筆者:ユヴァル・ズッカーマン(Yuval Zukerman)、エッジAIパートナーシップ担当ディレクター
2026年5月4日
電気モーターは至る所にあります。車の窓や洗濯機、家を建てる際に大工が使ったドリル、さらにはスマートフォンの微かな振動の背後にも、それらは存在しています。単純な仕組みに見えます。電源を入れれば、動き出します。しかし、ほとんどの人が気づいていない事実があります。それは、どのモーターも正常に動作させるには入念なキャリブレーションが必要であり、そのキャリブレーション作業は驚くほど複雑だということです。キャリブレーションの繰り返しを省くため、モーターには一般的な使用に「十分」な基本パラメータが設定されています。しかし多くの場合、企業は専門家に依頼して、入念なチューニングに投資しています。
これらの専門家は、PID(Proportional-Integral-Derivative:比例‐積分‐微分)制御のチューニングと呼ばれる従来の手法を採用しており、これには複雑で、しばしば高額なプロセスが必要となります。しかし、チューニングされていないモーターが及ぼす影響は甚大です。Precedence Research1によると、2025年の電気モーター市場の規模は1,800億ドルを超え、急速に拡大しています。「十分」な状態で稼働させるということは、エネルギーの浪費につながり、早期の摩耗を招き、早期の交換が必要になる可能性があるということです。これまで、この目に見えないキャリブレーションの課題は、モーターを使用する上での避けられない代償とされてきました。
アナログ・デバイセズ(ADI)は、産業、ロボット、オートメーションの各分野における実世界のエレクトロメカニカル・システムと緊密に連携しています。こうした最前線でのシステムレベルの視点から、アナログ・デバイセズは、AIが、モーター・コントロールにおける現実世界でもっとも根深い課題のひとつである、未知で変動する負荷下でのシステムの試運転とチューニングを軽減できるかどうかを検証することにしました。アナログ・デバセズの新たな研究により、AIモデルがたった一度の動作サンプルからあらゆる電気モーターの制御方法を学習できることが実証されました。初期の結果から、このモデルには、電気シェーバから軌道上の衛星に至るまで、あらゆる分野に変革をもたらす可能性が示されています。
現在のモーター・チューニング方法(そしてその難しさの理由)
現代のモーター・コントロールは、通常、フィードバック・ループ、特にPIやPIDのコントローラに依存しています。理論上は、洗練されていますが、実際は大変です。モーターのチューニングには、通常次のような作業が含まれます:
- モーターの実際のシステムへの取り付け
システムの負荷を慎重に測定する必要があります。ギアボックス、ベルト、慣性、摩擦、およびたわみは、いずれもモーターの挙動に影響を与えます。 - テスト信号の入力
エンジニアは、ステップ入力、ランプ、またはチャープを適用して、モーターの応答を確認します。 - トラッキング・エラーの測定
モーターが目標からどれだけずれているかを測定します。 - ゲインの手動調整
簡単に言えば、ゲイン調整とは、モーターが誤動作した際に、モーター・コントローラがどの程度強く補正を行うかを決定することです。このバランスを適切に調整するには、専門家でも数時間を要します。 - それを何度も繰り返す
負荷を変え繰り返します。速度プロファイルを変え繰り返します。温度ドリフトを繰り返します。
PI制御は、たとえ適切に設計されていても、摩擦、飽和、デッド・ゾーン、マルチ慣性ダイナミクスなどの非線形性に対処するのが困難です。これを補うため、エンジニアはしばしばフィードフォワード制御を追加します。これは、誤差が発生する前に、動作指令に従うために必要なトルクや電流を予測しようとするものです。しかし、フィードフォワード方式には独自の課題があります。それは、モーターと、そのモーターが駆動するメカニカル・システムについて、高精度なモデルが必要となる点です。そして現実の世界では、そうしたモデルが長期間にわたって正確であり続けることはめったにありません。これが、モーターのチューニングが依然として手作業による、専門家主導のプロセスである理由です。また、これはチューニングは時間がかかり、コストも高く、拡張性に乏しい作業であることを意味します。
従来の「モーター・コントロールのためのAI」が不十分だった理由と、コンテキストに応じた学習が機能する理由
機械学習は以前からモーター・コントロールに応用されてきましたが、大きな制約がありました。アプローチによっては、各モーターおよび負荷条件についての大規模なデータセットを収集する必要があります。また、システム変更のたびにモデルを再学習させる必要があります。強化学習の手法も有効ですが、多くの場合、数千回もの試行が必要となり、シミュレーションと実機との間に乖離が生じ、実機上でテストする際にリスクを伴うことがあります。要するに、ほとんどのAIアプローチは、手動によるチューニングといったある種のコストを、データ収集、再学習時間、あるいはシステムの複雑さといった別のコストと引き換えにしています。これまで欠けていたのは汎化能力、つまりほとんどデータがない状態から新しいモーターを理解する能力でした。
コンテキスト学習は、そのルールを一変させます。
コンテキスト学習モデルは、モデル・パラメータを更新する代わりに、事例を参照することで適応します。単一の(入力、出力)ペアを提示するだけで、モデルは暗黙的にその背後にあるシステムの挙動を推論します。この考え方は、言語モデルにおいて広く研究されてきました。アナログ・デバイセズは、この原理が現実世界のモーター・コントロールにおいても有効であることを初めて実証しました。AIに学習を通じて新たなコントローラになるよう求めるのではなく、AIに、目の前のモーターを認識し、それに応じて反応するように求めるのです。
システムの仕組み(数式なし)
このアプローチは驚くほど洗練されており、2つの段階を経て行われます。
ステップ1:システムの言語を学ぶ
実際のモーターに触れる前に、このモデルは、線形および非線形の数万もの合成システムを用いて事前学習しています。これらのシステムには、実際のエレクトロメカニカル・システムのセット・アップでよく見られる飽和、摩擦、デッド・ゾーンといった挙動が含まれています。このデータから、モデルは信号やシステムの挙動を簡潔に表現する方法を学習します。重要なのは、このモデルが方程式やラベルを見ることは決してなく、生の(入力、出力)のペアのみを扱うという点です。実際のモーターに達する頃には、モデルはすでに「システム」がどのようなものかを理解しています。
ステップ2:一度の実行からモーターを推測
このモデルは、導入されると、1つのチューニングされていないモーターの応答を監視します。これはまさに、デフォルトのPIコントローラから得られるような不完全なデータそのものです。この単一の事例から、モデルはシステム・エンベディングを形成します。これは、モーターの負荷ダイナミクスを捉えた、学習された内部表現です。その後、このエンベディングはプロンプトとして使用され、新しい動作指令に対して高精度なフィードフォワード制御信号を生成します。
テストでは、チームはアナログ・デバイセズのTrinamicモーター・コントローラのTMC9660を使用し、さまざまな負荷条件下でステッピング・モーターとブラシレスDC(BLDC)モーターの両方を駆動して試験を行いました。その結果、このモデルは、最初の試行でトラッキング・エラーを劇的に低減させるコマンドを生成しました。再トレーニングが不要です。識別実験が不要です。パラメータの微調整が不要です。
制御性能の向上が真に意味するもの
モーター・コントロールにおいて、精度とは単にグラフ上の数値を達成することだけではありません。迅速かつ自動化されたチューニングとトラッキング・エラーの低減は、信頼性の向上、エネルギー・コストの削減、そしてモーター交換時間の短縮によるダウンタイムの短縮につながります。
実験では、この手法は、初見の負荷やモーターにおいても、適切にチューニングされたPIコントローラや物理ベースのフィードフォワード手法の両方を上回る性能を示しました。この性能向上は、クーロン摩擦のような非線形効果が大きい複雑なマルチ慣性システムやモーターにおいて、特に顕著でした。つまり、実験室の中だけでなく、従来のチューニングが最も困難な場面でもその性能を発揮するということです。
合成データの静かなる力
この研究から得られた最も常識に反する知見の一つが、合成データの役割です。初期の合成データセットは、2万の多様なシステム・セットから得られた6万組の入力/出力ペアで構成されていました。これらのシステムは、LTIおよびNTI(線形および非線形時不変)システムを含む、多種多様なモーター・タイプを網羅していました。研究チームはさらに、デッド・ゾーンや飽和といった一般的な非線形性のサンプルを用いて、そのデータセットを拡充しました。これにより、モーターに特定されない動作をモデルに組み込むことに役立ちました。
このデータで特筆すべき点は、モデルの事前学習において、特定のモーター・データやシステムの方程式が使用されなかったことにあります。重要な点として、実験の結果、単純な線形システムのみで学習させたモデルでさえ、PI制御や物理ベースのアプローチの両方を上回る性能を示しました。これは、学習データが実際のモーターと厳密に一致する必要がないことを意味しています。このモデルは、すべてのモーターの完全なデジタル・ツインを必要としません。このモデルは、現実性よりも多様性からより多くの恩恵を受け、幅広い動作を学習することで、新たな挙動を迅速に認識することができます。
合成システムが実際のモーターと完全に一致しない場合でも、このモデルは依然として効果的に一般化することができます。これは、データに関する従来の前提を覆すものであり、はるかに拡張性の高い制御システムへの道を開くものです。
なぜこれがモーター・コントロールの経済性を変えるのか
このアプローチは、制御理論を排除するものではありません。フィードバック・ループに取って代わるものでもありません。むしろ、このプロセスにおいて最もコストがかかる部分、すなわち手動によるチューニングとシステム同定を排除するものです。かつては専門家が何時間もかけて行っていた作業が、今では数秒で完了するようになりました。この変化は、ロボット、製造業、医療機器、そして民生用製品の分野において、計り知れない可能性を秘めています。特に、人間の絶え間ない介入なしにモーターが確実に動作することが求められるあらゆる場面において、その可能性は大きいと言えます。
実際には、これらの進歩は、TMC9660やTMC6460のような統合型モーション・プラットフォーム上で最も効果的に実現されます。これらのプラットフォームでは、パワー・エレクトロニクス、センシング、モーション・コントロールが、単一のソフトウェア定義ソリューションに密接に統合されています。
今後の展望
初期モデルが素晴らしい成果を上げたことを受け、アナログ・デバイセズのチームは調査の範囲を以下の分野へと拡大していく予定です。
- 現在、このモデルを実行するにはデスクトップ並みの演算能力が必要です。今後は、エッジ・ベースのプラットフォームとの互換性を高めるよう、モデルの改良を進めていきます。
- コンテキスト学習の取り組みに続き、アナログ・デバイセズは、全体的な安定性を保証しつつ、変化する環境(慣性、摩擦など)に適応する柔軟性を備えた適応型モーター・コントロールの研究を進めています。
- 最後に、この研究を他のアナログ・デバイセズのモーターや製品へのモデルのファイン・チューニングへと拡大し、堅牢なフィードフォワード制御および適応制御技術を通じて性能の最適化を目指します。
また、このプロジェクトに関する論文(Arxiv:https://arxiv.org/abs/2602.07173)が、今年のICASSP 2026イベントのポスターに選出されたことをお知らせできることを嬉しく思います。会場でお会いし、私たちの研究について直接お話しできることを楽しみにしています。
出典
1 2026年から2035年までの電気モーター市場の規模、シェア、および動向、Precedence Research