AN-2501: ADM3055E/ADM3057E CAN FD トランシーバーのサージ保護ソリューション
はじめに
データ・レートの柔軟なコントローラ・エリア・ネットワーク(CAN FD)は、専用のホスト・コントローラを用いずにマイクロコントローラやその他のデバイスのネットワークが通信を行うことができる、2 線式の差動シリアル通信プロトコルです。マイクロコントローラが使用するローカルのシングル・エンド・シグナルと堅牢なオフボード通信に必要な差動信号との変換を行うために、ネットワークの各ノードには CAN FD トランシーバーが必要です。
この変換機能では、敏感な電子回路と外界との間に CAN FD トランシーバーが物理的に挿入されていることが必要です。工業用アプリケーションや計測器アプリケーションでは、誤操作、電気的なノイズの多い環境、更には落雷などによる高電圧トランジェントが大きなストレスとなって、通信ポートやそれを支えるエレクトロニクスに損傷を与えることがあります。信号と電源が絶縁された ADM3055E/ADM3057E CAN FD トランシーバーは、これらのトランジェント電圧に耐え、敏感な電子回路を保護できます。
トランジェント電圧は、該当の IEC 規格の下で、静電放電(ESD)、電気的ファスト・トランジェント(EFT)、およびサージに分類されており、トランジェントの大きさに応じたレベルで定格化されています。レベル 4 の IEC 61000-4-2 ESD 保護、IEC 61000-4-4 EFT 耐性、およびレベル 4 を超えるバリア間 IEC 61000-4-5 サージ保護が、ADM3055E/ADM3057E 信号/電源絶縁型 CAN FD トランシーバーの内蔵保護機能によって実現されています。
バリア間サージは iCoupler®絶縁バリアで吸収されますが、バス側のグラウンドを通じて戻るサージを迂回させなければ、トランシーバーのかなりの量の電力を消費してしまいます。このアプリケーション・ノートでは、ADM3055E/ADM3057E トランシーバーを使用する CAN FD ポートにおける IEC 61000-4-5 サージ保護のための、特性評価済みのソリューションについて説明します。設計オプションは、必要なサージ保護レベル、コモンモード範囲の条件、および使用可能な PCB 面積に応じて特性評価されています。
このアプリケーション・ノートのコンポーネント試験は、ADM3055E/ADM3057E を使用して行いました。ADM3050E、ADM3056E、ADM3058E などのデバイスは同じトランシーバー・ダイを共有しており、このアプリケーション・ノートに記載された情報は、一般的にこれらのデバイスにも適用できます。
概要
CAN FD 規格
データ・レートの柔軟なコントローラ・エリア・ネットワーク(CAN FD)は、フォルト処理が組み込まれた分散型通信の規格で、ISO-118981-2:2016 においてオープン・システム・インターコネクション(OSI)モデルの物理層およびデータ・リンク層について規定されたものです。CAN FD は、元来オートモーティブ・アプリケーション向けに開発されたものですが、CAN FDで用いられている通信メカニズムが本質的に強固であるために、工業用アプリケーションや計測器プリケーションにおいて幅広く採用されています。
ADM3055E/ADM3057E 信号/電源絶縁型トランシーバーは、±25V という広いコモンモード電圧範囲となっています。このコモンモード電圧範囲は ISO 11898-2:2016 の条件を超えるもので、ネットワーク・ノード間に大きなグラウンド・オフセットが存在する場合でも信頼できる通信を確保できます。この絶縁型トランシーバーは、全速力モードでの ISO 11898-2:2016 のタイミング条件も大幅に上回っています。また、低ループ遅延であるため、設計者は各ビットのより大きな部分をセトリング時間に充当することができます。その広いコモンモード電圧範囲およびタイミング仕様は、工業用アプリケーション向けのより長距離にわたるより堅牢な通信を実現します。
CAN FDのより詳細な情報については、AN-1123を参照してください。
ADM3055E/ADM3057E CAN FD トランシーバー
フィールドでの実装、直接接触、ワイヤ損傷、誘導性スイッチング、電源変動、アーク放電、近隣の落雷など、これらすべてがネットワークに損傷を与える可能性があります。設計者は、機器が理想的な条件の下で動作するだけでなく、現実世界の有害な環境でも高い信頼性で動作できるようにしなくてはなりません。こうした設計が電気的に過酷な環境に耐えることができるようにするために、様々な政府機関や規制団体が EMC 規定を課しています。こうした規定を満たすことで、過酷な電磁環境でも設計が目的のとおりに動作することをエンド・ユーザに確約できます。
信号/電源絶縁型の ADM3055E/ADM3057E CAN FD トランシーバーは、CAN FD の物理層トランシーバーです。このデバイスは、アナログ・デバイセズの iCoupler 技術を用い、3 チャンネル・アイソレータ、CAN FD トランシーバー、およびアナログ・デバイセズの isoPower®絶縁型 DC/DC コンバータが、1 つの表面実装型スモール・アウトライン集積回路(SOIC_IC)パッケージに統合されています。
EFT および ESD トランジェントのエネルギーは同レベルにあり、ADM3055E/ADM3057E での ESD および EFT に対する保護は、オンチップの保護構造で実現されています。サージ波形のエネルギー・レベルはこれらよりはるかに高く、サージ・トランジェント電圧は、絶縁バリアにもトランシーバー・ダイにも加わる可能性があります。内蔵された iCoupler アイソレーション・バリア技術は、バリアに生じるサージ・トランジェントの保護を増強するものです。組み込まれている保護レベルを表 1 に示します。トランシーバーを高レベルのサージから保護するには外部保護デバイスが必要で、このアプリケーション・ノートではそれらのデバイスについて説明します。
EMC Specification | Protection Level |
IEC 61000-4-2 ESD | |
Contact | ±8 kV, Level 4 |
Air | ±15 kV, Level 4 |
IEC 61000-4-4 EFT | ±2 kV, Level 4 |
Cross Barrier IEC 61000-4-5 Surge | ±6 kV, Level 4+, VIOSM reinforced |
サージ・イミュニティ試験
サージ・トランジェントは、スイッチングや雷トランジェントからの過電圧によって発生します。スイッチング・トランジェントは、電源システムのスイッチング、配電システムでの負荷の変動の他、短絡や施設のグラウンディング・システムへのアーク故障などの様々なシステム故障が原因で発生します。雷によるトランジェントは、落雷によって回路に混入した大電流や高電圧から発生します。IEC 61000-4-5 では、これらのサージに対する電気および電子装置の耐性を評価するための波形、試験方法、および試験レベルを定めています。
図1に 1.2µs/50µsのサージ・トランジェント波形を示します。波形は、オープン・サーキットや短絡による波形発生器の出力として仕様規定されています。サージ・トランジェントは、そのエネルギー・レベルが ESD や EFT のパルス・エネルギーの 3 倍から 4 倍も大きいため、最も厳しい EMC トランジェントと見なされています。そのため、エネルギーが高いことから、多くの場合、サージ耐性を向上するために外部保護デバイスが必要となります。
図 2 に、このアプリケーション・ノートでのサージ試験で用いられた、CAN ポートの結合ネットワークを示します。並列抵抗の合計は 40Ω です。半二重デバイスでは、抵抗ごとに 80Ω です。サージ試験では、高速 CAN バスの終端ネットワークも含まれている点に注意してください。
サージ試験中は、10 の正パルスと 10 の負パルスがデータ・ポートに印加され、各パルス間の最大間隔は 10 秒です。試験中、デバイスは、無給電モード、通常動作モード、スタンバイモードの 3 通りの条件でセットアップされています。CANH ピンとCANL ピンのリークがサージ・パルス・ストレスの印加前後に確認され、スイッチング信号と ICC電流も試験前後および試験中にモニタされています。サージ試験は、IEC 61000-4-5 記載の性能基準 B を確保して実行されます。基準 B では、機能が一時的に失われたり、性能が一時的に低下したりすることは許容されますが、操作を介入することなく自己回復できなくてはなりません。
CAN FD のためのサージ・トランジェント保護ソリューション
EMC トランジェント現象は時間経過と共に変化します。回路が確実に EMC 規格を満たすようにするには、保護されるデバイスと保護をするコンポーネントの双方の入出力段の動的性能を注意深く設計、評価、および理解することが必要です。一般的に部品のデータシートには DC データのみが記載されています。この DC データの値は、動的なブレークダウンおよび I/V 特性がDC 値とはまったく異なる場合があることを考慮すれば、限定されたものと言えます。
このアプリケーション・ノートでは、十分に特性を評価した 5種類のサージ・ソリューションについて説明します。各ソリューションは、サージ保護が強化されたアナログ・デバイセズのADM3055E/ADM3057E CAN FD トランシーバー用に、外部回路保護コンポーネントを選択して使用する異なるコスト/保護レベルを備えています。使用する外部回路保護コンポーネントには、トランジェント電圧サプレッサ( SM712-02HTG 、CDNBS08-T24C、TCLAMP1202P)およびサイリスタ・サージ・プロテクタ(TISP7038L1、TISP4P035L1N)の 2 種類があります。
TVS 保護デバイス・オプション
最初のソリューションでは、様々なトランジェント電圧圧縮(TVS)アレイを使用します。2 つの双方向 TVS ダイオードからなる代表的な TVS アレイを、図 3 に示します。表 2 には、サージ・トランジェントに対して保護される電圧レベル、およびコモンモード電圧とパッケージの PCB フットプリントの詳細を示します。
Device Name | VRWM (V) | No. of Units1 | Footprint Area2(mm2) | Height2 (mm) | IEC 61000-4-5 Surge | |
Voltage (kV) | Level | |||||
SM712-02HTG | +12/−7 | 1 | 8.23 | 1.12 | ±1 | 2 |
CDNBS08-T24C | ±24 | 1 | 31.68 | 1.75 | ±1 | 2 |
TCLAMP1202P | ±12 | 2 | 8.82 | 0.60 | ±4 | 4 |
1 CANH/CANL ポートのペアに必要な保護デバイスの個数。 2 各値はデバイスのデータシートに基づくものです。 |
TVS はシリコンをベースとするデバイスです。通常の動作条件では、TVS はグラウンドに対し高インピーダンスであり、理想的にはオープン・サーキットです。保護は、トランジェントによる過電圧を電圧制限値にクランプすることで行われます。これは、PN 接合の低インピーダンスのなだれ降伏によって実現できます。TVS のブレークダウン電圧より大きなトランジェント電圧が発生すると、TVS はトランジェントを、事前に設定された、保護対象デバイスのブレークダウン電圧より低いレベルにクランプします。トランジェントは瞬時(1ns 未満)にクランプされ、トランジェント電流は、保護対象デバイスからグラウンドに迂回されます。
代表的な双方向 TVS の I/V 特性を図 4 に例示します。TVS のVRWMは、CAN FD ポートのコモンモード電圧に一致する必要があります。また、ブレークダウン電圧 VBR が保護されるピンの通常動作範囲外となるようにすることも重要です。サージ電流の大部分をシャントし、電圧をピンの故障電圧未満にクランプするために、多くの場合、RDYN と IPP での VCLAMP の各値は低い方が好まれます。
TISP 保護デバイス・オプション
もう 1 つのタイプのサージ保護はスナップバック素子で、完全に集積されたサージ・プロテクタ(TISP)がその例です。図 5に示す外部サージ保護デバイスとして、2 つの Bourns の TISP を調べました。これらのデバイスは、表 3 に示すように、異なるコモンモード電圧範囲とコスト/サージ性能レベルを持つため、選択肢が更に広がります。
Device Name | VRWM (V) | No. of Units1 | Footprint Area2 (mm2) | Height2 (mm) | IEC 61000-4-5 Surge | |
Voltage (kV) | Level | |||||
TISP7038L1 | ±28 | 1 | 32.63 | 1.75 | ±1 | 2 |
TISP4P035L1N | ±24 | 2 | 18.72 | 1.35 | ±2 | 3 |
1 CANH/CANL ポートのペアに必要な保護デバイスの個数。 2 各値はデバイスのデータシートに基づくものです。 |
過電圧の結果生じる電流が TISP の非線形な電圧/電流特性によって迂回されるため、過電圧が制限されます。サイリスタのように、TISP には、高電圧領域と低電圧領域の間のスイッチング動作によって生じる不連続な電圧/電流特性があります。このデバイスの電圧/電流特性を図 6 に示します。TISP デバイスが、グラウンドに対して低インピーダンスとなりトランジェント・エネルギーをシャントする低電圧状態に切替わる前に、なだれ降伏領域によってクランピング動作が生じます。
過電圧制限が行われる場合、保護対象回路は、TISP がブレークダウン領域になっている短い間高電圧にさらされた後に、低電圧で保護されたオン状態になります。迂回電流が危険値を下回ると、TISP デバイスは自動的にリセットされ、通常のシステム動作を再開できるようになります。
このタイプのデバイスを選択する際には、考慮すべき点がいくつかあります。まず、TISP のブレークダウン電圧はポートのコモンモード電圧よりも高いことが必要です。更に、多くの場合、TISP は電力密度効率が優れているために、IPP が高くなっています。ただし、パルスの立上がりエッジでの電圧オーバーシュートは非常に大きいことがあり、被験ポートに損傷を与える可能性があります。通常、これがサージ保護レベルの制限要因になります。それにもかかわらず、TISP の低保持電圧が IEC ESD 試験中のいくつかのラッチアップ問題の原因となることがあります。ここに示した TISPソリューションは、IEC 61000-4-2 の ESDに対してテストされており、この懸念事項は払拭されています。
まとめ
CAN FD ネットワーク向けに EMC 準拠ソリューションを設計する場合の主な課題は、外部保護コンポーネントの動的性能とCAN FD トランシーバーの入出力構造の動的性能を一致させることです。このアプリケーション・ノートでは、ADM3055E/ ADM3057E 信号/電源絶縁型 CAN FD トランシーバー用の 5 種類のサージ保護ソリューションを説明しています。これにより、設計者は、保護レベル、コモンモード電圧範囲、およびコスト条件に応じた選択肢を得ることができます。これらの保護デバイス・オプションの概要を表 4 に示します。
Device Name | VRWM (V) | No. of Units1 | Footprint Area2 (mm2) | Height2 (mm) | IEC 61000-4-5 Surge | |
Voltage (kV) | Level | |||||
SM712-02HTG | +12/−7 | 1 | 8.23 | 1.12 | ±1 | 2 |
CDNBS08-T24C | ±24 | 1 | 31.68 | 1.75 | ±1 | 2 |
TISP7038L1 | ±28 | 1 | 32.63 | 1.75 | ±1 | 2 |
TISP4P035L1N | ±24 | 2 | 18.72 | 1.35 | ±2 | 3 |
TCLAMP1202P | ±12 | 2 | 8.82 | 0.60 | ±4 | 4 |
1 CANH/CANL ポートのペアに必要な保護デバイスの個数。 2 各値はデバイスのデータシートに基づくものです。 |
これらの設計ツールは、システム・レベルで必要とされる当然の注意義務に代わるものでも、また、適格性を証明するものでもありませんが、これらを使用することで設計者は、設計サイクルの開始段階から EMC 問題によるリスクをなくし、既知の落とし穴を回避すると共に、全体の設計時間を短縮できます。
参考資料
インターフェース製品や絶縁製品に対する詳細をこのセクションで示します(アナログ・デバイセズの Web サイトも参照してください)。
電磁両立性(EMC)パート4-5:試験および測定技術− サージ・イミュニティ試験(IEC 61000-4-5:2005(エディション 2.0))。
ISO 11898-1:2003、「道路車両 − コントローラ・エリア・ネットワーク(CAN) − パート 1:データ・リンク層および物理信号」ISO 国際規格、2003。
ISO 11898-2:2003、「道路車両 − コントローラ・エリア・ネットワーク(CAN) − パート 2:高速メディア・アクセス・ユニット」ISO 国際規格、2003。
ADM3055E/ADM3057E データシート。アナログ・デバイセズ。
Scanlon, James。AN-1161 アプリケーション・ノート。EMC 準拠の RS-485 通信回路。アナログ・デバイセズ、2013 年。
Watterson, Conal, Dr.。AN-1123 アプリケーション・ノート。CAN アプリケーションの実装ガイド。アナログ・デバイセズ、2017 年。