ADCのスプリアスに対するアレイ・ゲインの効果 - 実測による検証
要約
フェーズド・アレイ・システムにおいて、ダイレクト・サンプリングに対応するA/Dコンバータ(ADC)のスプリアス性能を最適化するにはどうすればよいのでしょうか。本稿では、それを実現するための実用的な原則を示します。また、その原則を裏づけるものとして、Xバンド/16T16R(16チャンネルの送信、16チャンネルの受信)/ダイレクト・サンプリングに対応する市販のプラットフォームを用いた実測評価の結果を示すことにします。次に、よく知られているRFミキサーのスプリアスの発生メカニズムとの関係を交えながらADCのスプリアスについて説明します。加えて、Xバンド全体にわたる単一チャンネルのスプリアス性能が複数のチャンネルを組み合わせることでどのように改善されるのかを実測結果を用いて示します。更に、スケーラブルなシステムを設計するためにアーキテクチャについて考慮すべき事柄を明らかにします。
はじめに
フェーズド・アレイ・システムでは、ビームフォーミング機能のデジタル化が進んでいます。それに伴い、並列に制御されるデジタル受信チャンネルの数が増加しています1。デジタル・ビームフォーミング処理では、並列に接続された受信チャンネルの信号を加算します。その際、チャンネル間で誤差の成分に相関がない場合、チャンネルの結合(channel combining)によって10logNに相当する改善効果が期待できます。このアレイ・ゲインによる性能の向上は、チャンネルの数が増えるほど顕著になる可能性があります。その場合、システム全体の経済的な価値が高まることになります。
RF対応のデータ・コンバータ(ADC、D/Aコンバータ)技術は進化を続けています。なかでも、サンプリング・レートの向上は、フェーズド・アレイ・システムの各チャンネルに割り当てられる限られたスペースの中でチャンネル数を増やすための重要な手段になります。一方で、RF対応のデータ・コンバータの誤差成分はダイナミック・レンジに影響を及ぼします。その成分にはノイズとスプリアス信号が含まれています。以下では、RF対応のADCのスプリアスについて説明します。また、単一のチャンネルと結合された複数のチャンネル(結合チャンネル)を比較するための実測結果を示します。更に、ADCのスプリアスに対するアレイ・ゲインを得るための方法について詳しく解説します。
Xバンドに対応する16T16Rのプラットフォーム
本稿では、Xバンドに対応する16T16Rのプラットフォームを例にとります。ここでは、まずその概要を紹介します。
16T16Rの設計
本稿では、ミックスド・シグナル・フロントエンド「AD9084」を採用したプラットフォーム(開発ボード)を例にとります。具体的には、Xバンドに対応し、16チャンネルのダイレクト・サンプリングをサポートする「ADXBAND16EBZ」を利用します。図1にその外観とブロック図を示しました。このプラットフォームは、4つのAD9084、クロック分配回路、RFアンプ、電力分配回路などから成るモジュールによって構成されています。その特徴の1つは、FPGAに対応する市販の評価用ボードと接続できるように設計されている点にあります。具体的には、「MATLAB®」に対応するインターフェースを使用して制御することにより、特性評価やソフトウェア開発を迅速に行えるようになっています2。
レシーバーのテスト
ADXBAND16EBZをベースとする実測評価を実施するに当たり、まずシングルトーンを用いてレシーバーの機能/性能を確認しました。具体的には、図2(a)に示すような構成で信号発生器の信号を16分配器(16-way power divider)に入力し、16チャンネルすべてのデータを同時に取得しました。データを結合(加算)して評価を実施するために、各チャンネルの振幅と位相を一致させるためのキャリブレーションを事前に実行しました。各チャンネルの性能は、FFT(Fast Fourier Transform)を利用して評価します。ADCは12.8GSPSのサンプル・レート(クロック周波数)で動作させ、デシメーションによって400MHzのIQデータ・ストリームを生成します。図2(b)に示したのが、単一チャンネルの評価結果と16のチャンネルを結合した場合の評価結果です。
ADCのスプリアス
ここからはADCのスプリアス性能について詳しく説明していきます。
RFミキサーとの類似性
RFミキサーの場合、ミキシングのプロセスで生成されるIF(中間周波数)とLO(局部発振器)周波数の高調波成分によってスプリアスが生成されます。それらは入力周波数の倍数を表す整数n、mを用いてn×m積と呼ばれます。スプリアスの周波数は正確に予測することが可能であり、グラフ上にプロットして視覚化することができます3。
ADCのスプリアスはミキサーで生じるスプリアスに似ています。ミキサーの場合と同じように、グラフ上にプロットすることも可能です。ADCでは、RF入力の高調波成分、クロック、インターリーブ誤差の組み合わせによってスプリアスが生成されます。図3に、AD9084を12.8GSPSで動作させた場合の具体的なデータを示しました。X軸は入力信号の周波数、Y軸は第1ナイキスト領域に折り返される出力信号の周波数です。このプロットには、2次高調波、3次高調波、2相/4相のインターリーブ成分に加えて、高調波とインターリーブ成分が混合された信号が含まれています。この視覚化されたグラフを使用すれば、各ラインが交差する個所を確認するだけで、問題になるスプリアスの周波数を簡単に特定できます。
スプリアスの測定
図4に示したのは、ADXBAND16EBZを用いてスプリアスフリー・ダイナミック・レンジ(SFDR)を測定した結果です。単一のチャンネルの測定結果と16チャンネルを結合した場合の測定結果をプロットしています。様々な色で示したのが単一チャンネルの測定結果、いちばん上に紺色で示したのが結合チャンネルの測定結果です。このグラフから、以下に示すような知見が得られます。
- 図4のSFDRのデータを見ると、図3において各ラインが交差している周波数でスプリアスが生じていることが確認できます。
- 単一チャンネルのSFDRの値にかかわらず、チャンネルの結合により、すべてのケースにおいてSFDRが向上します。
- 図4と図2を比較すると、16チャンネルを結合した場合のSFDR(85dBc以上の測定値)は、ノイズ・フロアに制限されていることがわかります。これは、AD9084を使用するダイレクト・サンプリング・システムにおいて、Xバンドの半分以上の帯域にわたる400MHzのIBW(瞬時帯域幅)が完全にスプリアス・フリーになるということを意味します。つまり、有望な結果が得られているということです。
ADCのスプリアスを無相関にする方法
得られた評価結果から、ADCのインターリーブに伴うスプリアスと高調波は、チャンネル間で意図的に無相関にすることが可能であることがわかりました。また、ADCのスプリアス信号についてもアレイ・ゲインによる改善効果が期待できることが見てとれます。このような結果が確実に得られるようにするには、ランダム化を実現するための何らかの手法が必要です。その手法をフェーズド・アレイ・システムのアーキテクチャに組み込まなければなりません。例えば、チャンネルごとに周波数をランダム化すれば、スプリアスを分散させることができるはずです4、5。但し、ADCのクロック周波数をチャンネルごとに変えるというのは現実的ではありません。それに対し、ADXBAND16EBZと同様の設計手法において位相のランダム化を図るのは非常に実用的な方策です。実際、同プラットフォームのクロック源であるシンセサイザIC「ADF4382」は、チャンネルごとに位相を変化させられる位相制御機能を備えています。なお、本稿で示した測定では、AD9084のデジタル数値制御発振器(NCO:Numerically Controlled Oscillator)による位相制御を用いてADCのクロックの位相を補償しました。
重要なのは、各スプリアスの種類と位相の関係について以下のような考察を行うことです。
- 高調波の位相は、基本波の位相の整数倍だけ回転します。第2ナイキスト領域でサンプリングを実施すれば、高調波同士の相対位相を変化させることが可能です。「ハイブリッド・ビームフォーミングの送信側キャリブレーション、SFDRの最適化が極めて有効」という記事には、アレイのキャリブレーションを実施した後にSFDRを最適化する例が示されています。その考え方は、ダイレクト・サンプリングに対応するデータ・コンバータのスプリアス性能の改善にも利用できます。
- インターリーブに伴うスプリアス信号は、インターリーブされた各スライス間のタイミング誤差とゲイン誤差に応じて生成されます。重要なのは、チャンネル間の残留誤差が互いに相関を持たず、チャンネルごとに異なるようにすることです。このことは、測定結果からも確認できます。
ここまでの説明は、シングルトーンを入力した際に生じるスプリアス信号を対象としたものです。相互変調積については、チャンネルのキャリブレーションを実施した後も相関が維持されることに注意しなければなりません1、3、6。このことから、デジタル・ビームフォーミング処理において、相互変調積についてはアレイ・ゲインによる改善効果は得られません。相互変調積の改善効果は、チャンネル数が増えるほど各チャンネルに対する入力電力が低下することによって得られます。
まとめ
本稿では、マルチチャンネル・システムにおいて考慮すべき事柄を交えてADCのスプリアスについて説明しました。適切なアーキテクチャによってスプリアスのランダム化を実施すれば、ADCのスプリアスはチャンネル間で相関を持たなくなります。その結果、ADCのスプリアスに対するアレイ・ゲインの効果を得ることが可能になります。
謝辞
大規模なエンジニアリング・チームに支えられ、ADCのスプリアスの測定に関する記事を簡潔にまとめることができました。以下に挙げる人たちに感謝します。
- 「 お客様にとって、これは役立つものになるだろうか」と日々問い続けているアナログ・デバイセズのフィールド・アプリケーション・エンジニア(このシンプルな問いが、あらゆるエンジニアリング活動の基盤になります)
- アナログ・デバイセズのApolloチームの全メンバー
- アナログ・デバイセズのシステム・アプリケーション・チーム。特に、ADXBAND16EBZを設計したSam Ringwoodと評価を担当したSid Das
参考資料
1 Salvador H. Talisa、Kenneth W. O'Haver、Thomas M.Comberiate、Matthew D. Sharp、Oscar F. Somerloc「Benefits of Digital Phased Array Radars(デジタル・フェーズド・アレイ・レーダーの長所)」Proceedings of the IEEE、Vol. 104、No. 3、2016年3月
2 「Apollo MxFE: 16Tx/16Rx X-band Radar Platform(Apollo MxFE:Xバンドに対応する16Tx/16Rxのレーダー用プラットフォーム)」 Analog Devices、2023年6月
3 Bert C. Henderson「Mixers in Microwave Systems: Part 1(マイクロ波システムにおけるミキサー【Part 1】)」WJ Communications, Inc.、2001年
4 Peter Delos、Mike Jones「Digital Arrays Using Commercial Transceivers: Noise, Spurious, and Linearity Measurements(市販のトランシーバーを用いたデジタル・アレイ - ノイズ、スプリアス、直線性の測定)」IEEE Phased Array Conference、2019年10月
5 Peter Delos、Michael Jones、Mark Robertson「RFトランシーバーICにより、デジタル・ビームフォーミング方式のフェーズド・アレイにおけるスプリアスの相関を排除」AnalogDevices、2018年8月
6 Peter Delos、Michael Jones、Hal Owens「フェーズド・アレイ用分散型ダイレクト・サンプリングSバンド・レシーバーの測定の概要」Analog Devices、2022年1月