マイコン×通信技術で広がるアナログ・デバイセズの提案力 ――シングルペア・イーサネット「T1L」「T1S」の事例から
エレクトロニクス分野のエンジニアに、「アナログ・デバイセズと言えば?」という質問を投げれば、「アナログ」や「RF/通信」といった答えが返ってくるだろう。「アナログ」や「RF/通信」といった分野は、アナログ・デバイセズにとってのコア・コンピタンスである。これらの分野における技術的な優位性は高く、その技術力を生かした半導体製品の競争力は一線を画す。
本シリーズの第1回で紹介したインテリジェント・エッジは、さまざまな判断や制御を担うマイコンやソフトウェアに加えて、物理世界の情報を取得するアナログICやセンサーなどで構成される。アナログ・デバイセズはアナログ技術を核に、センサーからマイコン、DSP、ソフトウェアまでを一貫して提供できる。つまりマイコンやソフトウェアだけでなく、シグナルチェーンでの差別化も重要な要素になるわけだ。
第1回ではADIの事業戦略、第2回では統合開発環境「CodeFusion Studio™」、第3回ではマイコンの製品ポートフォリオを紹介してきた。今回は、こうしたマイコン製品の価値をさらに引き上げるコア・コンピタンスの中から、産業ネットワーキング技術による差別化に焦点を当てる。
T1LとT1Sに注目が集まる
アナログ・デバイセズは、差別化の切り札となり得るコア・コンピタンスとして、高性能アナログ技術、ミックスド・シグナル技術、電源技術、RF技術、センシング技術、産業ネットワーキング技術など、数多くの技術を保有している。
その産業ネットワーキング技術としてアナログ・デバイセズが注力している技術の一つがシングルペア・イーサネット(SPE:Single Pair Ethernet)の「10BASE-T1L(T1L)」と「10BASE-T1S(T1S)」である。
いずれも国際的な標準化機関であるIEEEで「IEEE 802.3cg」として規格化された標準仕様である。既存の4ペア8線のケーブルで電子機器の間を接続するイーサネット仕様ではなく、1対のツイストペア・ケーブルでデータ通信を実行するイーサネット仕様だ。しかも電力も同時に供給できる。
T1L:工場/プラントのスマート化に向ける
それではT1SとT1Lは何が違うのか。まずはT1Lから説明しよう。
T1Lは、工場やプラントのスマート化や見える化などに向けたイーサネット仕様である。この仕様は、IoTやAI、ビッグデータなどのデジタル技術を導入し、生産プロセスの自動化や最適化を目指す「Industry 4.0」に導入する際に効果を発揮する。なぜならば、わずか1対のツイストペア・ケーブルでデータと電力の両方を送ることができるため、ネットワークの末端に位置するセンサーなどとの接続に最適だからである。既存の4-20mAやHART、RS-485などの接続に使っていたツイストペア・ケーブルをそのまま流用し、新しい配線工事を実施することなしに簡単にデジタル化できる。
さらに標準仕様で定められた性能を備えるツイストペア・ケーブルを選べば、最大で1kmもの長距離接続が可能になる。このため敷地面積が大きな工場やプラントにも適用可能だ。「既存のイーサネット規格では、接続距離は最大で100mまでだった。工場やプラントなどの用途では接続距離が100mでは短すぎてしまい、イーサネット化したくてもできなかったケースが少なくなかった。T1Lを使えば最大1kmまでの接続は可能なため、工場やプラントなどのイーサネット化が可能になる」(アナログ・デバイセズ)。
データ伝送速度は最大10Mビット/秒と高い。これだけのデータ伝送速度があれば、圧縮した映像信号の伝送にも使える。つまり、カメラとの接続にも適用できることを意味する。
T1S:車載ネットワーク向けにスタート
T1Sは、車載ネットワーク用途に策定されたシングルペア・イーサネット(SPE)である。現在は産業用途にも拡大している。最大データ伝送速度はT1Lと同様に10Mビット/秒である。特長は、ポイント・ツー・ポイント接続はもちろんのこと、マルチドロップ接続が可能な点にある。
従って、1本のバスに複数のデバイスを接続することが可能だ。高価なイーサネットハブが不要になるほか、配線やコネクタの本数/個数を削減できるというメリットがある。
車載用途としては、ライティング(マトリクスLEDヘッドライトやイルミネーションLED照明など)、各種センサー(近距離ソナーや環境センサーなど)、各種アクチュエーター、オーディオ(マイクロフォン、スピーカーなど)が挙げられる。単機能なセンサーでも、車載イーサネットのネットワークに簡単に接続できるようになる。また、産機用途としては、ロボット向けネットワーク接続、産業用制御盤アプリケーション、ビルディングオートメーションシステム、エネルギー制御盤などが挙げられる。
T1L対応MAC-PHYデバイスなどを用意
現在、アナログ・デバイセズは、10BASE-T1L(T1L)の標準仕様に準拠したイーサネットMAC-PHYデバイス「ADIN1110/ADIN1111(以下ADIN111x)」とPHYデバイス「ADIN1100/ADIN1101(以下ADIN110x)」を製品化している。
このほか、T1Lに向けたイーサネット用ネットワーク・スイッチIC「ADIN2111」を販売中だ。このICは、1つのMACと2つのPHYを搭載した2ポートタイプのスイッチICである。前述の「ADIN111x」や「ADIN110x」を使った場合は、ポイント・ツー・ポイント形式のネットワークしか構築できない。しかしADIN2111を使えば、リング形式やライン形式といったネットワークも実現できるようになる。「センサーを数珠つなぎ(デイジーチェーン)で接続したい」などの要求に応えられる。
具体的な用途としては、ビル管理システムや工場の自動化(ファクトリー・オートメーション)、モーターや機械の状態監視システムなどが挙げられる。
アナログ・デバイセズでは、32ビット・マイコン「MAX32650」「MAX32690」を中心に、ADIN1110やADIN2111を1枚のプリント基板に搭載した評価ボードを複数用意している。その中でも「AD-SWIOT1L-SL」は、リモートI/O用途に向けたものである。

リモートI/Oなどの用途に向けたものだ。ADIN1110のほか、32ビット・マイコン「MAX32650」、シングルペアPoE用受電(PD)コントローラーIC「LTC9111」などを搭載
遠隔地にある被測定物の動作状態を測定し、その結果をイーサネット経由でマスターに送信することが可能になる。さらにアナログ・デバイセズでは評価用ソフトウェアもオープンソースで提供しているため、ユーザーは手軽に活用できる。
評価ボードには、4つの測定チャネルを備えている。例えば、被測定物の電圧入力/出力端子、電流入力/出力端子、デジタル信号入力/出力端子、測温抵抗体(RTD)に対する測定端子として利用できる。測定結果はマスターに対して送信することが可能だ。これを使えば、工場やプラントのネットワークを構成する末端の産業用センサーまで手軽にデジタル化できる。
さまざまなマイコンと組み合わせられる
本記事作成時点において、10BASE-T1L(T1L)の標準仕様に準拠したイーサネットMAC-PHYデバイスとネットワーク・スイッチICを製品化しているのはアナログ・デバイセズだけである。一部の半導体メーカーがT1Lに対応したPHYデバイスを製品化しているが、電子機器に組み込むにはその前段にイーサネットMAC内蔵マイコンを用意しなければならない。
一方、アナログ・デバイセズのMAC-PHYデバイスとスイッチICは、SPIインターフェースで接続するため、さまざまなマイコンと組み合わせることができる。採用するマイコンの選択肢が大幅に広がるわけだ。
これまで本シリーズでは、アナログ・デバイセズのマイコン分野における事業戦略や統合開発環境、製品ポートフォリオ、コア・コンピタンス戦略を解説してきた。ただし、こうした取り組みは始まったばかりである。これからも、マイコン製品のポートフォリオはさらに強化され、統合開発環境はより使い勝手が高まり、アプリケーションへの採用事例は増加の一途をたどるだろう。そして、そうした取り組みの積み重ねが、インテリジェント・エッジの先にあるフィジカル・インテリジェンス――現実世界と知能をより深く結びつけるステージ――を支える基盤にもなっていく。



