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Analog Devices Philippines主催のハッカソン優勝者とのインタビュー

Victor Calinao

プロダクト・アプリケーション・エンジニアであり、新卒者としてフィリピンで採用されたヴィクター・カリナオ(Victor Calinao)を紹介します。

Q: なぜこの仕事を選んだのか教えてください。

新型コロナウイルス肺炎による制約のため、卒業は自宅で迎えることになりました。壇に上がってその後のビュッフェパーティに家族を招きたいと希望していましたが、実際に出席しての卒業式はかないませんでした。

卒業から数日後、アップル、ボストン・ダイナミクス、キヤノン、テスラなどさまざまな企業に応募しましたが物事は期待通りには進みませんでした。日が経つにつれ、世界の大きさに対して自分の小ささを感じ始め、私が望んでいた職には他に何人の応募者がいたのだろうと考えるようになりました。

E卒業からちょうど1ヶ月後、Analog Devices PhilippinesからLinkedInを通じてフィリピンで仮想ハッカソンが実施されるとの連絡がありました。非常に面白そうだと思いましたが、主催者からは2〜3名の他の人を交えたグループに入るよう勧められました。何名かに声を掛けましたが、パンデミックのニューノーマルの中では動けなかったり、あるいは期限までに返事が来なかったなど、誘いに応える人は誰もいませんでした。

主催者がパートナーを選んでくれることは知っていたので、私だけで応募することにしました。ハッカソンで優れた成績を収めるにはグループ内に良きシナジー効果が必要であることは承知しており、出会ったばかりの人たちの間でそれを実現できるだろうかと非常に不安でした。しかし就職すればそれと同じ状況に置かれるわけで、優れた成果を収めるためには新しい人々と協力し、私の考えや意見を積極的に述べると共に、それらを修正できなければならないと気付きました。

ハッカソンが開始され、自分のチームを知る必要に迫られました。グループは私を入れて3人で、全員が本気で優勝するつもりでした。物事が常に簡単に進んだわけではなく、グループメンバーに直接会う機会は与えられず、時間の制約と作業量は過酷でした。私の自制心、思考能力、柔軟さ、グループとのコミュニケーション、および集中力が試されました。これは私の人生を変える出来事でした。

結論から言えば、私たちは優勝しました!

その日のうちにアナログ・デバイセズから求人の申し出がありました。「チャンスがやってくるときはいつも突然だ」という家族の言葉を思い出してその夜には入社すると連絡しました。


Q: ハッカソンで取り組んだプロジェクトは楽しめましたか?

はい!またこのテーマに沿って仕事を続けられることを非常にうれしく思っています。このプロジェクトは概念立証に過ぎず、ビジネスの可能性とするためにはさらに作業が必要なことは承知していますが、自分が思い描いている技術に関しては本当に興奮を覚えています。


Q: すばらしい経験だったようですね。今はアナログ・デバイセズで仕事しているわけですが、具体的にはどのようなことをしているのですか?

システム開発に携わっています。これは私が思い描いている、技術の力を借りて人々がその可能性を最大限に発揮することを実現する素晴らしい仕事です。特にアナログ・デバイセズでは毎年非常に多数の新しい技術が登場していますが、私の仕事が関係するのもそこです。私は現在システム開発グループに所属しており、このグループではさまざまな事業部門のお客様からの、緊急を要する問題を解決するためのソリューション提供が業務の中心となっています。

私の仕事は、ICやその他のチップなどのデバイス、PCBやセンサーなどのハードウェア、Arduino、Raspberry Pi、FPGA、PMODなどにわたる、デバイス・ドライバ、アルゴリズム、ライブラリ、システム・プラットフォームなどのソフトウェアが持つ複雑さに対応した、システム・レベルのアプリケーションに現在利用可能な技術を組み込むことの支援です。

私はプロジェクトに必要なハードウェアに関連するすべてのものを提供し、またお客様にとっての回路の信頼性を高めるためそれらをテストする、ハードウェア開発チームに所属しています。私がADIで働き出して35週目になりますが、この35週間はこれからの長いキャリアの最初のステップに過ぎません。


Q: 以前からこの仕事に就くことを望んでいたのですか?子供のときは何になろうと思っていたのですか?

母親から何になりたいかと尋ねられるたびに、ちょうどその時に何をやっていたか、あるいはどんなテレビ番組を見たところかによって違うことを答えていたのを覚えています。宇宙飛行士や医師や映画監督やポケモンマスターなどがそれでした。

最も良く覚えているのは科学者になりたいと思ったときです。毎回のSineskwela(フィリピンの子供向け科学番組)からの影響か、私は変でいたずら好きの科学オタクになりました。テレビのリモコンを分解したり、使い終わった電池をハンマーで叩いたり、レゴのようにゾイドに洗濯ばさみを付けて遊んだりしたのはその影響です。


Q: 学校を離れてまだ間もないわけですが、同級生たちはあなたのことをどのような人だと思っていましたか?

大学、高校、あるいは小学校以来の友人たち何人かに尋ねてみました。答はさまざまでしたが、最も印象に残っているのは写真が趣味だったこと、テクノロジー好き、および授業が終わると真っ先にいなくなる生徒だったということでした。

Victor Calinao and friends

これは友人のニコルのデビューで、同じく友人である(左から右へ)ラファエルとエンリケと共に非常に厳しかった最終試験の後に皆で遊んだときの写真です。

Q: 学生時代の楽しい思い出はありますか?

卒業論文を提出した直後です。学問に関して泣いたのはこれが初めてのことで、これからも忘れることはないでしょう。

まだ朝早くのことで、前の晩はほとんど寝ていませんでした。制服に着替えて論文をプリントアウトしました。論文についてプレゼンテーションを行いそれがうまく行きました。終わった後、私は審査委員たちの前で泣きました。すべての犠牲は無駄ではなかったと感じ、うれしさと安堵感が押し寄せてきました。 驚いたことに私たちには後に卓越した研究賞が与えられました。


Q: インタビューに応じていただきありがとうございます。終わりに際し他の人に何か伝えたいことはありますか?

私には私自身に負けん気を与え、野心を持たせ、やっていることに熱意を抱かせるようなストーリーを見つけ出す習慣があります。何かを適切に行うために最も重要なことは、自分自身について計画を立てていることだと気付きました。

「自分自身について計画を持たなければ、誰か他の人があなたのための計画を立てるだろう」というアンソニー・ロビンズの言葉のように。

今日は私についてお話しできて幸いでしたが、そのほとんどはもはや過去のことです。重要なのは未来です。私が他の人に伝えたいと思うのは、あなたが共に働いている、あなたが何かを成し遂げることを助けた人々を尊重することの重要さです。なぜなら、表彰状や記念品はいつか古びてしまいますが、友人、家族、そして記憶は常にそこにあるからです。