心臓の一回排出量を非侵襲で監視する方法、AFEを活用して測定システムを構築
要約
VSM(Vital Signs Monitoring)機器は、電気生理学的な信号を取得するために使用されます。例えば、心電図(ECG:Electrocardiogram)の測定や、光電式容積脈波記録法(PPG:Photoplethysmography)による心拍測定、生体電気インピーダンス(Bio-Z:Bioelectrical Impedance)の測定を行うために各種のVSM機器が用いられるということです。このような測定を実施すれば、人体の様々な生理的状態を確認できます。実際、VSM機器はヘルスケアに向けたモニタリング、疾病の予防、補助的な治療などの用途で広く活用されています。電気生理学的な信号の測定技術としては、インピーダンス・カルジオグラフィ(ICG:Impedance Cardiography)も重要です。ICGでは、胸郭のインピーダンスの瞬間的な変化を追跡することにより、心臓からの血液の一回排出量(SV:Stroke Volume)を測定します。それにより、心臓の血行動態の機能を評価することができます。本稿では、このICGの基本的な原理と測定方法について説明します。また、アナログ・デバイセズは、Bio-Zの測定に向けた集積度の高いアナログ・フロント・エンド(AFE:Analog Front End)ICを提供しています。これを活用すれば、ICG信号のアクイジションとSVの算出を実現するためのソリューションを構築できます。本稿では、その方法について詳しく解説します。
はじめに
ICGは、心血管機能を評価するための非侵襲的な技術です。心周期に血液の量が変化すると、それに関連するBio-Zの値が変化します。そこで、ICGでは心臓の活動に依存して変化する胸郭のBio-Zの値を測定します。その測定結果を使用すれば、インピーダンス心電図を取得することができます。加えて、その1階微分(dZ/dt)を導出することも可能になります。dZ/dtの波形には、心周期における主要な生理学的事象を反映した明確な特徴点が含まれます。それらを利用すれば、SVや左室駆出時間(LVET:Left Ventricular Ejection Time)といった血行動態に関する重要なパラメータの値を抽出できます。ICGは非侵襲的かつシンプルな手法です。しかも、継続的なモニタリングを実現可能です。そのため、ICGは、VSM機器の機能を実現する手段として、また心血管を評価するための方法として広く活用されています。
インピーダンス心電図の概要
Bio-Zの測定技術を用いれば、インピーダンス心電図を取得することができます。その結果は、血液の量の変化を反映したものになります。インピーダンス心電図はICG信号とも呼ばれます。図1に、代表的なインピーダンス心電図の例を示しました。
この図において、dZは胸郭の総インピーダンスを表します。dZ/dtはその1階微分です。dZ/dtの波形には、明確な特徴点と波形成分が含まれています。各特徴点の位置と振幅を基にすれば、SVなどのパラメータの値を算出できます。以下、心周期の各特徴点について簡単に説明します。
- A点:ICG信号において下向きの偏位として現れます。心房の収縮によって生じます。
- B点:等溶性収縮の終了、半月弁(大動脈弁)の開放、心室急速駆出期の開始を表します。ICG信号においては収縮期波の開始を表す点だと見なされます。また、血流の加速が最大になる瞬間に相当します。
- C点:大動脈の血流が最大になる時点を表します。急速駆出期の終了と減速駆出期への移行を表す点だと説明することもできます。ICG信号においては収縮期波のピーク(最大値)を表します。
- X点:心室の収縮の終了と半月弁の閉鎖の開始を表します。この点は、ICG信号において収縮期波に続く最小値(心拍数に応じて変化)に対応づけられます。血流の減速が最大になる点だと表現することもできます。
- O点:左房室弁の開放と心室充満の開始を表します。
Bio-Zの測定原理
人体の組織に微弱な交流電流を流すと、そのインピーダンスが変化します。その変化量を測定すれば、血液の量の変化を反映した心臓のインピーダンスを表す信号が得られます。ご承知のとおり、人体は多数の細胞によって構成されています。生体組織の電気的なモデルは、図2に示す等価回路で表すことが可能です。このモデルにおいて、Cmは細胞膜の並列容量、Reは細胞外液の抵抗、Riは細胞内液の抵抗を表します。Cm、Re、Riは、単一の細胞の膜容量や細胞内/細胞外の抵抗を表しているわけではありません。そうではなく、生体組織全体の等価容量と等価抵抗を表していることに注意してください。この等価回路は、Bio-ZのRC三要素モデルとも呼ばれます。本稿では、Bio-Zの測定に広く使用されている4電極法を前提として解説を進めます。その原理は、1対の電極を介して励起電流を印加し、もう1対の電極を使用して電圧を抽出するというものです。
図3に、ICG信号のアクイジションに用いる標準的な構成を示しました。この例では、3M製のAg/AgClゲル電極を4つ配置しています。これらのうち、D1とD4は励起電極用のペアとして機能します。そして、D2とD3は検出電極用のペアとして働きます。ICG信号の測定に使用するICは、D1を介して人体に周波数の高い電流を注入します。その電流は、D4を介してICに戻ります。胸部に一定の電流を印加すると、D2とD3の電極間に電位差が生じます。ここで、胸郭のインピーダンスは心臓の活動に応じて変化します。それに伴って、D2とD3の間の電位差も変化します。この変化する電位差がICG信号として取得されます。
ICG信号のアクイジションを実施する際、電極の最適な装着個所は以下のようになります。
- 励起電極D1:左右の耳の後ろのくぼみに装着する
- 励起電極D4:上腹部に装着する
- 検出電極D2:両方の鎖骨の上に対称に装着する
- 検出電極D3:剣状突起の下のくぼみの両側に装着する
SVの算出方法
Bio-Zの値のアクイジションは、次のような目的で実施します。すなわち、特徴点を基にしてICG信号を取得し、血行動態のパラメータの値を算出することです。つまり、SVの値を抽出/計算することが最終的な目標になります。その計算には以下に示す式を使用します。
この式において、W(単位はkg)とH(単位はcm)はそれぞれ被験者の体重と身長を表します。また、(dZ/dt)maxはICG信号のピーク振幅に相当します。LVETは左室駆出時間、ZOは体組織のベースライン・インピーダンスです。IWは理想体重であり、以下の式によって計算します。
Bio-Zの測定に最適な集積度の高いAFE
ICG信号を取得するためには、Bio-Zを測定する必要があります。そのためのシステムは、アナログ・デバイセズが開発した集積度の高いAFE IC「MAX30009」を活用して構築するとよいでしょう(図4)。MAX30009は、いくつかの大きな長所を備えています。まず、同ICの送信チャンネルには、正弦波形の電流を生成可能な電流源が実装されています。これを使用すれば、所望のAC励起電流を人体に印加できます。その電流の周波数は、16Hz~500kHzの範囲で設定可能です。また、電流の振幅は16nArms~1.28mArmsの範囲で設定できます。加えて、MAX30009は柔軟に設定可能な入出力マルチプレクサ(Mux)を備えています。このMuxを使用すれば、測定の種類に応じて、バイポーラ(2電極)の構成にもテトラポーラ(4電極)の構成にも対応することができます。加えて、同ICの受信チャンネルは、入力インピーダンスが高い、ノイズが小さい、同相モード除去比(Common-Mode Rejection Ratio)が高いという特徴を備えています。それだけでなく、プログラマブル・ゲイン回路や、構成が可能なローパス・フィルタ/ハイパス・フィルタ、分解能が20ビットのA/Dコンバータ(ADC)を2つ内蔵しています。そのため、I/Q信号の同期アクイジションに対応可能です。MAX30009には、もう1つ大きな長所があります。それは、キャリブレーション用の複数のオプションが用意されていることです。絶対精度の高いインピーダンスの値が求められるアプリケーションにとって、それらのオプションは非常に有用です。そうしたアプリケーションの例としては、生体インピーダンス分析/分光法(BIA/BIS:Bioimpedance Analysis/Spectroscopy)や、自動体外式除細動器(AED:Automated External Defibrillator)におけるBio-Z測定などが挙げられます。特に、4線式のキャリブレーション向けの専用ポートに高精度の外付け抵抗を接続すれば、最高の精度が得られます。また、トリミング済みの内蔵抵抗を使用することでも優れたキャリブレーション性能を達成できます。
図5に、MAX30009を使用して構成したBio-Zの測定システムの例を示しました。図中の「MAX32666」は、Bluetooth®に対応する低消費電力のマイクロコントローラ(MCU)です。また、このシステムでは、プログラムが可能で集積度の高いパワー・マネージメントIC(PMIC:Power Management Integrated Circuit)「MAX20356」を使用しています。このICを使用することにより、電源電圧を管理するだけでなく、MCU(MAX32666)を介したAFE(MAX30009)との通信を実現することができます。先述したBio-Zの測定原理に基づき、AFEの送信チャンネルは正弦波形の励起電圧を生成します。そのためには、AFEが内蔵するダイレクト・デジタル・シンセサイザ(DDS)とD/Aコンバータ(DAC)を使用します。励起電圧の周波数も所望の値に調整することが可能です。このシステムでは、バイアス抵抗によって励起電圧を電流信号(刺激)に変換します。そして、変換済みの電流信号を人体に印加します。それに対する応答信号は、AFEの入力ピンを介して受信チャンネルによって取得されます。ICG信号の測定では、周波数が20kHz~200kHz、RMS電流が約0.12mAの励起信号がよく使用されます。それにより、0.1Ω~0.4Ωという人体のACインピーダンスに対応できます。本稿の例では、図5のシステムによって周波数が65.536kHz、RMS電流が256μAの励起信号を人体に印加します。
ICG信号の特徴点を検出するためのアルゴリズム
ICG信号の測定システムでは、まず未処理のインピーダンス信号に対して50Hzのノッチ・フィルタ、メディアン・フィルタ、ローパス・フィルタを順に適用します。それにより、比較的クリーンなインピーダンス信号が得られます。次に、この信号を一度微分することでICG信号を取得します。ICG信号のピーク点(C点)は、差分閾値法によって検出します。そのC点に基づいて、B点とX点を検出するための時間ウィンドウを決定します。各点を検出するために、各時間ウィンドウ内で以下のような処理が行われます。
- B点の検出アルゴリズム:B点の時間ウィンドウ内で、ICG 信号の2階微分を実行します。その最大値がB点に相当します。ただし、その最大値がCpeakの15%未満である場合、ICG信号がゼロに交差する点をB点とします。ゼロに交差する点が存在しない場合には、0.15×Cpeakに最も近い点をB点と見なします。
- X点の検出アルゴリズム:X点の時間ウィンドウ内で、まずICG信号の極大値を特定します。その位置をO点とします。その時間ウィンドウ内で、O点に対する傾きが最大になる位置をX点とします。そのような点が見つからない場合、時間ウィンドウ内の最小値の位置をX点とします。Cpeakは、(dZ/dt)maxとして定義されます。また、B点とX点の時間差がLVETに相当します。図6に、ICG信号の特徴点を検出するためのアルゴリズムのフローチャートを示しました。
測定結果の例
図7に示したのは、図5のシステムを使用して取得したBio-Z信号の例です。また、図8には図7の結果から得たICG信号を示しました。このICG信号は、特徴点を検出するアルゴリズムによってBio-Z信号を処理することで取得しました。図8の信号上には、SVの算出に使用するC点、B点、X点も示してあります。
まとめ
ICG信号は、心血管の健康状態を評価するための重要な生体信号です。この信号は、心機能や血行動態と密に関連しています。心臓の健康状態を監視する上では、ICG信号の正確なアクイジションと分析が不可欠だと言えるでしょう。MAX30009は、Bio-Zの測定専用に設計されたAFEです。これを使用すれば、正弦波形の掃引信号をはじめとする様々な刺激信号を生成できます。また、直交復調によってBio-Zの値を正確に測定することが可能です。ICG信号を取得するためにこのICを活用すれば、心臓の活動に関する詳細な分析を実施できます。加えて、MAX30009は他のバイオセンサーと同期した状態で測定を実行できるように設計されています。そのため、心血管をモニタリングするウェアラブルなアプリケーションに適用すれば、従来のソリューションに対する優位性が得られます。ICG信号を測定する高精度のシステムを構築したい場合には、MAX30009が最適な選択肢になるでしょう。