AN-2540: PGA と統合しダイナミック・レンジが125dB を超えるオーバーサンプリング逐次比較レジスタ(SAR)ADC

回路の機能とその利点

図1 に示すように、この回路は、低ノイズで比較的高いゲインを持つ柔軟なセンサー・シグナル・コンディショニング・ブロックで、広いダイナミック・レンジを維持しながらも性能に影響することなく入力レベルの変化に応じてゲインを動的に変更する能力を備えています。既存のシグマデルタ技術は、多くのアプリケーションで必要とされるダイナミック・レンジを実現しますが、更新レートが低い場合に限られます。この回路は、16 ビット、2.5MSPS のPulSAR®逐次比較型ADC であるAD7985を、オートレンジのiCMOS®プログラマブル・ゲイン計装アンプ(PGA)フロントエンドであるAD8253 と組み合わせて使用する代替手法を提供しています。アナログ入力値に基づいてゲインを自動的に変更し、オーバーサンプリングとデジタル処理を用いてシステムのダイナミック・レンジを125dB 以上に拡大します。

図1. オートレンジPGA およびオーバーサンプリングSAR ADC を用いた広ダイナミック・レンジのシグナル・コンディショニング回路(注:接続およびデカップリングの一部は省略されています)

図1. オートレンジPGA およびオーバーサンプリングSAR ADC を用いた広ダイナミック・レンジのシグナル・コンディショニング回路(注:接続およびデカップリングの一部は省略されています)

回路の説明

広いダイナミック・レンジを必要とするアプリケーションは多数あります。重量計システムは通常、最大フルスケール出力が1mV~2mV のロードセル・ブリッジ・センサーを用います。このようなシステムでは、2mV フルスケールの入力に換算すると1,000,000 対1 程度の分解能が必要になる場合があり、高性能、低ノイズ、高ゲインのアンプおよびシグマ・デルタ・モジュレータが必要になります。また、医療用アプリケーションの化学分析や血液分析ではフォト・ダイオード・センサーがよく使用されていますが、この場合も微小電流を高精度で測定しなければなりません。振動モニタリング・システムなど一部のアプリケーションでは、AC とDC の両方の情報が含まれているため、小信号と大信号の両方を正確にモニタできる能力が重要となりつつあります。シグマデルタADC は多くの場合この条件を満たしますが、AC 測定とDC 測定に両方が必要でしかも高速のゲイン切替えが求められる場合には、限定されてしまいます。

オーバーサンプリングは、入力信号をナイキスト周波数よりもはるかに高いレートでサンプリングするプロセスです。一般的なルールとして、サンプリング周波数が2 倍になるごとに、元の信号帯域幅の範囲内のノイズ性能は約3dB 向上します。オーバーサンプリングADC は、図2 に示すように、後段でデジタル後処理を実施することで信号帯域幅外のノイズを除去します。

図2. オーバーサンプリング比(OSR)の増加によるノイズ低減

図2. オーバーサンプリング比(OSR)の増加によるノイズ低減

最大のダイナミック・レンジを実現するには、フロントエンドPGA 段を追加して、微小な信号入力の実効S/N 比を増加させます。次に、システムのダイナミック・レンジに対する要件が126dB を超える場合について検討します。まず、このダイナミック・レンジを実現するのに必要な最小実効値ノイズを計算します。例えば、入力範囲が3V(6V p-p)の場合は2.12V のフルスケール実効値(6/2√2)となります。システムの最大許容ノイズは次式で計算できます。

126 dB = 20 log (2.12 V/rms noise)

したがって、実効値ノイズはおよそ1μV rms となります。

ここで、システム更新レートについて検討します。これによってオーバーサンプリング比とシステムが許容可能な最大の入力換算(RTI)ノイズ量が決まります。例えば、16 ビット、2.5MSPS のPulSAR ADC であるAD7985 を600kSPS のサンプリング・レート(11mW の消費電力)とオーバーサンプリング比72 で動作させると、平均化およびデシメーション後のシステムの実効スループット・レートは、600kSPS ÷ 72 = 8.33kSPS となります。そのため、入力信号は約4kHz の帯域幅に制限されます。

合計実効値ノイズは、単純にノイズ密度(ND)に√f を乗じただけなので、許容可能な最大入力スペクトル・ノイズ密度(ND)は次式のようになります。

1 μV rms = ND × √4 kHz

または、 ND = 15.8 nV/√Hz.

RTI システム入力ノイズに対するこの性能指数から、必要な126dB を実現するのに十分なアナログ・フロントエンド・ゲイン(付随するオーバーサンプリング比を用いてADC のS/N 比を合計した場合)を備えた最適な計装アンプを選択できます。AD7985 の場合、代表的なS/N 比は89dB で、72 倍のオーバーサンプリングを行うと更に約18dB 改善されます(72 は約26 で、2倍するごとに3dB増加します)。126dB のDRを達成するには更に20dB 以上高める必要がありますが、これは、アナログPGA段のゲインで実現できます。計装アンプのゲインは20 以上(あるいはノイズ密度が15.8nV/√Hz の規定値を超えない値)を確保する必要があります。

上述のフロントエンドPGA およびADC オーバーサンプリングを実現するためのシステムレベル・ソリューションを図1 に示します。入力段では、10nV/√Hz と非常に低ノイズのデジタル制御計装アンプであるAD8253 を使用します。ゲイン・オプションは、G = 1、10、100、1000 です。

AD8021 は、2.1nV/√Hz の低ノイズ、高速のアンプでAD7985 を駆動できます。またこのデバイスは、AD8253 の出力をレベル・シフトして減衰します。AD8253 およびAD8021 はどちらも、2.25Vの外部コモンモード・バイアス電圧で動作し、両者が組み合わされてADC の入力で同じコモンモード電圧を維持します。4.5V のリファレンスを用いた場合、ADC の入力範囲は0V~4.5V になります。

AD8021 の出力は高速ADC を用いて測定します。PGA ゲインは入力信号の振幅に基づき動的に設定できます。小信号入力の場合、ゲイン100 がプログラムされます。入力が大きくなると、ゲインは1 まで減少します。

デジタル後処理は、QFN パッケージに収められた16 ビット、2.5MSPS のPulSAR ADC(消費電力11mW)であるAD7985 を用いて行われます。このデバイスはサンプリング・レートが高いため、入力帯域幅が狭いアプリケーションに比率が高いオーバーサンプリングを行うのに使用できます。システム全体のノイズ・バジェットは入力換算(RTI)で最大15.8nV/√Hz であるため、各ブロックの主なノイズ源を計算することは、この15.8nV/√Hz の厳格な制限を確実に超えないようにする上で有用です。AD8021 の入力換算ノイズ仕様は3nV/√Hz 未満であり、ゲイン100 のAD8253 の入力段で換算した場合、無視できる程度の大きさです。AD7985 のS/N 比の仕様は89dB で、4.5V の外部リファレンスを使用すると45μV rms 未満のノイズ分解能になります。

ADC のナイキスト帯域幅が300kHz であることを考えると、帯域幅全体で約83nV/√Hz が加算されます。AD7985 の入力を基準にすると、システムにおいては二乗和平方根計算を用いてRTIノイズ源を合計しますが、それによれば1nV/√Hz 未満のノイズは無視できる程度の値と見なせます。

AD8253 を使用する更なる利点は、デジタル・ゲイン制御が可能であることです。これにより、入力の変化に応じてシステム・ゲインを動的に変更できます。これは、システムのデジタル信号処理機能を使用することでインテリジェントに実行できます。このアプリケーションにおけるデジタル処理の主な機能は、AD7985 による16 ビット変換結果を用いて、より高分解能な出力を得ることです。この機能は、データの平均化とデシメーションを行い、入力振幅に応じてアナログ入力ゲインを自動的に切り替えることで実現できます。オーバーサンプリング処理により、出力データ・レートはADC のサンプル・レートより低くなりますが、ダイナミック・レンジは大幅に増加します。

このアプリケーションのデジタル側をプロトタイプ化するために、FPGA(フィールド・プログラマブル・ゲート・アレイ)をデジタル・コアとして使用しました。システムを短時間でデバッグするため、図3 に示すように、システム・デモンストレーション・プラットフォーム(SDP)のコネクタ標準を用いてアナログ回路とFPGA を1 枚のボード上に構成し、PC へのUSB 接続を容易にしました。SDP は再利用可能なハードウェアとソフトウェアを組み合わせたもので、一般的に用いられている部品インターフェースを使用して、ハードウェアの制御とデータ・キャプチャを容易に行うことができます。

図3. システム性能の測定に使用するテストのセットアップ

図3. システム性能の測定に使用するテストのセットアップ

このモジュールは、現在のゲイン設定値、2 つの未加工ADC サンプル、いくつかのハードコードされたスレッショルド値に基づいて新しいゲイン設定値を出力します。このシステムでは4つのスレッショルドを使用しています。システムのアナログ入力範囲を最大化し、できる限り広い信号範囲でG = 100 モードを使用できるようにしながら、ADC 入力のオーバードライブを防ぐには、これらのスレッショルドの選択が極めて重要となります。このゲイン・ブロックは正規化されたデータではなく、ADC の未加工データの各結果に基づいて動作する点に注意してください。この点を考慮した上で、このようなシステムで使用されるスレッショルドの例をいくつか示します(ミッドスケールがゼロのバイポーラ・システムを想定)。

T1(正側下限スレッショルド):+162

(ミッドスケールより162 コード分上)

T2(負側下限スレッショルド):−162

(ミッドスケールより162 コード分下)

T3(正側上限スレッショルド):+32507

(正側フルスケールより260 コード分下)

T4(負側上限スレッショルド):−32508

(負側フルスケールより260 コード分上)

G = 1 のモードでは、内部制限値のT1 とT2 を使用します。ADCの実際の結果がT1 からT2 までの値の場合、ゲインがG = 100 のモードに切り替わります。これにより、ADC が受信するアナログ入力電圧は、できる限り短時間で最大化されます。G = 100 のモードでは、外部制限値のT3 とT4 を使用します。図4 に示すように、ADC の結果がT3 を上回るか、T4 を下回ると予想される場合、ADC 入力のオーバーレンジを防ぐため、ゲインがG =1 のモードに切り替わります。

図4. A/D コンバータ入力がスレッショルド制限値を超えると予想される場合、アンプ入力からコンバータ入力までのゲインが100 減少します(青線:アンプ入力、赤線:コンバータ入力)

図4. A/D コンバータ入力がスレッショルド制限値を超えると予想される場合、アンプ入力からコンバータ入力までのゲインが100 減少します(青線:アンプ入力、赤線:コンバータ入力)

G = 100 のモードのとき、次のADC サンプルが外部スレッショルドからわずかに外れ、ADC の結果が+32510 になるとアルゴリズム(極めて基本的な線形予測を使用)が予測した場合、ゲインはG = 1 に切り替えられ、次のADC 結果は+32510 ではなく+325になります。


システム全体の性能


ゲインとデシメーションのアルゴリズムの最適化がすべて完了したら、システム全体をテストすることができます。図5 に、1kHz の−0.5dBFS 大信号入力トーンに対するシステム応答を示します。PGA ゲインを100 とすると、実現されるダイナミック・レンジは127dB となります。同様に、図6 に示すように、−46.5dBFSで70Hz の入力トーンの小信号入力についてテストした場合、129dB ものダイナミック・レンジが実現していますこの測定中にはゲイン・レンジのアクティブな切替えが行われないため、小さい入力トーンでの性能の改善が期待できます。

図5. 127dB のダイナミック・レンジを示す1kHz 大信号への応答

図5. 127dB のダイナミック・レンジを示す1kHz 大信号への応答

図6. 70Hz 小入力信号への応答

図6. 70Hz 小入力信号への応答

システムの性能は、小信号と大信号のどちらの入力でも処理できるよう、ゲインを動的に切り替えられる能力に依存しています。シグマデルタ技術が優れたダイナミック・レンジを実現するのに対し、SAR ベースのソリューションは、入力信号に応じてフロント・エンド・ゲインを動的に変更する方法を提供するため、システム性能を損なうことがありません。それによって、小信号および大信号のどちらのAC 入力およびDC 入力も、ゲイン変更が遅れることによりシステムがセトリングするまで待機したり大きなグリッチが発生したりすることなく、リアルタイムで測定できます。