はじめに
高精度のアナログ・システムでは、電圧リファレンスが重要な役割を果たします。テスト/計測分野やエネルギー分野などでは、高精度の計測システムが必要になります。その種のシステムで使われるA/Dコンバータ(ADC)の分解能/ノイズ・フロアが、電圧リファレンスの性能によって決まることも少なくありません。ICメーカーは、多種多様な電圧リファレンス製品を提供しています。あまりにも選択肢が多いので、設計技術者は困惑してしまうかもしれません。数多くの製品の中から各用途に最適なものを選択するためには、様々な仕様について検討する必要があります。例えば、電圧ノイズ、精度、ドリフト、自己消費電流といった仕様です。あるいは、シリーズ方式なのか、シャント方式なのかということも検討しなければなりません。パッケージについても、ハーメチック・タイプのセラミック、プラスチック、ダイ・パッケージングといった選択肢があります。また、電圧リファレンスを使用する最終製品が期待どおりに動作するかどうかも評価しなければなりません。ノイズ性能として、µV、nVのレベルを目指すこともよくあるでしょう。それを台無しにしてしまうような設計上の落とし穴はたくさんあります。本稿では、プリント回路基板の製造工程全体を対象とし、設計技術者や組み立て技術者が、アナログ性能を維持しながら環境からの影響を回避する方法を探ります。
背景
エレクトロニクスの設計においては、性能の面で様々なトレードオフが必要になります。一般的なアナログ・シグナル・チェーンの場合、アナログ入力に対応するシグナル・コンディショニング回路、ADC、電圧リファレンスなどの要素について検討を行わなければなりません。本稿では、図1に示したようなアナログ入力のセンサー回路を例にとることにします。ADCとしては、100kSPSという中程度の速度で、分解能が16ビットの「AD7988-1」を使用しています。このシグナル・チェーンに適用されたトレードオフと設計に関する選択の詳細については、CN-0255(回路ノート)を参照してください。

このアプリケーションでは、高精度、低消費電力、低ノイズで2.5V出力の電圧リファレンス「ADR4525」を使用しています。同ICは「ADR45xxシリーズ」の製品であり、プラスチック・パッケージを採用しています。初期精度は±0.01%(±100ppm)で、温度に対する優れた安定性を発揮します。また、出力電圧熱ヒステリシスが小さく、長時間出力電圧ドリフトも低く抑えられています。このことから、同ICを採用したシステムの性能は高く維持されます。最大動作電流は950µA、最大ドロップアウト電圧は最大500mVに抑えられているため、携帯型機器に最適です。
高精度のアナログ・シグナル・チェーンで使用するコンポーネントを選択したら、プリント基板のアセンブリ・チームに引き継ぎを行うことになるでしょう。そして、プリント回路基板を使用し、高い再現性でシステムを製造することになります。ただ、高精度のエレクトロニクス機器を設計/製造する場合には、気を配るべきことがあります。それは、ボードに加わる環境要因についてです。例えば、ボードのレベルで機械的なストレスを受けると、高精度に設計した回路や、MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)ベースで設計したセンサー回路であってもDCオフセットが生じます。これは、電圧リファレンスのプラスチック・パッケージを押して、その出力電圧またはセンサーの出力をモニタするだけで確認できます。同様に、水分、湿度、温度といった環境要因によって生じる様々なストレスにより、電子機器の性能には様々な影響が及ぶ可能性があります。例えば、パッケージと基板とでは、使用する材料の熱膨張係数が異なります。このことから、温度に応じてパッケージと基板には機械的なストレスがかかります。また、プラスチック・パッケージと基板は、どちらも水分を吸収して膨張します。つまり、水分もパッケージとボードに機械的なストレスをかける原因になります。多くの場合、プラスチック・パッケージを採用した電圧リファレンスでは、環境要因によって引き起こされた機械的なストレスにより、温度/時間に対するドリフトが増加します。また、プラスチック・パッケージを採用したMEMS加速度センサーでは、オフセットが増える形でストレスの影響が及ぶことがよくあります。プラスチック・パッケージについては、湿気によってかなり大きな機械的ストレスがかかります。そのため、湿度の影響に対処するために、セラミック・パッケージやハーメチック・パッケージを採用したICが製品化されています。それにより、湿度に関する多くの問題が解決されますが、このソリューションは高性能のパッケージを使うので高コストになります。また、コンポーネントのサイズが大きくなることも少なくありません。
コンフォーマル・コーティングという選択肢
環境要因に起因するストレスを電圧リファレンスから分離する方法はもう1つあります。それは、プリント基板の製造工程でコンフォーマル・コーティングを適用し、ボード・レベルの機械的ストレスが電圧リファレンスに及ぼす影響を抑えるというものです。電圧リファレンスを含む基板全体にコーティング剤の薄い層を形成することで、水分や温度に起因するストレスにより、電圧リファレンスのパッケージにストレスがかかったり、オフセットが引き起こされたりするのを防止することができます。また、低温による結露から生じる湿気が、パッケージに及ぼす影響を小さく抑えることが可能になります。
「HumiSeal®」(Chase製)は、プリント基板の防湿/絶縁を目的としたコンフォーマル・コーティング材です。基板の製造時に影響を受けやすいデバイスを保護するためのものとして、アクリル、ウレタン、シリコン、エポキシ、水性コーティングを含むコーティング材が用意されています。適切なコーティング材を選択するためには、水蒸気透過率(MVP:Moisture Vapor Permeability)と呼ばれるパラメータに注目する必要があります。これは、水蒸気がコーティングを透過する割合を表します。基板に湿気を通さないようにしたいわけですから、MVPは重要なパラメータとなります。
MVPのテスト方法は、次のようなものになります。まず、乾いたカップにコーティングを施します。そのカップを湿度の異なる温度チャンバの中に配置します。そして、定期的にカップの重さを量ります。それにより、どの位の水分がコーティングを通過してカップに到達したかを評価することができます。このようなテストを1週間行えば、コーティングにより水の進行がどの程度遅くなったかということが明らかになります。
表1に、各種コンフォーマル・コーティング材のMVPを示しました。コーディング材の厚さ(mil単位。1milは0.0254mm)で正規化した値も示しています。
コーディング材 | MVP〔(g/m2)/日〕 | 正規化したMVP〔(g/m2)/日/mil) | 厚さ〔mil〕 |
HumiSeal 1A33 | 9.18 | 0.315 | 29.13 |
HumiSeal 2A64 | 13.54 | 0.249 | 54.33 |
HumiSeal 1A20 | 21.89 | 0.492 | 44.49 |
HumiSeal UV40 | 0.83 | 0.024 | 35 |
HumiSeal UV40 | 不透過性なのでテスト結果はなし | 不透過性なのでテスト結果はなし | 61.41 |
HumiSeal UV40-250 | 9.1 | 0.156 | 58.26 |
HumiSeal 1B73 | 25.1 | 1.2 | 20.86 |
HumiSeal 1C49LV | 60.14 | 2.22 | 27 |
HumiSeal 1B51 | 0.78 | 0.026 | 35 |
表1を吟味すると、重要な洞察が得られます。非常に厚いUV硬化コーティング剤である「HumiSeal UV40」を除き、各コーティング材は、時間が経過すると多かれ少なかれ水蒸気を通過させます。その量は、任意の期間に任意の表面積のコーティングを通過する水の重さを測定することで求められます。この評価では、テスト期間を7日間としました。表中のコーティング材のうち、よく使われるものとしては「HumiSeal 1A33」が挙げられます。これは、簡単に塗布でき、コスト効率が高いポリウレタン・コーティング材です。しかし、HumiSeal 1A33を選択した場合、同じくらいの厚さでゴム系の「HumiSeal 1B51」に比べて、水蒸気を吸収する速度を遅らせる効果は1/10程度になってしまいます。ここで重要なのは、高い湿度の中に長時間置いたままにすれば、どのコーティング材を使用しても湿気を完全に防ぐことはできないということです。
但し、コンフォーマル・コーティングは検討に値しないということではありません。電子機器が配備される環境について理解することが肝要です。その電子機器が多くの水蒸気にさらされるのは短い時間だけなのか。電子機器のパッケージ/容器は水蒸気を防いでくれるのか。そうであれば、コンフォーマル・コーティングを適用するのは、ベルトとサスペンダの両方を使用するようなことになりはしないのか。環境は頻繁に変化するはずだが、コンフォーマル・コーティングの目的は単に電子機器の変化を遅らせるだけでよいのか――。こうしたあらゆる疑問について、コンフォーマル・コーティングを適用する前に熟考することが重要です。
もう1つ注意すべきことがあります。それは、場合によっては、コンフォーマル・コーティングを使用することによって、機械的なストレスの問題が助長される可能性があるということです。コーティングが不適切に行われた場合、パッケージにストレスが加わることがあるのです。例えば、基板の製造段階において、コーティングを実施する前に、電圧リファレンスのパッケージ表面に湿気があった場合、その湿気はほぼ間違いなく親水性のプラスチック・パッケージに吸収されます。HumiSeal 1A33のデータシートには、以下のような記述があります。
コンフォーマル・コーティングの塗布を成功させるためには、基板の清浄度が極めて重要です。基板の表面には、水分、汚れ、ワックス、油脂、フラックス残さなど、あらゆる汚染物質が存在してはなりません。そうした汚染物質は、アセンブリ不良につながる問題を引き起こす可能性があります。
上記の内容は、コンフォーマル・コーティングを検討しているすべての方にとって、重要なガイドラインになるでしょう。
評価結果と考察
コンフォーマル・コーティングの効果を評価するために、アナログ・デバイセズは、いくつかのテスト用ボードを用意しました。各ボードには、高性能の電圧リファレンスを27個実装しています。ハンダ付けは、J-STD-020に記載されたリフロー用のプロファイルに即して実施しました。そして、各ボードを湿度チャンバ内に配置しました。測定には、8.5桁のデジタル・マルチメータ「3458A(002オプション)」(Keysight Technologies製)を使用します。このマルチメータは、電圧リファレンスとして「LTZ1000」を採用することで、ドリフトを4ppm/年に抑えています。湿度チャンバは、ボードが配置されている間、一定の温度と湿度を維持します。言い換えると、各ボードは、湿度と温度を一定に保った状態で、最長1週間にわたり湿度チャンバ内に配置されることになります。湿度の影響を評価するために、2つの異なるコンフォーマル・コーティングの工程をプラスチック・パッケージの電圧リファレンスに適用します。

ここでは、ADR4525をセラミックでパッケージングし、それを基準として使用しています。その場合、湿度が70%の環境に100時間配置していても、電圧出力の変化は最大3ppmに抑えられます(図2)。すなわち、0.075ppm/% RHという優れた安定性が得られることが実証されています。図2を見ると、湿度が変化したところにピークが生じています。これは、湿度の急激な変化に伴い、温度が急上昇したことによるものです。その後、湿度チャンバの温度をゆっくりと25°Cに戻しています。図3に示したのは、プラスチック・パッケージのADR4525について、同じ環境、同じ条件で評価を行った結果です。プラスチック・パッケージの場合、電圧出力が最大150ppmも変化していることがわかります。図3のグラフを60% RH分シフトして正規化すると、コンフォーマル・コーティングを施していない場合には、出力が最大2.5ppm/% RHもドリフトすることがわかります。湿度の高い環境にボードを168時間配置すると、後でドリフトを完全に解消することはできないことも明らかになっています。

次に、アクリルをベースとする「HumiSeal 1B73」のテストを実施しました(図4)。塗布手順としては、まず、ボードの洗浄とベーキングを行います。具体的には、イソプロピル・アルコール75%と脱イオン水25%から成る液にボードを数回、素早く浸し、軽く手でブラシをかけます。その上で、150°F(約66°C)の熱を2時間加えます。次に、指定された厚さでHumiSeal 1B73をスプレーします。出力電圧を測定するためにクリーンであることが求められるエッジ・コネクタを除き、ボード全体にコーティングを施しました。

このテストで使用したオーブンでは、湿度を70% RHに制限しています。ただ、正規化したドリフトは最大100ppm/40% RH、つまりは2.5ppm/% RH程度であり、コーティングを行っていない場合のドリフトとそれほど差はありません。Chaseに助言を求めたところ、電圧リファレンスのエッジやパッケージ底面まで完全にコーティングできていない可能性があるとのことでした。また、ここでは、高い湿度の下で168時間のテストを行っています。ただ、コーティングを施していない場合と同様に、電圧リファレンスが完全に安定しているようには見えません。そのため、168時間というのは十分に長い時間だとは言えないということにも気付きました。湿度の影響により、少なくとも初期の時間帯には、変化の速度が遅くなっているようです。これは、MVPの考え方の信頼性を高める現象です。コーティングによって水蒸気の浸透を止めることはできていませんが、変化を遅らせることはできているということです。
次のテストでも、HumiSeal 1B73を使用します。ただ、ボード全体を更に確実にカバーするために、ディップ・コーティングによる3ステップの塗布工程を適用しました。その場合の結果が図5です。

オーブンの都合上、96時間以上のテストは行えませんでした。30% RHから70% RHへの変化によって得られたデータを正規化すると、最大90ppmすなわち2.3ppm/% RHとなります。この塗布工程によって、期待されたほどの大きな改善が得られたわけではありませんが、スプレー式のコーティングよりもやや改善しています。ただ、もっと長時間のテストであれば、このわずかな改善も確認できなくなるかもしれません。3つのテストの結果を表2にまとめました。
ADR4525(プラスチック、コーティングなし) | ADR45xx(プラスチック、HumiSeal 1B73、スプレー・コーティング) | ADR45xx(プラスチック、HumiSeal 1B73、ディップ・コーティング) | ADR4525(セラミック) | |
テスト時間 | 168 | 168 | 96 | 168 |
湿度の条件 | 20% RH~80% RH | 30% RH~70% RH | 30% RH~70% RH | 30% RH~70% RH |
出力ドリフト | 2.5 ppm/% RH | 2.5 ppm/% RH | 2.3 ppm/% RH | 0.075 ppm/% RH |
今後は、様々な塗布工程についてテストを実施する予定です。また、他のコンフォーマル・コーティング材(シリコン、ゴムなど)も試すかもしれません。更に、コーティング後の断面解析では、塗布の厚さがメーカーの仕様に適合しているかどうかを確認すると共に、エッジが適切にコーティングされたか否かも確認します。それらのテストにより、セラミックのハーメチック・シールド・パッケージが水分の侵入に対する唯一かつ最適な防御策であることを示します。
まとめ
10ビットの精度を目標とする場合、5Vの電圧リファレンスであれば、±5mVの精度が必要になります。このレベルの設計目標であれば、様々な誤差要因からの影響を回避する余地はあります。しかし、16ビット~24ビットの精度を目標とする計測システムの場合、設計工程を通して完全に精度を確保するためには、プリント基板のメーカーも交えて、システム設計の全体について考慮することが不可欠です。本稿では、湿度に関連する性能を保証するための最善の方法は、セラミックのようなハーメチック・パッケージを使用することだと説明しました。また、コンフォーマル・コーティングは、高精度のアナログ・システム内部において、湿気の影響が及ぶのを遅らせる効果があることも示しました。設計を製造工程に進める際、厳しい環境下でも最高の性能が得られるようにするためには、コーティング材のメーカーに助言を求めるなど、エレクトロニクス以外のスキルを提供してもらう必要があります。「this argument holds water」という表現は、「あなたの主張は筋が通っています」ということを意味します。電圧リファレンス自体は水を通してしまいますが、ベスト・プラクティスに従えば、水の侵入を防いで高精度の設計に必要な性能を保持できることは間違いありません。電圧リファレンスは水を通してしまいます(won't hold water)が、この設計アプローチは理にかなっています(holds water)。
参考資料
「ASTM E398-03, Standard Test Method for Water Vapor Transmission Rate of Sheet Materials Using Dynamic Relative Humidity Measurement(動的相対湿度測定によるシート材料の水蒸気透過率の標準試験法)」、ASTM International、2003年
James Bryant,「Ask the Applications Engineer.11: How Good Must a Voltage Reference Be?(アプリケーション・エンジニアに聞く――11: 電圧リファレンスはどれくらい優れていなければならないのか?)」Analog Dialogue、1992年1月
「HumiSeal 1A33 Urethane Conformal Coating Technical Data Sheet(ウレタン・コンフォーマル・コーティング材「HumiSeal 1A33」、テクニカル・データシート)」、HumiSeal、2019年
「IPC-HDBK-830: Guidelines for Design, Selection and Application of Conformal Coatings(コンフォーマル・コーティング材の設計/選択/応用に関するガイドライン)」IPC、2002年10月
「MT-087 Tutorial: Voltage References(MT-087 チュートリアル:電圧リファレンス)」Analog Devices, Inc.、2009年