変調動作を乗算処理として説明する場合がよくありますが、実際はそう単純な話ではありません。
結論から先に言えば、完全な動作をする乗算器の2入力に信号Acos(ωt)と変調されていない搬送波cos(ωt)を入力すると、変調器となります。その理由は、乗算器の入力に2つの周期的な波形Ascos(ωst) とAccos(ωct) が入力されると(理解を容易にするために1 Vのスケール・ファクタを適用)、次式から得られるような出力が生じるからです。
Vo(t) = ½AsAc[cos((ωs + ωc)t) + cos(ωs – ωc)t))]
搬送波Accos(ωct) の振幅が1 V(Ac = 1)であれば、この式は次のように簡素化できます。
Vo(t) = ½As[cos((ωs + ωc)t) + cos((ωs – ωc)t)]
しかしながら、このような機能を実行する回路としては、一般に変調器のほうが優れています。変調器(周波数変換器として使用されるときはミキサーと呼ぶ場合もある)の機能は、乗算器と密接な関係があります。乗算器の出力はその入力どうしの瞬時値の積であるのに対し、変調器の出力は、その一方の入力で受けた信号(信号入力)ともう一方の入力で受けた信号(搬送波入力)の符号との積です。図1は、変調機能をモデル化する2つの方法を示しています。その一つはアンプとしてモデル化する方法で、アンプのゲインは搬送波入力上のコンパレータの出力によって正または負に切り替えられます。もう一つは乗算器としてモデル化する方法で、搬送波入力とその入力ポートとの間に高ゲイン・リミッタ・アンプを接続したものです。これらのアーキテクチャはいずれも変調器を作成する際に用いられるものですが、(AD630平衡型変調器に使われているような)スイッチド・アンプ型の場合、動作が低速になる傾向があります。ほとんどの高速IC変調器では、(「ギルバート・セル」をベースにした)トランスリニア・アンプが採用されており、搬送波の経路には入力の1つをオーバードライブするリミッタ・アンプが用いられます。リミッタ・アンプを採用することで、高ゲインでの動作が可能になり、低レベル搬送波入力を用いることができます。また、低ゲインでクリーンなリミッタ特性を得ることも可能で、この場合正確な動作を実現するには、比較的大きな搬送波入力が必要となります。仕様については、データシートを参照してください。
乗算器ではなく変調器を使用するのには、いくつかの理由があります。乗算器の場合、ポートは両方ともリニアであるため、搬送波入力信号にノイズや変調があると信号入力が乗算され、出力が劣化してしまうのに対し、変調器の場合、搬送波入力における振幅の変化はほとんど無視することができます。副次的なメカニズムによって、搬送波入力の振幅ノイズが出力に影響を及ぼす可能性はありますが、高性能な変調器であればそうした影響を最小限に抑えることができるため、ここでは取り上げないことにします。単純な動作モデルの変調器では、搬送波によるスイッチングを利用します。(完全な)スイッチのオープン状態では無限抵抗の回路で、熱ノイズ電流はゼロとなり、(完全な)スイッチのオン状態では抵抗ゼロの回路で、熱ノイズ電圧はゼロとなります。このため、たとえスイッチが完全なものではなくても、変調器の内部ノイズは乗算器よりも小さくなる傾向を示します。また、類似の乗算器を用いるよりも、高性能、高周波の変調器を利用するほうが、設計、製造が容易です。
アナログ乗算器と同様に変調器も2つの信号を乗算しますが、この場合の乗算はリニアではありません。信号入力は搬送波入力の極性が正のときに+1で乗算され、極性が負のときに–1で乗算されます。すなわち、信号は搬送波周波数の矩形波で乗算されます。
周波数ωctの矩形波は、奇数次高調波のフーリエ級数で表すことができます。
K[cos(ωct) – 1/3cos(3ωct) + 1/5cos(5ωct) – 1/7cos(7ωct) + …]
級数の合計[+1, –1/3, +1/5, –1/7 + ...] はπ/4です。したがって、Kの値は4/πであり、平衡変調器は正のDC信号が搬送波入力に供給されるときにユニティ・ゲイン・アンプとして動作します。
搬送波の振幅はリミッタ・アンプを駆動するだけの大きさがあれば十分で、信号Ascos(ωst) と搬送波cos(ωct) で駆動される変調器からは、信号と2乗した搬送波の積が出力されます。
2As/π[cos(ωs + ωc)t + cos(ωs – ωc)t –
1/3{cos(ωs + 3ωc)t + cos(ωs – 3ωc)t} +
1/5{cos(ωs + 5ωc)t + cos(ωs – 5ωc)t} –
1/7{cos(ωs + 7ωc)t + cos(ωs – 7ωc)t} + …]
この出力には、信号と搬送波の和の周波数と差の周波数、さらには信号と搬送波の各奇数次高調波との和の周波数と差の周波数が含まれます。理想的な完全に平衡のとれた変調器では偶数次の高調波積は存在しません。しかし、実際の変調器では、搬送波ポートの残留オフセットによって低レベルの偶数次高調波積が生じます。多くのアプリケーションでは、ローパスフィルタ(LPF)によって高次高調波の積を除去します。cos(A) = cos(–A)なので、cos(ωm – Nωc)t = cos(Nωc – ωm)t であり、したがって「負」の周波数を考慮する必要はありません。フィルタ処理後の変調器の出力は次式で与えられます。
2As/π[cos(ωs + ωc)t + cos(ωs – ωc)t]
この式は、ゲインがわずかに異なる点を除けば乗算器の出力と同じ式です。実際のシステムではアンプ/減衰器によってゲインが正規化されるため、ここでは各システムの論理的なゲインを考慮しません。
単純なモデルを用いる場合は、乗算器より変調器を使用するほうが理にかなっています。では、「単純」とはどのような場合をいうのでしょうか?変調器をミキサーとして使用するとき、信号と搬送波入力は周波数f1 とfc の単純な正弦波であり、フィルタ処理されていない出力には和の周波数(f1 + fc) と差の周波数(f1– fc) 成分、それに信号と搬送波の奇数次高調波との和の周波数と差の周波数(f1 + 3fc), (f1 – 3fc), (f1 + 5fc), (f1 – 5fc), (f1 +7fc), (f1 – 7fc)…の成分が含まれます。LPF処理後は、基本波の積(f1 + fc) と(f1 – fc) が得られるものと予想されます。
しかし、(f1 + fc) > (f1 – 3fc)の場合は、高調波積の1つが基本波積の1つより低い周波数となるため、単純なLPFでは基本波積と高調波積を分離することはできません。こうした単純ではないケースでは、さらなる考察が必要となります。
信号に単一周波数f1 が含まれているか、またはもっと複雑な信号がf1 からf2までの帯域に広がっている場合には、次の図に示すように、変調器の出力スペクトルを分析することができます。信号リークや高調波リークが無く、また歪みの生じない完全な平衡変調器を仮定すると、入力、搬送波、およびスプリアスの積は出力に現れません。図中では入力を黒色で示しています(出力図では入力を青味がかった灰色で示していますが、これは実際には現れません)。
図2に、入力すなわちf1 ~f2帯域内の信号とfcの搬送波を示します。乗算器の場合には、変調器に見られる1/3(3fc)、1/5(5fc)、1/7(7fc)などの奇数次搬送波高調波(点線で表示)は現れません。1/3、1/5、1/7などの分数値は周波数ではなく振幅値を示しています。
図3に、乗算器(または変調器)と2fcカットオフ周波数のLPFの出力を示します。
図4に、フィルタなし変調器の出力を示します(ただし、7fc を越える高調波積は記載していません)。
信号帯域f1 ~f2がナイキスト帯域(DC~fc/2)内にあって、LPFのカットオフが2fc より大きければ、変調器の出力スペクトルは乗算器と同じになります。信号周波数がナイキスト周波数を上回る場合には、より複雑なものとなります。
信号帯域がfcよりやや小さい場合には、図5のようになります。この場合でも高調波積と基本波積を分離することはできますが、LPFのロールオフをかなり急峻な設定にする必要があります。
次に、図6を見てみましょう。信号帯域はfcを越え、高調波積が(3fc – f1) < (fc + f1)と、オーバラップしているため、LPFでは基本波の積を高調波積から分離することができません。必要な信号はバンドパス・フィルタ(BPF)で抽出する必要があります。
このようにほとんどの周波数変換アプリケーションではリニア乗算器よりも変調器のほうが優れた適性を示しますが、実際のシステムを設計するにあたっては高調波積に留意する必要があります。
参考資料
Analog Dialogue
Brandon, David「マルチチャンネルDDSで位相コヒーレントFSK変調を実現」Analog Dialogue 44-11、2010年
Gilbert, Barrie「アナログ乗算器に関する考察(西暦2028年の回顧)(その1)」Analog Dialogue 42-4、2008年
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