質問:
理論上は 1°未満の精度で傾きを測定できる民生グレー ドの加速度センサーの使用を考えています。温度の変化 や振動が存在するケースでも、同様の精度は得られるも のでしょうか?
回答:
おそらく、答えは「ノー」です。傾きの測定精度に関する質問に対しては、いつも答えに窮してしまいます。MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)ベースのセンサーの性能については、多くの環境要因を考慮しなければならないからです。通常、民生グレードの加速度センサーを使う場合、動的な条件下で 1°未満の傾きを検出するのは容易ではありません。このことを理解していただくために、民生グレードの汎用加速度センサーと、低ノイズ、低ドリフト、低消費電力の次世代 MEMS加速度センサーを比較してみます。特に、傾きを計測するアプリケーションによくある誤差要因に着目し、それらを補償したり除去したりすることができるか否かを確認してみましょう。
誤差の中には計測が可能なものがあります。ゼロ g バイアスの誤差、はんだ付けによるゼロ g バイアスのシフト、プリント基板用エンクロージャのアラインメントによるゼロ g バイアスのシフト、ゼロ g バイアスの温度係数、感度の誤差と温度係数、非線形性、他軸感度などです。これらについては、アセンブリ後に補正処理を行うことで削減することが可能です。一方、そうした補正では対処できない誤差もあります。ヒステリシス、時間の経過に伴うゼロ g バイアスのシフトや感度のシフト、湿気によるゼロ g バイアスのシフト、長年の温度の変化によるプリント基板の曲がりやねじれなどです。また、これらの誤差を削減するには、現場におけるある程度の保守作業が必要になります。本稿では、他軸感度、非線形性、感度は補償されていると仮定して比較を行います。これらは、オフセットの温度ドリフト、振動整流と比べて、ほとんど労力をかけずに最小限に抑えられるからです。
表 1 は、民生グレードの加速度センサー「ADXL345」の理想的な性能と、それに対応する傾きの誤差についてまとめたものです。傾きの測定精度をできるだけ高めるには、何らかの方法で周囲温度を安定させたり、補償を加えたりする必要があります。この例では、温度は 25°Cで一定であると仮定しています。完全に補償することができない大きな誤差要因は、温度の変化する環境におけるオフセット、バイアスのドリフト、ノイズです。通常、傾きの計測が必要になるアプリケーションでは、必要な帯域幅が 1 kHz を超えることはありません。そのため、ノイズについては帯域幅を狭めることで削減を図ることができます。
センサーのパラメータ | 性能の代表値 | 条件/注釈 | 代表値〔g〕 | アプリケーションにおける傾きの誤差〔°〕 |
ノイズ | X/Y 軸、290 µg/√Hz | 帯域幅は6.25 Hz | 0.9 mg | 0.05° |
バイアスのドリフト | アラン偏差 | 短期間(例えば10 日間) | 1 mg | 0.057° |
初期オフセット | 35 mg | 補償なし | 35 mg | 2° |
補償あり | 0 mg | 0° | ||
誤差 | 補償なし | 帯域幅は6.25 Hz | 36.9 mg | 2.1° |
誤差 | 補償あり | 帯域幅は6.25 Hz | 1.9 mg | 0.1° |
続いて、低ノイズ、低ドリフト、低消費電力の「ADXL355」について見てみます。表 2 に、表 1 と同じ条件下における ADXL355 の性能をまとめました。短い期間が経過した後のバイアス値については、ADXL355のデータシートに記載されたアラン偏差( Root AllanVa r i a n c e) のプロットから推定しました。25°C において補償された傾きの精度は、民生グレードの ADXL345で 0.1°、産業グレードの ADXL355 で 0.005°となります。両製品を比較すると、大きな誤差要因であるノイズによって生じる影響は ADXL345 では 0.05°です。それが ADXL355 では 0.0045°に大幅に削減されています。また、バイアスのドリフトの影響を見ると、ADXL345では 0.057°、ADXL355 では 0.00057°となっています。つまり、MEMS ベースの容量型加速度センサーであるADXL355 では、ノイズ、温度係数、オフセット、バイアスのドリフトに関して大幅に性能が向上しているということです。この製品であれば、動的な条件下でも傾きの測定において高いレベルの精度が得られます。
センサーのパラメータ | 性能の代表値 | 条件/注釈 | 代表値〔g〕 | アプリケーションにおける傾きの誤差〔°〕 |
ノイズ | 25 µg/√Hz | 帯域幅は6.25 Hz | 78 µg | 0.0045° |
バイアスのドリフト | アラン偏差 | X/Y軸、短期間(例えば 10 日間) | <10 µg | 0.00057° |
初期オフセット | 25 mg | 補償なし | 25 mg | 1.43° |
補償あり | 0 mg | 0° | ||
総合誤差 | 補償なし | 帯域幅は6.25 Hz | 25 mg | 1.43° |
総合誤差 | 補償あり | 帯域幅は6.25 Hz | 88 µg | 0.005° |
特に、アプリケーションで求められる傾きの測定精度が1°未満である場合、グレードの高い加速度センサーを選択するのは、必要な性能を実現するうえで非常に重要なことです。アプリケーションで得られる精度は、アプリケーションの稼働条件(大きな温度の変動、振動)、選択したセンサー(民生グレードか、産業グレードか、軍用グレードか)によって異なります。ADXL345 の場合、1°未満の精度で傾きを測定するには、大がかりな補償/補正の処理が必要になります。そのため、システム開発における全体的な工数やコストが増加します。また、最終的な稼働環境における振動の大きさや温度の変動範囲によっては、そのような精度は達成できない可能性もあります。例えば、温度が 25℃から 85℃に変化する場合、オフセットの温度ドリフトは 1.375°となり、傾きの精度が 1°未満という要件を超えてしまいます(以下参照)。
一方、ADXL355 の場合、25℃から 85℃の変化に対するオフセットの温度ドリフトは次式のようになります。
振動整流誤差(VRE: Vibration Rectification Error)は、加速度センサーが広帯域の振動を検知した時に引き起こされるオフセット誤差です(表 3)。温度の変動によるゼロ g オフセットやノイズの影響に比べ、加速度センサーが振動を検知した際、VRE によって傾きの測定値にはかなり大きな誤差が生じます。これがデータシートに記載されたとおりの値が得られなくなる主な要因の 1 つです。他の主要な仕様については、非常に容易に対応を図ることができます。
傾きの最大誤差ゼロ g オフセットの温度依存性〔°/°C〕 | ノイズ密度〔°/√HZ〕 | 振動整流〔°/g2rms〕 | |
ADXL354 | 0.0085 | 0.0011 | 0.0231 |
ADXL355 | 0.0085 | 0.0014 | 0.0231 |
より振動の大きい環境では、オフセットの原因となるクリッピングを最小化するために、g の測定範囲が広い加速度センサーを使用することが不可欠です。表 4は、ADXL35x の各製品について、g の測定レンジと帯域幅をまとめたものです。
品番 | 測定レンジ〔g〕 | 帯域幅〔kHz〕 |
ADXL354B | ±2, ±4 | 1 |
ADXL354C | ±2, ±8 | 1 |
ADXL355B | ±2, ±4, ±8 | 1.5 |
ADXL356B | ±10, ±20 | 1.5 |
ADXL356C | ±10, ±40 | 1.5 |
ADXL357B | ±10.24, ±20.48, ±40.96 | 1 |
傾きの計測を必要とするアプリケーションでは、ADXL35x を選択することにより、高い安定性と再現性に加え、温度変動や広帯域振動に対する堅牢性が得られます。そのため、低価格の加速度センサーを使用する場合と比べて補償や補正の必要性が低くなります。ADXL35xは密封型のパッケージを採用しているので、工場からの出荷後、長期間にわたって、再現性と安定性の仕様を満たすことが保証されます。アナログ・デバイセズの次世代加速度センサーを使用すれば、あらゆる条件の下、高い再現性で傾きを計測できます。厳しい環境下でも大がかりな補正処理を行うことなく、傾きの測定誤差を最小化することが可能です。また、配備後に行うべき補正処理も最小限に抑えることができます。