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閉じる世界人口の増加に対応して食料を確保するには、海洋酸性化のモニタリングが必須
海洋はいくつもの大きな役割を担っています。その1つが大気中の二酸化炭素(CO2)を吸収するというものです。実際、化石燃料の燃焼をはじめ、人間の活動によって放出されるCO2の約25%は海洋に吸収されています1。但し、海水がCO2を吸収する際には海洋のpHが低下します。この現象は海洋酸性化と呼ばれています。海洋酸性化は海洋そのものはもちろん、人類に対しても破壊的な影響を及ぼすおそれがあります。
海洋酸性化は、海の生態系に対して深刻な被害をもたらします。それだけでなく、膨大な数の漁業従事者の生計にも悪影響が及びます。更には、33億人を超える人々のタンパク源となる生物種の存続を脅かします2。そのような事態を避けるためには、海洋酸性化が魚介類の生存能力に及ぼす影響についてより深く理解しなければなりません。そのためには、pHのモニタリングを大々的に行う必要があります。
2021年、アナログ・デバイセズはウッズホール海洋研究所(WHOI:Woods Hole Oceanographic Institution)との間で提携を結びました。それを通じ、海洋および気候イノベーション促進コンソーシアム(OCIA:Ocean and Climate Innovation Accelerator)を設立しました。その目的は、海洋をベースとして気候変動に対処するための新たなソリューションを生み出し、それを活性化させることです。OCIAはこの分野で初のコンソーシアムであり、産業界、学界、社会奉仕組織が一体となって活動しています。具体的には、気候変動に関する課題の解決や、海洋生物の保護、海の保全に関する取り組みを行っています。また、アナログ・デバイセズはWHOIの様々なプロジェクトに対して支援を提供しています。例えば、漁船に実装できるように設計した低コストのpHセンサーを開発するといった具合です。
WHOIの取り組み

WHOIの研究者や技術者は、人間が地球を管理できるようにするために尽力しています。この目標を達成するには、海洋のあらゆる側面について理解する必要があります。また、地球の大気、陸地、海洋の複雑なつながりについても把握しなければなりません。WHOIは、拡張性に優れ、手ごろなコストで利用できる技術を開発し、海洋と気候の影響についてより深く理解したいと考えています。それに基づき、政策にとって有用な情報を提供することも目指しています。重要なのは、海洋酸性化のモニタリング(測定)を実施し、漁業全般、漁業従事者、世界の食料不安に対する影響に対処できるようにすることです。
WHOIの概要
事業内容
WHOIは、世界最大規模の独立系海洋研究組織。300人以上の研究者/技術者と100人以上の学生が在籍している。また、2隻の大型船と数百台の深海潜水装置を保有している。
課題
高精度、低コスト、スケーラブルで、その場で自動的に海洋のpHを測定できる装置を開発する。その装置は、ほぼトレーニングを行うことなく操作できるように設計すると共に、多数の漁具に実装できるようにする。それにより、漁業従事者が市民科学者としての役割を担えるようにする。
目標
低コストのpHセンサーを漁具に実装することにより、水深が最大300mという条件の下、沿岸水のpHをその場で正確に測定できるようにする。また、そのセンサーを活用し、連続的に更新される沿岸域気象図を作成するための仕組みを構築する。センサーによって取得したデータは、海洋酸性化の緩和策を策定するために利用する。つまり、海洋酸性化を食い止めることに役立てる。
海洋酸性化、海洋生物の減少のモニタリング
人類を起因とするCO2の過剰な排出は、海水に一連の変化をもたらしています。産業革命が始まって以来、表面海水の平均pHは既に0.1ほど低下しています。これは、海水の酸性度が約30%上昇したということを意味します3。また、大気中のCO2が増えると大気の温度が上昇します。その影響を受けて、海洋の温暖化が生じます。

酸性化と温暖化が海洋生物の生態系に及ぼす影響
1:CO
酸性化した海洋は、サンゴ、カキ、エビ、ホタテのような外骨格や殻を持つ生物に深刻な被害を与えます。海洋酸性化が進むと、それらの生物は、その構造を維持したり成長させたりすることが難しくなります。その結果、成長速度が低下し、死亡率が増加します。海洋酸性化は、海洋食物網の全体を破壊し、生態系に不均衡を引き起こします。その波紋は食物連鎖の全体に広がり、食糧や寄生先としてそれらの有機体に依存する魚などの生物種に影響を及ぼします5。

オーストラリアのグレート・バリア・リーフの場合、生息するサンゴ礁がわずか30年で半減しました。同サンゴ礁では魚の生息域も著しく減少しています。全長1429マイル(約2300km)の同サンゴ礁では、その93%以上にわたってサンゴの白化現象が生じています6。
食糧源として数十億人を支える海洋生物
海洋のpHの低下は、世界中の食料安全保障に対して広範な影響を及ぼします。世界人口の1/3弱(23億7000万人)は、十分な食料(栄養)を手に入れられない状態にあります。また、7億2000万人から8億1100万人の人々が飢餓に直面しています7。世界人口は1.1%の増加率で毎年8300万人増加します。それに対応できるだけの食料を確保するには、健康的な貝類をはじめとする水産物を安定して供給することが不可欠です8。
国連の「世界漁業・養殖業白書(The State of World Fisheries and Aquaculture)」によると、魚などの水産物は、地球上で最も健康的な食料の1つとして認識されています。また、自然環境に対する負荷が小さい食料の1つです9。実際、魚は貴重かつ多様な栄養素を含んでいます。魚を多く摂取するようにすれば、蔓延する栄養不良の問題が緩和されます。加えて、カロリーが高く微量栄養素が少ないアンバランスな食生活の是正に直接的につながります2。
海洋酸性化が進行すると、水産業の健全性に多大な影響が及びます。漁業従事者だけでなく、そのタンパク質に依存する人々も悪影響にさらされます。漁業従事者にとって、漁獲量の減少は収入源につながる重大な問題です。つまり、世界中の漁業コミュニティが経済的に苦しい状態に陥ります。また、社会的に弱い立場に置かれている先住民族のうち、漁業を生業とする人々の暮らしにも影響が及びます。
例えば、メイン湾からチェサピーク湾、メキシコ湾、パタゴニアまでにわたる地域では、多くの人が漁業に従事しています。彼らは、既にその影響を肌で感じています。実際、多くの魚種が死滅したり、サンゴ礁や沿岸域から害の少ない海域に魚が移動したりしたことから、各地域の漁獲量は明らかに減少しています10。
後世の人々のために、世界の海洋の保全を図る
OCIAのプログラム・マネージャを務めるKathryn Hautanen氏は「OCIAは、WHOIの12以上のチームと協力し、設計上の課題に取り組んでいます。また、研究を支援するための資金、最先端の高度なハードウェア、アナログ・デバイセズの専門技術を利用する手段を提供しています」と語ります。その上で「OCIAは、WHOIが取り組みを加速して革新的なソリューションを開発し、気候変動が海洋に及ぼす影響についてより深く理解できるようにするための支援を行っています」(同氏)と説明しています。
求められるのは、高精度で広い範囲をカバーする低コストの測定技術
OCIAは、10万米ドル(約1400万円)の助成金によって1つのインキュベーション・プロジェクトを支援しています。そのプロジェクトには、海洋化学者のZ. Aleck Wang氏(博士)とJennie Rheuban氏、物理海洋学者のGlen Gawarkiewicz氏が携わっています。そのプロジェクトで行おうとしているのは、海水のpHを測定するためのセンサー・システムのプロトタイプを開発することです。高周波に対応し、カスタマイズが可能で、コストが低く、その場で使用できるシステムを実現することを目標としています。このようにして実現された測定器の主な実装先は漁船です。それだけでなく、沿岸海洋の水柱全体にわたって高い分解能で測定を実施可能なプラットフォームに、そのセンサーを実装できるようにすることも目指しています。MIT-WHOI Joint Programの大学院生で、このプログラムに携わっているJonathan Pfeifer氏は「この測定器を漁業従事者に提供し、漁具に取り付けて海中に投入してもらうことを計画しています」と語ります。その上で「水柱の下方へと測定器を移動させながら、pHを連続的に測定するのが理想です。漁業従事者に測定器を回収してもらった後、ワイヤレスでデータをクラウドに送信し、研究者/技術者や漁業従事者など、誰でもアクセスできるようにしたいと考えています」(同氏)というプランを示しました。
またPfeifer氏は、「特定の地域に対し、従来よりもはるかに高い密度で測定を行いたいと考えています。従来のデータ・セットを拡張し、(海洋酸性化に関連して)何が起きているのかを、より広い視野で捉えられるようにしたいからです」とも述べています。海洋の状態の追跡と貝類の保護に向けては、効率的かつ費用対効果の高い方法によって海洋酸性化をモニタリングすることが不可欠です。広範にわたるデータを取得するために、各地で既に使われている漁船を活用すれば高い費用対効果が得られます。漁業従事者は、そのようにして取得したデータの重要な利害関係者となります。
一方、OCIAのHautanen氏は「半導体を利用することにより、サイズが1桁小さく、コストが少なく、電力効率が高い機器を開発することが可能になります。WHOIのフローに使われるセンシング技術は、チップ・スケールの製造によって具現化できます」と述べています。
アナログ・デバイセズの技術者、WHOIの研究者/技術者、そしてPfeifer氏らは、最初のpHセンサーの開発に共同で取り組んでいます。その基盤としては、様々な分野で実績を積み重ねているアナログ・デバイセズの技術を活用しています。目指しているのは、小型かつ安価で使いやすく、その場で使用できる自動化が可能なセンサーを実現することです。海中において連続的に測定を行うことができ、複雑で高価な部品を必要としないものを実現しなければなりません。目標は、市民科学者となる漁業従事者に、海洋酸性化、気候変動、食料不安と闘うための強力な武器となる測定器を提供することです。
海洋酸性化の測定方法
WHOIにとっての課題は、必要な技術を特定してシステムに組み込むことでした。具体的には、光線を生成し、吸光度のデータを処理するための最も実用的な技術が必要になります。

このアプリケーションで使用するセンサーでは、微量のpH指示薬色素を海水に混ぜることによってpHの値を特定します。その混合液に光線を当てて、2つの波長における吸光度を測定するということを行います。この方法により、非常に高い精度で海洋のpHの値を測定することができます。
分光器を開発するためのパートナーシップ
分光器の開発について、Pfeifer氏は次のように述べています。
「OCIAのHautanen氏に相談したところ、アナログ・デバイセズのスタッフ・エンジニアであるGuixue Bu氏を紹介してくれました。Bu氏が私たちの要件を確認した上で選択したのがアナログ・フロント・エンドであるADPD4101です。この製品が選ばれた理由は、精度が高く、リアルタイムのセンシングが可能で、小型で使いやすく低コストであることでした。このICは、私たちがこれまでに開発してきたどの分光器システムよりも高い性能を発揮します。また、集積度の高さから、光度測定用マルチモーダル・センサーのフロント・エンドとして完全な機能を提供します。しかも、単一のICという小型のソリューションを利用できることになります」。
リファレンス設計による開発時間の短縮
アナログ・デバイセズは、液体の分析/測定システムのラピッド・プロトタイピングを可能にするためのリファレンス・プラットフォームを開発しました。大半のソリューション開発においては、リファレンス設計が提供されていなければ経験が豊富な技術者が必要になります。回路の開発、ソフトウェアの開発、シミュレーション、多様なテストの実行、基板のレイアウト、ボードの製作といった数多くの難易度の高い作業を行う必要があるからです。これだけのことをこなすには、数ヵ月もの時間を要す可能性があります。
Pfeifer氏は「難易度の高い電気的な問題に直面していたとします。その問題を解決する方法は、恐らく単純明快なものにはならないでしょう」と指摘します。「リファレンス設計は、即座に解決策を得るための手段です。通常は、箱から取り出したその日のうちに問題を解決することができるでしょう。このプロジェクトでは、アナログ・デバイセズの光学式液体分析用のリファレンス・プラットフォームであるCN0503を活用しました。CN0503を使う際には、箱を開けてボードを取り出し電源を接続します。あとはリファレンスのコードをいくつかダウンロードするだけで、測定を開始することが可能です。試行錯誤の作業が発生しないので、開発時間をかなり節約することができました」(同氏)。
更にPfeifer氏は次のように述べています。
「アナログ・デバイセズのCN0503は、ADPD4101のテストに画期的な変化をもたらしました。私たちのニーズに完璧に対応しつつ、開発時間が数ヵ月分、短縮されたのです。それだけでなく、その性能は私たちの期待を完全に上回っていました。アナログ・デバイセズの技術が最先端に位置することは明らかです。『次は何を考案してくれるのか』という期待しかありません」。
海洋の気象の予測、次のステップ
WHOIによるpHセンサーのプロトタイプ開発は順調に進行しています。Pfeifer氏は「必要なコストは数千ドルのレベルです。以前、私たちは他の複数の計測器を組み合わせることによって必要なシステムを構成しようと考えていました。その場合の見積もりコストは、アナログ・デバイセズのソリューションを採用する場合の10倍ほどに達していました」と語ります。また、WHOIで同プロジェクトを統括するWang氏は、「私たちの次のステップは、連邦機関または民間財団に対して提案を行うことです。機能を実証する場として、米国北東部の沿岸海域全体にこのプログラムの対象範囲を拡大したいと考えています」と述べています。
先述したように、OCIAは海洋をモニタリングするためのイニシアチブを推進しています。その目的は、気候変動と19世紀終盤以降の乱獲に起因する漁獲量の減少に対処するためのデータを提供することです。いま求められているのは、海洋酸性化の脅威に対処し、海の生態系を維持するための研究を前進させることです。加えて、海洋酸性化と、海洋生物に対するその影響に対処するための新たなソリューションを追求することが必要とされています。その成果は、世界中の数十億の人々の食料安全保障に役立つ可能性があります。

1 「The ocean - the world’s greatest ally against climate change(海洋 -- 気候の変動と闘うための世界最大の協力者)」国連
2 「The State of World Fisheries and Aquaculture, Sustainability in Action(世界漁業・養殖業白書、サステナビリティに向けた活動)」国際連合食糧農業機関(FAO)、2020年
3 「The State of World Fisheries and Aquaculture, Sustainability in Action(世界漁業・養殖業白書、サステナビリティに向けた活動)」国際連合食糧農業機関(FAO)、2020年
4 「What Is Carbon Sequestration and How Does it Work?(炭素隔離とは何か? どのように機能するのか?)」カリフォルニア大学デービス校、2019年9月
5 Lauren Morello、Climate Wire「Ocean Acidification Threatens Global Fisheries(世界の漁業を脅かす海洋酸性化)」Scientific American、2010年12月
6 Michael Slezak「The Great Barrier Reef: a catastrophe laid bare(グレート・バリア・リーフ - むき出しの大惨事)」The Guardian
7 「The State of Food Security and Nutrition in the World 2021(世界の食料安全保障と栄養の現状 2021年版)」国際連合食糧農業機関(FAO)、2022年
8 「World Population Prospect(世界人口予測)」国連、2017年
9 「The State of World Fisheries and Aquaculture, Towards Blue Transformation(世界漁業・養殖業白書、ブルー・トランスフォーメーションの推進)」国際連合食糧農業機関(FAO)、2022年
10 Asuna P. Gilfoyle、Willow A. Baird「The Impact of Rising Ocean Acidification Levels on Fish Migration(海洋酸性化のレベルの上昇が魚の回遊に与える影響)」Gilfoyle Research