これまで、高調波測定装置は高価で、広く量産されるメーターに容易に組み込めるものではありませんでした。そのため、送電網の高調波汚染解析の実施は困難で、訓練されたオペレータによって特定の場所で時々行われるだけでした。しかし、小さくて手頃なチップに多くの信号処理機能が集積されるようになった今日では、送電網の効率的な利用と監視が可能になりました。
過去数十年にわたって、非直線特性を持つ電源システムが急激に増加し、深刻な高調波汚染をもたらしてきました。これによる悪影響としては、電気機器の過熱と早期劣化、伝送ラインでの損失増加、保護リレーの誤動作などが挙げられますが、これらはほんの一例に過ぎません。
こうした背景から、電力網の管理を改善するための取り組みに注目が集まっています。最善の解決策の1 つは、グリッドの全体に、長期間の測定/解析ができるポイントをより多く設置することです。このような要件を満たす最善のデバイスであれば、現在世界中で加速度的に配備されつつあるスマート電力量計に組み込むことが可能になります。メーター向けのASIC は、電力計測と高調波解析の機能を兼ね備えており、まさに時宜を得た製品といえます。しかし、スペクトル解析の実現に必要なデジタル信号処理を、低コスト/低消費電力/小さなパッケージが求められる半導体の上で実現させることは、容易な作業ではないことに注意してください。ここでは、これらすべての要件を満たすためのDSPアーキテクチャを用いたソリューションについて説明します。
基本周波数の予測とスペクトル成分の抽出
送電網上で絶えず変化する負荷と一定に維持される発電出力が動的にバランスをとるために、1 次電源周波数は、高負荷時にはわずかに低下し、負荷が下がるとわずかに上昇します。周波数シフトの量は、高度な機能を備え厳重に監視された送電網を有する国ではかなり小さいのですが、網の制御が十分でない地域では電気機器に影響を与えるほどの大きさになることがあります。こうした問題に対処するため、さまざまなパラメータ(精度、速度、ノイズ、高調波耐性など)の最適化を軸とするもっとも効果的な周波数監視手法を見つけるための研究に多大な努力が払われてきました。
電力網の周波数は、電源システムの安全性、安定性、効率にとって、電流や電圧と同じくらい重要な操作パラメータです。信頼性の高い周波数測定は、効果的な電力制御、負荷制限、負荷復旧、システム保護を実現する上で必要不可欠です。
周波数の検出と予測には、多くの方法があります。たとえば、ゼロ交差法では、2 つの連続したゼロ交差ポイント間の時間間隔を測定することによって周波数を検出します。この方法の利点は、きわめて簡単に実装できることです。しかし、低精度であり、高調波、ノイズ、DC 成分などの影響を受けやすいという欠点があります。DFT ベースのアルゴリズムは、サンプリング系列を使用して周波数を予測できますが、入力信号の高調波の影響を強く受けます。そこで、このDSP アーキテクチャにおいては、デジタルPLL をベースにした手法の研究を進め、効率的で強いノイズ耐性を備え、きわめて正確な周波数予測を実現しました。
図1 に、標準的なデジタルPLL 構造とその3 つの主要ブロックを示します。位相誤差検出器の出力を受信したループ・フィルタは、さらにデジタル発振器を制御して位相誤差を最小限に抑えます。これにより、最終的に入力信号の基本周波数を予測する値が算出されます。制御ループは、標準的な電力網の周波数の範囲(45Hz~66 Hz)で最高のロック・パラメータ性能が得られるよう最適化されています。
スペクトルから抽出される成分の正確な周波数が判明すれば、そこから得られるさまざまな選択肢を検討することができます。サンプリング・システムでのスペクトル解析の場合、時間領域から周波数領域への信号マッピングのツールとしては、離散フーリエ変換(DFT)が考えられます。その実装には複数の数値アルゴリズムと処理アーキテクチャがあり、その中ではFFT が最も有名です。抽出される情報の量と必要なDSP リソースの量を考慮した場合、これらの手法にはそれぞれに利点と欠点があります。
電圧と電流を表すために複素平面上でフェーザを使用するAC電源システムの理論は、スペクトル成分を同様の形式で扱うDFTの一つの手法とよく馴染みます。基本的に、対象となる周波数でDFT の数式をそのまま実行すれば、確かに結果を得ることができます。しかし、測定のリアルタイム性を得るためには、DFTの数式から和の要素を取得する再帰的方法を用いました。使うことができるDSP のリソースに応じて、いくつかの手法が存在しますが、その際、留意すべき点は、ノイズに起因するスペクトル漏れと誤差を最小限に抑制することです。
図2 のブロック図は、スペクトル成分の抽出がどう行われるかを示します。
ある位相でサンプリングされた電圧と電流は、基本周波数の値とともに、結果をフェーザとして出力する演算ブロックに通されます。基本周波数とユーザが選択可能ないくつかの高調波周波数のそれぞれに、一対のフェーザが得られます(電圧と電流)。これらの値を元に、電力理論から既知の方法を適用してrms 値と電力を導出することができます。rms 値はこれらのフェーザの大きさに等価であり、皮相電力はこれらの大きさの積に等しくなります。電流のフェーザをそのまま電圧に投影し、この2 つを乗算することによって、有効電力を得ることができます。分解された電流のもう1 つの直交要素は、再び電圧と乗算されて無効電力を与えます。
ここで、リアルタイム方式の採用によって考えうる利点(動機づけ)について述べてみます。たとえば、トランスにおける突入電流の監視は、このアーキテクチャによってきわめてうまく処理できます。このような励磁突入電流は、鉄心の磁気飽和特性によってトランスの通電時に発生します。その大きさは、最初は定格負荷電流の2×~5×であり(その後はゆっくりと減少)、非常に高い2 次高調波を持ち、4 次と5 次の高調波も有益な情報を持っています。合計rms 電流だけに着目することによって、突入電流が短絡電流と間違えられ、トランスが誤って運転中止にされることがあります。したがって、こうした突入電流か短絡電流かを把握するには、2 次高調波の大きさをリアルタイムで正確に取得することが重要です。こうしたごくわずかな高調波の情報を必要とするときに完全なFFT 変換を適用することは、あまり効率的とはいえません。
高調波成分を選択的に計算するこの方法がFFT 方式に比べ効率的であることを示すもう1 つの例としては、いわゆるトリプレンズ(3 倍高調波)を挙げることができます。これらは、奇数倍の3 次高調波(3、9、15、21、...)であり、特別な注意が必要となる場合があります。電流がニュートラルを流れるグラウンド-Yシステムの場合、これは大きな問題となります。2 つの代表的な問題は、ニュートラルのオーバーロードと電話干渉です。場合によっては、ニュートラル線での3 倍高調波の電圧降下によってラインからニュートラルへの電圧がひどく歪み、このために誤動作が生じる機器も存在します。今回紹介されたソリューションは、すべての相電流の和およびニュートラル電流について、このような高調波だけを監視することができます。
トップレベルのDSPアーキテクチャ
既存のアーキテクチャでは、基本的な公式に基づいて合計rms 値と電力を計算していましたが、そこにこれまで述べたDSP ブロックが追加され、さらに何種類かの電力品質ファクタを計算する素子も組み込まれました。まず、すべての高調波rms 値と基本波rms値の関係を正規化するために高調波歪み(HD)を計算します。次に、合計rms 値と基本波rms 値を使用し、標準的な定義に基づいて全高調波歪み+ノイズ(THD+N)を計算します。最後に、すべての力率が有効電力と皮相電力の比として抽出されます。図3からわかるように、このすべての信号処理は三相に対して並列的に行われます。ただし高調波解析ブロックに関しては、同時に割り当てることができるのは、一相のみです。
高調波力率の演算によって、電力網内で高調波の発生源を突きとめることができます。業界では、高調波の主な発生源を探し出す最善の方法についてまだ議論の最中ですが、古典的な方法の1 つは「有効電力フローの方向」に基づいています。これは、システムの1 つまたはさまざまなポイントにおいて、その特定の高調波周波数での有効電力の徴候を知ることにつながります。歪んだ電圧を供給された線形負荷は、高調波ごとに有効電力を消費します。一方、顧客側に非線形素子が存在する場合、この電力はネットワークに供給されます。これを判定するには、汚染側高調波の電圧と電流の位相角を測定し、その差異を計算します。このDSPアーキテクチャでは、高調波の力率としてこの情報がすでに得られているため、余分な計算は必要ありません。
このDSP アーキテクチャは、8 kHz でサンプリングされた信号と1k ワードのデータ・メモリに対して16 MHz のクロック周波数で動作するシングルMAC アーキテクチャなどのハードウェア・リソースを持つ三相電力計測デバイスに実装されました。基本的な測定値は三相すべてに対して連続的に計算されます。また、高調波アナライザは、所定の相(A、B、またはC)から3 つのランダムな高調波値を連続的に抽出できます。このアーキテクチャはスケーラブルであり、いくつかの性能パラメータは、送電網での既知の動作条件セットに基づいて最適化されます。
すべての高調波成分の値を一度に得られないことは欠点のように見えるかもしれません。しかし、送電網での高調波汚染が最も問題になるのは、準定常現象という観点からであることを考慮する必要があります。実際、工業用および商業用の負荷では、少なくとも1 週間にわたって高調波汚染を解析することが推奨されており、散発的な測定は避けるべきです。このような前提に基づけば、このアーキテクチャの高い融通性によって、3 つすべての相のすべての高調波成分を掃引することでFFT のような結果を実現できます。
結論
これまで、高調波測定装置は高価で、広く量産されるメーターに容易に組み込めるものではありませんでした。そのため、送電網の高調波汚染解析の実施は困難で、訓練されたオペレータによって特定の場所で時々行われるだけでした。小さくて手頃なチップに多くの信号処理機能を集積すれば、こうした現状を劇的に改善して、送電網をより効率的に理解し、より有効活用することができ、公共事業だけでなく消費者の利益につながる道を切り開く可能性を秘めています。ここに紹介したDSPアーキテクチャは、多相市場向けにアナログ・デバイセズの電力計測グループが発表した最新デバイスの1 つ(ADE7880)に組み込まれています。