、ビット誤り率の解析、帯域幅の計算、電力の計算などにも対応しています。SigmaStudioは構成用のデータを入力とし、ソフトウェア・スタックに組み込むための汎用の.cファイルと.hファイルを生成します。
MentorやTotal Phaseなどを含むテスト関連のベンダーもA2Bのエコシステムに加わり、A2B向けのアナライザやモニタといった製品を提供しています。A2B向けのアナライザを使用すれば、A2B対応のネットワークを構成するマスタ・ノードやスレーブ・ノードのエミュレーションを実施できます。これは、A2Bに対応するネットワークの設計とプロトタイピングに役立ちます。一方、A2B向けのモニタは、A2Bに対応するネットワーク上のパッシブ・ノードとして機能させることができます。それにより、オーディオ入出力をサポートしつつ、ノードを通過するすべてのデータをモニタリングすることが可能になります。これらのツールは、製品の市場投入に要する時間の短縮と、デザインインの複雑さの緩和に役立ちます。また、製品のリリース前後の段階で生じた問題のデバッグ/調査にかかる時間を短縮することも可能になります。設計サービスを担う複数のパートナー企業もA2Bをサポートしています。そうした企業は、A2Bを採用した設計を市場に投入してきた確かな実績を持ちます。ハードウェア・モジュールからカスタムのハードウェア/ソフトウェアの設計支援まで、様々なサービスを提供しています。
A2Bを採用すれば、サポートするケーブル長、処理に伴うオーバーヘッドの小ささ、EMI/EMC性能、充実したエコシステムといった面でメリットを享受できます。それらが、A2Bの最もよく知られた特徴であるオーディオ・データの伝送能力を補完しています。そのため、A2Bは、輸送、プロ用AV、音楽の制作/パフォーマンスといった広範な場面、多様な業界にわたるアプリケーションに対する非常に魅力的な選択肢となります。
アナログ・デバイセズは、広範な市場を対象とし、A2Bに対応する5種類の汎用トランシーバーを提供しています(表1)。それらのうち2つはマスタ・デバイス、3つはスレーブ・デバイスです。スーパーセット、サブセット、最適化されたエンドポイント・スレーブ・デバイスが提供されています。
品番 | AD2428 | AD2427 | AD2426 | AD2429 | AD2420 |
概要 | マスタ | スレーブ | エンドポイント・スレーブ | 最適化されたマスタ | 最適化されたエンドポイント・スレーブ |
マスタとしての機能 | 〇 | × | × | 〇 | × |
TRX機能ブロック | A + B | A + B | A | B | A |
I2S/TDMのサポート | 〇 | × | × | 〇 | × |
PDMマイク入力 | 4 | 4 | 4 | 4 | 2 |
サポートするスレーブの数 | 最大10 | - | - | 最大2 | - |
ノード間の最大ケーブル長 | 15 m | 15 m | 15 m | 5 m | 5 m |
アナログ・デバイセズは、A2Bに対応する各汎用デバイスの評価用ボードも提供しています(表2)。また、それらのボードを補完するA2B対応ボードがサードパーティの設計サービス企業から提供されています。
品番 | 説明 |
EVAL-AD2428WB1BZ | バス給電型のスレーブ・ボード(I2S/TDMをサポート、2個のPDMマイク) |
EVAL-AD2428WC1BZ | バス給電型のスレーブ・ボード(I2S/TDMのサポートなし、4個のPDMマイク) |
EVAL-AD2428WD1BZ | マスタ給電/ローカル給電型のスレーブ・ボード(I2S/TDMをサポート、3個のPDMマイク) |
EVAL-AD2428WG1BZ | ローカル給電型のスレーブ・ボード(I2S/TDMをサポート、PDMマイクなし) |
ADZS-AUDIOA2BAMP | スピーカ駆動用のD級アンプを搭載 |
ADZS-SC589-MINI | SHARC®ベースのオーディオ・モジュール(A2B対応トランシーバーと、オーディオ・プロセッサのADSP-SC589を搭載) |
A2Bに関する情報やA2Bアプリケーションの詳細については、www.analog.com/jp/a2bをご覧ください。