概要
MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)ベースのジャイロスコープを使用すれば、回転運動の角速度を簡単に測定できます。また、多くの場合、MEMSジャイロスコープのパッケージとしては、プリント回路基板に容易に実装できるものが使われています。こうした理由から、MEMSジャイロスコープは、さまざまなモーション制御システムで帰還制御に使用するセンサー素子として広く採用されています。ただし、MEMSジャイロスコープの出力である角速度の信号には、多くの場合ノイズが含まれます。このノイズによって、プラットフォームの安定性をはじめとするシステムの重要な動作に影響が及ぶ可能性があります。つまり、MEMSジャイロスコープのノイズは、制御システムが実現できる精度を決定する要因になるということです。言い換えれば、システム設計者にとって、ノイズの大きさは新たなモーション制御システムを開発する際に考慮すべき重要な指標になります。コンセプトやアーキテクチャの設計を行う段階では、ノイズの大きさについて次の作業を行うことが非常に重要になります。それは、ポインティング精度(pointing accuracy)といったシステム・レベルの重要な指標を、MEMSジャイロスコープのデータシートに記載されているノイズの値に変換することです。ジャイロスコープのノイズとシステムの精度の関係を理解すれば、帰還制御に使用するセンサー素子に関する要件を明確化したり、特定のジャイロスコープのノイズを使用した場合のシステム・レベルの応答を分析したりすることが可能になります。ジャイロスコープのノイズとシステムの関係についてシステム設計者が十分に理解すれば、角速度を利用した帰還ループにおけるノイズの振る舞いについて把握することができます。その結果、以下の2つの事柄に注力することが可能になります。1.MEMSジャイロスコープを選択するにあたって最適な基準を作成する。2.センサーからの信号に対する積分処理を行っても、ノイズ性能を維持できるようにする。
モーション制御の基礎
重要なのは、MEMSジャイロスコープにおけるノイズの振る舞いと、それがシステムの主要な動作に与える影響について把握することです。それにより、システムの動作についても深く理解することができます。図1に示したのは、モーション制御システムのアーキテクチャの例です。この図では、主な構成要素を機能ブロックとして表しています。この種のシステムは、慣性運動の影響を受けやすい作業者や装置に向けて安定性の高いプラットフォームを構築するための機能を提供します。具体的なアプリケーションの例としては、自動運転車向けのプラットフォームで使われるマイクロ波アンテナ向けのシステムがあります。そうしたプラットフォームは、不安定な状況下では自動車の方向を急激に変化させてしまうほどの速度にも対応する必要があります。そのようなプラットフォームで使われる指向性の高いアンテナについては、恐らくポインティング角をリアルタイムで制御する必要があります。さもなければ、そのような慣性運動の下で連続的な通信をサポートすることはできないはずです。
図1のようなサーボ・モーターを使用するシステムは、理想的には、システムの他の部分の回転とは逆向きで同じ速度の回転動作を行います。ここでは、安定性を実現するプラットフォームの回転速度φ Gを監視するMEMSジャイロスコープを起点とし、帰還ループについて考えてみることにします。このジャイロスコープが計測した角速度の信号は、特定のアプリケーション向けのフィルタ処理、キャリブレーション、アラインメント、積分の各処理を実行するデジタル信号処理部に送られます。それにより、方向を表すリアルタイムの帰還信号φ Eが生成されます。サーボ・モーターの制御信号φ CORは、この帰還信号と、指定された方向φCMDの比較に基づいて生成されます。φCMDの値は、中央の制御システムから送られることもありますし、単にプラットフォーム上の装置の最適な動作をサポート可能な方向の値である場合もあります。
アプリケーションの例
続いては、図1に示したモーション制御システムのアーキテクチャとは異なる視点から考えを進めてみましょう。特定アプリケーション向けの物理属性ついて解析を行えば、価値ある定義や洞察を得ることができます。図2に示したのは、生産ライン用の自動検査システムの概念図です。このシステムでは、カメラを利用することにより、ベルト・コンベヤ上の物体の検査を行います。検査の対象となる物体は、一度カメラの視界に入った後、視界の外に出るというかたちで移動することになります。カメラは長い支持具によって天井に取り付けられています。それにより、図2でDとして示した高さが決まります。取り付けにあたっては、検査の対象物の寸法に応じて視野を最適化するようにします。工場内には多くの機械類が存在し、さまざまな作業が行われます。そのため、カメラは時々振動することがあり(図2のωSW(t))、それによって検査に使用する画像に歪みが生じます。図中の赤色の点線は、振動によって生じるトータルの角度誤差である± φSWを誇張して表したものです。一方、緑色の点線は、システムの画像品質の目標である±φREを満たすレベルの角度誤差を表しています。図2における視野によって、検査面上の線形変位誤差dSW、dREの観点から、システム・レベルの主要な測定基準(画像の歪み)を定義できます。これらの属性は、式(1)に示したように簡単な三角関数を使用することで、カメラの高さD、角度誤差φSW、φREに関連づけられます。
この種のシステムで最もよく使用されるモーション制御技術は、画像安定化(イメージ・スタビライゼーション)として知られています。初期の画像安定化システムでは、ジャイロスコープを使用した帰還システムによって、シャッターが開いている間に画像センサーの方向を調整するサーボ・モーターを駆動していました。MEMS技術が登場したことから、この種のシステムのサイズ、コスト、消費電力は大幅に削減されました。現在のデジタル・カメラでは、この技術が広く使用されています。デジタルの画像処理アルゴリズムを使う場合でも、MEMSをベースとする角速度測定は使用されます。しかし、画像処理の技術が大きく進歩したことから、多くのアプリケーションではサーボ・モーターは不要になりました。画像安定化にサーボ・モーターを使用する場合でも、画像ファイルに対して後からデジタル処理を施す場合でも、ジャイロスコープの基本機能(帰還センシング)に変化はありません。したがって、ノイズの影響についても従来と同様の対応が必要になります。以下では、ジャイロスコープと最も関係の深いノイズの原理と、それがこの種のアプリケーションの最も重要な物理属性にどのような影響を及ぼすのか考察します。なお、その内容を簡素化するために、画像センサーと共にサーボ・モーターを使用する旧来の手法に注目することにします。
ARWという概念
MEMSジャイロスコープを使用した角速度の計測には、必ずノイズが伴います。そのノイズはセンサーに固有のものであり、慣性(回転運動)も環境条件(振動や衝撃)も静的な状態でジャイロスコープが動作しているときに出力に現れるランダムな変量のことを指します。MEMSジャイロスコープのデータシートには、ノイズの最も一般的な振る舞いに関する仕様が記載されています。その仕様とは、RND(Rate Noise Density:角速度ノイズ密度)とARW(ARW:Angle Random Walk)です。RNDは、ジャイロスコープの周波数応答に基づいて角速度に関連するトータルのノイズを予測するための簡単な方法を提供します。通常、その単位としては°/s/√Hzが使用されます( s はsec、つまりは秒を表す)。一方、ARWの単位としては通常は° / √ h o u rが使用されます。ARWは、一定の時間内における角度を予測する際、ノイズの影響を解析するうえで役立ちます。式(2)は、角速度の測定に基づいて角度を推定するための一般的な式です。併せて、RNDとARWの関係を表す簡単な式も示しています。この関係は、IEEE STD 952-1997(付録C)に記された関係式に、ある程度適合(片側FFT対両側FFT)します。
ARWが示す振る舞いについての議論するうえでは、図3に示したグラフが役立ちます。緑色の点線は、ジャイロスコープのRNDが0.004°/ s / √ H zのときのARWの振る舞いを表しています。ARWの値は0.17 ° / √hourです。実線は、このジャイロスコープの出力を25msにわたって積分した結果です(6回計測した結果)。角度誤差は時間に対してランダムな性質を持っています。ARWは、角度誤差について特定の時間積分を行った場合の統計的な分布を推定する際に有用です。また、この種の応答では、積分処理における初期のバイアス誤差を排除するために、ハイパス・フィルタを使用することを前提としている点に注意してください。
ここで、図2のアプリケーション例に話を戻します。式( 1 ) と式( 2 ) を組み合わせると、MEMSジャイロスコープのデータシートに一般的に記載されているノイズ性能の基準であるRND、ARWと、検査面の物理的な歪みという重要な基準を関連付けることができます。ここでは、積分時間τが画像の取り込み時間に等しいと仮定します。すると、簡素化された別の式が得られます。式(3)に示すように、式(1)の一般的な関係を適用すると、カメラが検査面から1m(D)離れていて、許容可能な最大歪み誤差が10μm(dRE)である場合には、ジャイロスコープの角度誤差φREは0.00057°よりも小さくなければならないと推定できます。
式(4)を使えば、式(3)の結果と式(2)の一般的な関係を組み合わせて、特定の状況におけるMEMSジャイロスコープのARWとRNDに関する要件を予測することができます。ここでは、画像の取り込み時間が35msであり、それが式(2)の積分時間τに等しいと仮定しています。そのうえで、この要件に対応するには、ジャイロスコープのARWは0.18 ° / √ hour未満でなければならない、あるいはRNDは0.0043 ° / s / √ H z未満でなければならないと予測しています。もちろん、これはARWとRNDに対する唯一の要件ではないかもしれません。しかし、この簡潔な関係は、既知の要件や条件との関係を表す一例であることは間違いありません。
角速度とノイズ、帯域幅
連続的なポインティング制御を提供するシステムでは、ARWとの関係を利用するための固定の積分時間が存在しないこともあります。そのため、角速度を基にノイズの影響を評価したいと考えるシステム開発担当者もいるかもしれません。角速度を基にノイズを評価する場合には、RNDとジャイロスコープのシグナル・チェーンの周波数応答について考察する必要があります。多くの場合、ジャイロスコープの周波数応答はフィルタ処理から大きな影響を受けます。フィルタ処理は、ループの安定性の基準や、振動などの環境要因によるセンサーの不要な応答の除去に向けたアプリケーション固有の要件に対応するために使われます。式(5) は、特定の周波数応答(ノイズの帯域幅)とRNDに関連するノイズの簡単な推定方法を示したものです。
ここで、RNDは角速度ノイズ密度( 単位: °/ s / √ H z) 、fNBWはノイズ帯域幅(単位:Hz)です。RNDの周波数応答が単極または2極のローパス・フィルタのプロファイルに従うとします。その場合、ノイズ帯域幅fNBWは、式(6)に示すようにフィルタのカットオフ周波数fCによって表すことができます。
「ADXRS290」はアナログ・デバイセズが提供するジャイロスコープであり、そのRNDは0.004°/s/√Hzです。図4に示したのは、ADXRS290のノイズ応答です。青色の曲線は、カットオフ周波数が2 0 0 H z の2極ローパス・フィルタを使用したときのノイズ応答です。一方、緑色の曲線はカットオフ周波数が20Hzの単極ローパス・フィルタを使用したときのノイズ応答を表します。式(7)は、それぞれのフィルタにおけるトータルのノイズを求めるための計算式です。予想どおり、カットオフ周波数が200Hzのフィルタの方が同20Hzのフィルタよりノイズは大きくなります。
システムにカスタムのフィルタ処理が必要で、その周波数応答H DF( f )が式(6)や式(7)のような単純な単極/2極のモデルには合致しないケースがあります。そうした場合には、一般的な関係を表す式(8)によってトータルのノイズを予測することができます。
ジャイロスコープのフィルタは、トータルの角速度ノイズに影響を与えるだけでなく、ループ応答全体における位相遅延の一因にもなります。そのため、ユニティ・ゲイン・クロスオーバー周波数における位相余裕にも影響が及びます。この位相余裕は、帰還制御システムにおけるもう1つの重要な性能指標です。カットオフ周波数がf Cの単極フィルタにより、制御ループの周波数応答におけるユニティ・ゲイン・クロスオーバー周波数f Gで位相遅延θが生じるとします。その場合、位相遅延θは式(9)によって求められます。式(9)では、ユニティ・ゲイン・クロスオーバー周波数は20Hzとしています。そのうえで、フィルタのカットオフ周波数が200Hz、60Hzの場合の各位相遅延を求めています。位相余裕に対するこのような影響を考慮し、ジャイロスコープの帯域幅はユニティ・ゲイン・クロスオーバー周波数の10倍以上確保するようにします。また、必要なRNDに対応するMEMSジャイロスコープを選択する場合、帯域幅はさらに重視される可能性があります。
最近の制御システムでは、制御ループの重要な周波数における位相遅延を予測できるようにするために、モデルの異なるデジタル・フィルタを使用することが多くなっています。例えば、式(10)はアップデート・レートが4250SPS( サンプル/秒) のADXRS290において、同じ20Hzのユニティ・ゲイン・クロスオーバー周波数fGで動作する16タップのFIRフィルタ(NTAPはタップ数)の位相遅延θを予測するための式です。このような関係式は、システムのアーキテクチャが許容できるフィルタのタップ数を決定する際に役立ちます。
まとめ
角速度を使用する帰還ループにおいて、ノイズはモーション制御システムの主要な性能に直接影響を及ぼす可能性があります。そのため、新たにシステムを設計する際には、できるだけ早い段階でこの点について検討を行う必要があります。角速度ノイズがシステム・レベルの振る舞いにどのくらいの影響を与えるかを定量化できる設計者は、ノイズは小さくなければならないということだけを知っている設計者と比べて大きな強みを持っていることになります。そうした設計者であれば、アプリケーションにおいて注目すべき価値を生み出すために必要な性能目標を適切に設定することができます。また、他のプロジェクトで特定のMEMSジャイロスコープの検討を進めているときに、システム・レベルの影響を定量化することができれば、それによって優位性を得ることも可能です。システム設計者は、基本的な知識を習得すれば、帯域幅やRND、ARWを活用して検討を進め、性能要件を満たすMEMSジャイロスコープを見極めることに集中できます。加えて、選択したセンサーのノイズ性能を最適化することに注力しつつ、帯域幅(角速度ノイズ)と積分時間(角度誤差)の関係を使用し、アプリケーションの性能を決めるシステム・レベルの他の指標についても検討を進めることが可能になります。