マルチプレクス・データ・アクイジション・システム設計におけるSAR とシグマ・デルタ(Σ-Δ)コンバータのトレード・オフ

産業用プロセス制御、携帯型医療機器、および ATE(自動試験装置)、40Gbps/100Gbps 対応の光通信システム などに搭載され、マルチプレクス・データ・アクイジション・システム(DAS)ではチャンネル数の増加が期待されています。これらの装置では、複数のセンサーからの信号を測定し、多数の入力チャンネルを 1 つ、または複数の ADC に接続して監視およびスキャンすることが求められているからです。マルチプレクスの採用に伴う総合的なメリットは、チャンネルごとに必要とされる ADC の数を減らして、プリント基板(PCB)のスペース、消費電力、およびコストを節約できることにあります。自動試験装置および電力線監視アプリケーションにおける一部のシステムでは、チャンネルごとに専用のトラック&ホールド・アンプと ADC が必要になります。これは、PCBスペースと消費電力を犠牲にしてでも、複数の入力を同時にサンプリングして、チャンネルあたりのサンプリング・レートを高めるとともに、位相情報を保持するためです。システム設計者は、最終アプリケーションの性能、消費電力、サイズ、およびコスト要件に基づいていずれかのコンバータ・アーキテクチャとトポロジを選択して、市販されているディスクリート製品または統合型製品を使用し、シグナル・チェーンを実装します。図 1 に、さまざまなタイプのセンサーを監視して順番にサンプリングするマルチプレクス DAS の簡略化したブロック図を示します。場合によっては、マルチプレクサと ADC の間にバッファ・アンプまたはプログラマブル・ゲイン・アンプを使用することもあります。

図 1. 代表的なマルチプレクス・データ・アクイジション・システム

チャンネルを切り換えるときに、マルチプレクサの入力にわずかな電圧グリッチまたはキックバックが発生します。このキックバックは、マルチプレクサのターンオン時間とターンオフ時間、オン抵抗、および負荷容量の関数です。通常、オン抵抗が低い大型のスイッチでは、出力容量が大きくなります。このため、入力を切り換えるたびに新しい電圧値までの充電を実行する必要があります。出力が新しい電圧にセトリングされない場合、クロストーク誤差が発生します。したがって、フルスケールのステップをセトリングするには、マルチプレクサの帯域幅を十分に広くし、マルチプレクサの入力にバッファ・アンプまたは大きなコンデンサを使用する必要があります。これ以外にも、オン抵抗を流れるリーク電流によるゲイン誤差が発生します。これら両方の誤差を低く抑えることが望まれます。

SAR とΣ-Δ ADC アーキテクチャの比較

図 2 に、電荷再配分式コンデンサ D/A コンバータ(DAC)アレイをベースにした逐次比較型(SAR)の基本的なコンバータ・アーキテクチャを示します。これは各変換の開始エッジで入力信号を1 回サンプリングし、各クロック・エッジで 1 ビットの比較を行い、アナログ入力にほぼ一致するまでコントロール・ロジックを通じて DAC コンバータの出力を調整します。このため、シングル N ビット変換を反復的な手法で実装するには、独立した外部クロックから N 個のクロック・サイクルが必要になります。

図 2. 基本的な SAR ADC アーキテクチャ

図 3 に、変調器のオーバーサンプリング周波数(Kfs)でアナログ入力信号を連続的にサンプリングする基本的なシグマ・デルタ(Σ-Δ)ADC アーキテクチャを示します。この変換出力は Kfs で取得した一連のサンプルの加重平均です。Σ-Δ ADC の分解能が高くなるほど、変換時間が長くなります。シングル変換を完了するには 2N 個のサンプルが必要になるからです。

図 3. 基本的なシグマ・デルタ(Σ-Δ)ADC アーキテクチャ

内部コンパレータのノイズと DAC の直線性によって SAR ADC 変換の精度が決まり、変調器で使用される積分器のセトリング・タイム(スイッチング)によってΣ-Δ ADC 変換の精度が決まります。SAR ADC における課題の 1 つは、ある変換の終了から次の変換の開始までのアクイジション時にドライバ・アンプのアナログ入力に注入された切り換え過度電流をセトリングしなければならないことです。

SAR ADC の入力帯域幅(数十 MHz)は、サンプリング周波数よりも高い値です。通常、必要な入力信号帯域幅は、数十~数百 kHzです。このため、アンチエイリアシングを行って、対象帯域幅に折り返される不要なエイリアスを除去する必要があります。Σ-Δ ADC の場合、必要な入力信号帯域幅は、通常 DC ~数 kHz で、デジタル・フィルタの入力帯域幅は変調器のサンプリング周波数よりも低い値になります。このため、アンチエイリアシングの要件が緩和されます。デジタル・フィルタが対象帯域幅の外側にあるノイズを除去した後、デシメータが出力データ・レートをナイキスト・レートまで低減します。

マルチプレクス・アプリケーションの課題

高精度 SAR ADC には、使いやすさ、低消費電力、小型パッケージ、低遅延という利点があり、マルチプレクス DAS でチャンネルの高速切り換えを簡素化できるので、さまざまなアプリケーションで一般的に使用されています。高精度Σ-Δ ADC は、帯域外除去の機能を備え、チョッピング機能を実装した場合に 1/f ノイズを DC 付近(50/60 Hz)まで除去できるので、産業用アプリケーションやオーディオ・アプリケーションで一般的に使用されています。この場合、 ADC のサンプリング・レートと高分解能のトレード・オフが生じます。

SAR ADC は本質的に非同期で、変換に伴う遅延またはパイプライン遅延がほぼゼロです。さらに、ほぼフルスケールのステップ入力に対する応答時間が短く、高速制御ループ設計が可能になるため、多くのマルチプレクス・アプリケーションで一般的に採用されています。それに対し、Σ-Δコンバータ・アーキテクチャは、一般的に単調増加であり(つまり、任意の時点で変換可能)、内蔵変調器を使用してオーバーサンプリングとデジタル・デシメーション・フィルタリングを実行します。これらの処理では、すべての内部ブロックを同期するのにグローバルな内部クロック源または外部クロック源を必要とするので、ゼロより大きいサイクル遅延またはセトリング・タイムの問題が発生します。システムによっては、低遅延のデジタル化処理を実行する際に複数のチャンネル間の均一性も不可欠です。そのため、SAR ADC を使用してチャンネルの切り替えを容易かつ高速に実施し、マルチプレクスを実現しているものもあります。
Σ-Δ ADC は、デジタル・フィルタの遅延(群遅延)があるにもかかわらず、高い分解能、精度、ノイズ、ダイナミック・レンジ性能という特性があるので、温度、圧力またはロード・セルなどのさまざまなタイプのセンサーをマルチプレクスして、わずかな電圧変化を取得し、遅い出力データ・レートで変換する目的で一般的に使用されています(プロセス制御など)。それに対して、SAR ADC は通常、チャンネルごとにロー・パス・フィルタまたはバッファを必要とするので、スペースの点で設計が複雑になり、さらにコストも増やします。

一部の高精度 SAR ADC はスループット・レートが高いので、デジタル化処理を実行する際に複数のチャンネルを速いスキャン・レートでマルチプレクスできるようになります。結果として、ADCの数を減らして、PCB のスペースとコストを節約できます。高精度Σ-Δ ADC がマルチプレクスを実行する場合に達成できる出力データ・レートは、デジタル・フィルタのセトリング・タイムに依存します。このため、マルチプレクサ・チャンネルがフルスケールにわたって高速遷移する場合に、セトリング能力が制限されます。セトリング・タイムは、使用するデジタル・フィルタのタイプによっても異なります。有効な変換結果を得るには、デジタル・フィルタのセトリング・タイムが完了するまで待つ必要があります。その後、チャンネルを次のチャンネルに切り換えることができます。sinc(sinx/x)デジタル・フィルタを備えた一部のΣ-Δ ADC では、内部デジタル・フィルタの結果をマスキングして、完全にセトリングされたデータの結果を最初の変換中または新しいサンプリング期間が開始される前に出力することで、シングル・サイクル・セトリングまたはゼロ遅延を実現できます。これらの ADC 出力データ・レートに対応する時間 t は常に、完全なセトリングに要する遅延時間よりも短くなります。

マルチプレクス・アプリケーションにおいて、両方のタイプの高精度 ADC で発生する一般的な問題として、帯域幅、セトリング・タイム、入力範囲要件が挙げられます。マルチプレクス DAS では、入力チャンネルを次のチャンネルに切り換えたときに、DC タイプの信号も含め、ADC が電圧振幅の大きなステップ変化と速い遷移をサポートできなければなりません。入力ステップは負のフルスケール電圧(場合によってはグラウンド)から正のフルスケール電圧(またはその逆)に遷移する可能性があるからです。つまり、複数の入力チャンネル間で短時間のうちに大きな電圧ステップが生成される可能性があり、ADC 入力はこの大きな電圧ステップをセトリングできなければなりません。これは ADC ドライバにさらなる負荷を与えます。ADC ドライバの信号帯域幅が大きいことは ADC ドライバを選択する際の重要な仕様となります。振幅ステップが大きい場合、非線形効果が表面化し、スルー・レートと出力電流特性によって ADC ドライバの能力と出力応答が制限されます。マルチプレクサ・チャンネルの切り換えは ADC 変換ピンと同期する必要があり、選択したチャンネルをセトリングするための最大時間を確保できるように、変換開始からわずかな切り換え遅延(数十 ns)の後に次のチャンネルに切り換えることが望まれます。最大スループットでの性能を確保するには、マルチプレクサが切り換えを行って次の変換を開始するまでの間に、ADC 入力側でマルチプレクス・システムのすべてのコンポーネントを完全にセトリングする必要があります。

統合製品とディスクリート製品を使用した高精度マルチプレクス DAS ソリューション

マルチプレクス・アプリケーションでは、要件に応じて 2 種類の高精度 DAS ソリューションを使用できます。1 つは統合製品を使用したもので、もう 1 つはディスクリート製品を使用したものです。ディスクリート製品を使用したマルチプレクス・ソリューションのメリットは、性能要件に基づいて適切な信号コンディショニング製品を柔軟に選択できることです。この場合も、チャンネル切り換え、シーケンシング、セトリング・タイムに関する設計上の複雑な問題が発生します。また、マルチプレクサの入力チャンネルを切り換え、外部キャリブレーションを実行して誤差をキャリブレーションできるようにすることで柔軟性が向上しますが、基板サイズが大きくなり、コストが上昇する可能性が高くなります。柔軟性を高くするため、オンチップの機能を使用する代わりに、FPGA で独自のデジタル・フィルタリングを設定することもあります。

マルチプレクス・ベースの統合型ソリューションを使用する場合、チャンネル切り替え、シーケンシング、およびセトリング・タイムの問題は発生しません。さらに、この方法ではチャンネル構成ごとに、入力レンジおよび誤差キャリブレーションの異なるオプションを設定することもできます。この場合、シグナル・コンディショニングの柔軟性は低くなりますが、この方法によって十分な性能を発揮した上で、設計を簡素化し、スペースと部品コストを節約することができます。現在入手可能な特定の高集積型 SAR および Δ-Σ ADC を採用すると、高精度 DAS の設計に伴う多くの課題を軽減できます。これらの IC を採用すると、入力信号のバッファ、レベル・シフト、増幅、減衰、その他のコンディショニングを行う必要がなくなります。また、同相ノイズ除去、ノイズ、チャンネル切り換え、シーケンシング、およびセトリング・タイムに関する問題も排除できます。

システム設計者は、マルチプレクス・データ・アクイジション・システムの性能、消費電力、サイズ、およびコスト要件に基づいて SAR またはΣ-Δ コンバータ・アーキテクチャを選択する際に、ここで説明した設計上の長所と短所を考慮することが望まれます。

Maithil Pachchigar

Maithil Pachchigar

Maithil Pachchigar はアナログ・デバイセズの計装/高精度テクノロジー部門のアプリケーション・エンジニアです。2010 年にアナログ・デバイセズに入社して以来、高精度 ADC の製品ポートフォリオを担当し、産業分野、計測分野、医療分野、エネルギー分野のお客様を支援しています。2005 年から半導体業界に携わっており、数件の技術資料を発表しています。2006年にサンノゼ州立大学で電気電子工学の修士号を取得し、2010 年にシリコン・バレー大学で経営学の修士号を取得しています。