はじめに
ゼロ IF アーキテクチャを採用すれば、いくつかの大きなメリットを得ることができます。しかし、同アーキテクチャを使いこなすうえでは、いくつかの課題に対処しなければなりません。そうした課題の1 つが、送信側に生じる LO リーク(LOL: Local Oscillator Leakage)です。この送信LOL を適切に補正しなければ、伝送信号に不要な放射が存在することになり、システムの仕様を満たせなくなる可能性があります。本稿では、この送信LOL の問題について解説します。そのなかで、具体的な例として「AD9371」をはじめとするアナログ・デバイセズのトランシーバ製品ファミリー「RadioVerseTM」を取り上げます(詳細については RadioVerse のウェブ・ページをご覧ください)。このファミリーの製品は、送信LOL を除去するための機能を備えています。システムの性能に問題が生じないレベルまで送信 LOL を低減することができれば、その問題を笑い飛ばせる(LOL: laugh out loud)ようになるかもしれません。
LOL とは?
図 1 に示すように、RF ミキサーには 2 つの入力ポートと1 つの出力ポートがあります。理想的なミキサーでは、2 つの入力の積が出力されます。図に示した信号周波数で言えば、出力は FIN + FLOと FIN - FLOになり、それ以外の成分は生じません。いずれかの入力が存在しない場合には出力は得られません。

図 1 において、FINは 1 MHz のベースバンド周波数FBB、FLOは 500 MHz の局部発振周波数 FLOに設定されています。この場合、ミキサーが理想的なものであれば、499 MHz と 501 MHz の 2 つのトーンから成る出力が生成されます。しかし、現実のミキサーでは、図 2 に示すように FBBと FLOにもわずかにエネルギーが現れます。これらのうち、FBBのエネルギーは、所望の出力から離れた位置にあります。そのため、ミキサー出力の後段でRF 部品によって除去できるので、無視することが可能です。一方、FLOのエネルギーは問題になる可能性があります。これは所望の出力信号に非常に近い位置にあり、フィルタで除去することができません。フィルタを使用すると、所望の信号も除去されてしまうからです。FLOに現れるこの不要なエネルギーが LOL と呼ばれるものです。これは、ミキサーを駆動する局部発振器(LO)から、ミキサーの出力ポートに漏れ出たリーク成分だと表現することができます。電源やチップを介したものなど、LO から出力へのリークの経路についてはいくつかの可能性が考えられます。どの経路によって生じたのかにかかわらず、全てを LOL と呼びます。

1 つのサイドバンドのみを伝送するリアル IF アーキテクチャでは、RF フィルタによって LOL に対処することができます。しかし、両方のサイドバンドを伝送するゼロ IF アーキテクチャでは、LOL が所望の出力の中央に現れます。そのため、LOL をフィルタで処理するのは困難です(図 3)。実際、従来型のフィルタを適用することはできません。LOL を除去するためのフィルタによって、必要な信号の一部も除去されてしまうからです。したがって、LOL は別の手法で除去する必要があります。仮に LOL を除去することなく放置したとすると、所望の伝送信号に不要な放射が存在してしまうことになります。

LOL の除去
LOL の除去(LOL の補正)は、LOL と振幅が同じで位相が逆の信号を生成し、LOL をキャンセルすることによって行います(図 4)。LOL の正確な振幅と位相がわかっていれば、トランスミッタの入力に DC オフセットを適用することで補正用の信号(キャンセル信号)を生成することができます。

キャンセル信号の生成
複素ミキサーのアーキテクチャは、キャンセル信号の生成に適しています。ミキサー内に、LO 周波数(LO の発振周波数)の直交信号が存在するからです。この直交信号は、複素ミキサーの動作の中核を担います1。この信号を利用すれば、任意の振幅と位相を持つ LO 周波数の信号を生成できます。
複素ミキサーを駆動するLO周波数の直交信号は、sin(LO)とcos(LO) として表すことができます。これらの直交信号によって、2 つのミキサーが駆動されます。キャンセル信号を生成するには、これらの直交信号を異なる重みづけで加算します。数式で表すと、I × sin(LO) + Q × cos(LO) の出力を生成するということです。I と Q の部分に符号付きの異なる値を代入することで、任意の振幅と位相を持つ LO 周波数の信号が得られます(図 5)。

トランスミッタの入力には、所望の伝送信号を印加します。伝送データに DC バイアスを加えると、ミキサーの出力には所望の伝送信号に加えて、所望のキャンセル信号が含まれることになります。意図的に生成されたこのキャンセル信号が、不要な LOL と結合し、互いに打ち消し合うことによって、所望の伝送信号だけを得ることができます。
送信 LOL の観測
送信 LOL は、図6 に示すように観測用のレシーバを使うことで観測できます。この例では、観測用のレシーバにトランスミッタと共通の LO を適用しています。そのため、LO 周波数における送信エネルギーは、観測用のレシーバの出力において DC として現れます。

図 6 に示した方法には、本質的な欠点があります。送信と観測に同じ LO を使用していることから、送信 LOL は観測用のレシーバの出力において DC として現れます。観測用のレシーバでも、回路で使用している部品の不整合に起因して、いくらかの DC 成分が生成されます。そのため、観測用のレシーバが出力する DC 成分は、送信LOL と、観測用レシーバに内在する DC オフセットの和になります。この問題を解決する方法はいくつかあります。なかでも、異なる LO 周波数で観測を行い、観測経路に内在する DC 成分を、送信 LOL の観測結果から分離するというのが望ましい方法だと言えます(図 7)。

この方法では、送信用 LO とは異なる周波数で伝送の観測が行われます。そのため、送信用 LO の周波数に現れるエネルギーは、観測用のレシーバにおいて DC 成分にはなりません。送信用 LO と観測用 LO の差分の周波数にベースバンド・トーンとして現れます。観測経路に内在する DC 成分は先ほどの方法と同様に DC として現れます。そのため、観測経路の DC 成分と送信 LOL の測定結果は完全に分離されます。図 8 は、この概念の詳細を示したものです。わかりやすいように、シングルミキサーのアーキテクチャを例にとっています。この例では、トランスミッタへの入力はゼロなので、トランスミッタから出力されるのは送信 LOL のみとなります。観測用レシーバの後段で周波数シフトを行うことにより、観測した送信 LOL のエネルギーが DC の位置に移動されます。

必要な補正値の算出
送信 LOL の補正を実施するために必要な値を算出するには、まず、観測用レシーバの出力を、トランスミッタの入力から観測用レシーバの出力までの伝達関数で除算します。その結果を、意図した伝送と比較することで必要な補正値を得ることができます。図 9 に示したのは、伝達関数の存在を盛り込んだ概念図です。

トランスミッタのベースバンド入力から観測用レシーバのベースバンド出力までの伝達関数は、振幅の変動と位相の回転という2 つの要素で構成されます。以下、それぞれについて説明します。
まず、振幅の変動についてです。送信出力から観測用レシーバの入力までのループバック経路では、増幅/減衰が生じるケースがあります。あるいは、トランスミッタの回路と観測用レシーバの回路でゲインが異なる場合、観測用レシーバで観測された送信信号の振幅は、実際に送信された送信信号の振幅とは異なる可能性があります(図 10)。

次に、位相の回転について考えます。認識すべきは、信号は瞬時に A 点から B 点まで到達するわけではないということです。例えば、銅を伝送媒体とする信号の速度は光速の約半分です。銅線によって 3 GHz の信号を伝送する場合、その信号の波長は約 5 cm になります。例えば、オシロスコープの複数のプローブを数 cm の間隔で銅線上に配置したとします。その場合、オシロスコープでは、互いに位相がずれた複数の信号が観測されるはずです。図 11 は、オシロスコープの3 本のプローブを、間隔をあけて銅線上に配置した様子を表しています。各点で観測される信号の周波数はいずれも 3 GHz ですが、位相はそれぞれ異なります。
オシロスコープの 1 本のプローブを銅線上で動かしたのでは、こうした様子は観測されません。オシロスコープは必ず 0°の位相でトリガします。複数のプローブを使用しなければ、距離と位相の関係は観測できません。

銅線上で位相が変化するのと同様に、トランスミッタの入力から観測用レシーバの出力までの間でも位相が変化します(図 12)。LOL を補正するためのアルゴリズムで使用する補正値を正しく計算するには、位相がどれだけ回転するのか把握する必要があります。

トランスミッタの入力から観測用レシーバの出力までの伝達関数の算出
トランスミッタに入力を印加し、それを観測用レシーバの出力と比較すれば、伝達関数を求められるはずです(図 13)。ただし、注意すべきことがいくつかあります。静的な(DC)信号をトランスミッタの入力に印加した場合、送信用 LO の周波数で出力が生成され、送信LOL がそれに結合します。この結合が生じると、伝達関数を正しく求めることができません。また、送信出力がアンテナに接続されているケースがあります。その場合、トランスミッタの入力に意図的に信号を印加することができません。

このような問題に対処するために、アナログ・デバイセズのトランシーバ IC は、送信信号に低レベルの DC オフセットを適用するアルゴリズムを採用しています。そのオフセットのレベルは定期的に調整され、その揺らぎは観測用レシーバの出力に現れます。続いて、入力値の差分を観測値の差分と比較した結果がアルゴリズムによって解析されます。表 1 はその概要を示したものです。この例には、ユーザーの送信信号は含まれていません。ただ、ユーザーの送信信号が存在する場合でもこの手法は利用できます。
送信入力信号 | 送信出力ポート | 観測用レシーバの出力 | |
ケース 1 | DC オフセット 1 | TxLO 1 + Tx LOL | (TxLO 1 + Tx LOL) × [伝達関数] |
ケース 2 | DC オフセット 2 | TxLO 2 + Tx LOL | (TxLO 2 + Tx LOL) × [伝達関数] |
2 つのケースの差をとることにより、両者に共通する送信 LOL の項が消去され、伝達関数を求めることができます。ケースの数を 3 つ以上に増やし、多数の独立した結果の平均をとれば、より精度を高めることも可能です。
まとめ
LOL を補正するためのアルゴリズムでは、トランスミッタの入力から観測用レシーバの出力までの伝達関数を使用します。その伝達関数で観測用レシーバの出力を割ることにより、トランスミッタの入力を基準とする値を算出します。意図した伝送による DC レベルと観測されたDC レベルを比較することによって、送信 LOL を計算することができます。最後に、送信 LOL の除去に必要な補正値を計算し、それを所望の伝送データに対する DC バイアスとして適用します。
本稿では、アナログ・デバイセズのトランシーバ IC である RadioVerse を取り上げました。この製品ファミリーに適用されているアルゴリズムの 1 つの側面を理解していただけたはずです。ゼロ IF アーキテクチャとそれに関連するアルゴリズムについては、複素 RF ミキサーに関する記事1 も参照してください。