アプリケーション・エンジニアは、異なるカスタマから同じ質問を繰り返し受ける場合がよくあります。特にアプリケーションにおける部品選定に関する質問です。部品選択においてしばしば見られる過ちの1つは、カスタマがいくつかあるデータシートのうちのいわば「随一のシート」に捕らわれすぎることです。私の意味するのは、人目を引く、光り輝くような仕様のことです。「いいぞ! あのADCはS/N比が高い」これから述べるのは、あるADCの高いS/N比に惚れ込んでしまい、データシートのそれ以外の重要な仕様を考慮することを忘れてしまったカスタマの例です。一般的な誤りや、アプリケーションに最適な部品を選択する方法についても説明します。
筆者は最近、地震や振動関係のアプリケーションに最適なADCを探しているカスタマの事例を知りました。このカスタマは、自分のアプリケーション用にS/N比が高く、全高調波歪み(THD)が少ないADCを必要としており、110dBを超えるS/N比なら大丈夫だと判断しました。振動センサーでは、変動するAC電圧信号がDC電圧信号に重畳されて連続的に出力されるため、振動関係のアプリケーションにおいて、デジタル化された信号をノイズにあまり影響されずに適切に取得するには、非常に高性能で、S/N比と分解能が共に高いADCが必要です。部品選択の際、カスタマが通常、行うことは、サード・パーティのウェブサイトで条件に合うものをパラメトリック検索して候補リストを作成し、各々の製品について、人目を引く製品説明があるフロント・ページをざっと確認し、製品のハイライトが記載されているデータシートの1ページ目を鵜呑みにしてしまう、ということです。多くの場合、データシートははるかに複雑であるため、フロント・ページのハイライトより更に踏み込んで調査する必要があります。このカスタマは、アナログ・デバイセズの高精度ADCであるAD7768のフロント・ページも参照し、そ8dのS/N比が10Bにすぎないことを知りました(ダイナミック・レンジとS/N比はいずれもRMSノイズを反映したもので比例関係にあるため、ほぼ同じものとして扱うことができます)。
カスタマの反応は「なんだ。このADCは目的のアプリケーションには明らかに適していない。S/N比が108dBしかないのだから」というものでした。更に下にスクロールすると、図2に示すように別の表があり、2種類のフィルタを用いた場合のS/N比が示されていました。
このカスタマは次のように判断しました。「なるほど、sinc5フィルタを使えば111dBになるのか。でも、別の会社の製品でS/N比が115dBを超えるものがあったから、そっちを使うことにしよう」
ちょっと待ってください。この比較には誤りがあります。ADCの動作速度を決める出力データ・レート(ODR)と分解能や出力がどの程度ノイズ・フリーかを決めるS/N比との間にはトレードオフがあります1。ODRが高いほどS/N比は低くなり、ODRが低いほどS/N比は高くなります。そのため、ODRとS/N比の各値は1対1で対応しています。まず必要な出力レートを特定し、次にそれに対応するS/N比に基づいてADC同士を比較することが重要です。このカスタマの場合は、256kSPSでS/N比が108dBのデバイスと、S/N比が115dBを超えるもののODRがわずか1kSPSの別のデバイスとを比較していました。このように、フロント・ページのデータによれば、ある製品の方が別の製品に比べてS/N比が小さいため、別の製品のほうがアプリケーションに適しているように見えます。しかし、これは適切にデータを比較していることになりません。
図3から、ODRの増加に伴ってRMSノイズも増加してデジタル値にエラーが発生し、S/N比が次第に低下していくことがわかります。図4はAD7768のデータシートのスクリーンショットで、ODRが1kSPSのときのS/N比が、広帯域フィルタの場合で123.88dB、sinc5フィルタの場合126.89dBであることがわかります。これらのdB値は、このODRでの競合デバイスのdB値よりはるかに高くなっています。
部品選択の前に注意すべき事項は次のとおりです。
- 動作条件に適した関連仕様を選択することが重要です。部品が適しているかどうかを判断する前に、VREF、VDD、消費電力、動作モード、動作温度範囲などのいくつかの仕様を比較することが必要です。S/N比自体はこれらのパラメータすべてに依存するため、アプリケーションの条件によって決定する必要があります。また、S/N比の値は、データシートの1ページ目以外も見て選択する必要があります。図5は、AD7768のRMSノイズの値 – したがってS/N比の値 – が様々なVREF電圧や温度でどのように異なるかを示したものです(RMSノイズはS/N比と逆比例します)。同様の変動は、他のパラメータにも見られます。
- VREFSやODRなどのすべてにおいて、関連する値がデータシートに示されているわけではありません。すなわち、必要な値を得るには、与えられた情報からデータを推定する必要があります。
- 部品を選択する場合には注意が必要です。代表値は、最小値や最大値とは異なります。たいていの場合、ADCは代表値で動作すると予想できますが、所定のパラメータの最小値や最大値でアプリケーションに障害が発生するおそれがある場合は、値の全範囲を考慮する必要があります。
回避可能で、誤解を生じる例は他にもあります。図6(a)は、LTC6268のデ ータシートの1ページ目、図6(b)は、ADA4530-1のデータシートの1ページ目を示したものです。
インピーダンスが非常に高いソースを追加した後、次段にアンプを必要とする場合、カスタマはまず入力バイアス電流が非常に低いアンプを探します。理想的には、オペアンプの入力端子に電流は流れ込みません。しかし実際は、IB+およびIB–の2本の電流が常にオペアンプの入力端子に流入します。これらは、入力バイアス電流と呼ばれています。ハイ・インピーダンス・ソースの場合、入力段での電圧降下を回避するため、入力バイアス電流が少ないアンプが選択されます。LTC6268およびADA4530-1は、「超低バイアス電流のFET入力オペアンプ」および「フェムトアンペア入力バイアス電流」という表題で市販されています。これらのデータシートの1ページ目にざっと目を通すと、図6に示すように、室温でLTC6268は3fAであるのに対し、ADA4530-1は20fAとなっており、カスタマは低入力バイアス電流条件を満たすためには前者の方が適していると、信じてしまう可能性があります。データシートは様々なので、バイアス電流の代表値はLTC6260のデータシートの場合は1ページ目に記載されていますが、ADA4530-1のデータシートでは1ページ目に記載されていません。代わりに、この1ページ目に最大バイアス電流が記載されています。再度強調しますが、代表値は最小値や最大値とは異なります。これらの値でアプリケーションに障害が発生するおそれがある場合は、代表値ではなく、最も厳しい場合を規定した最小値や最大値を考慮する必要があります。
LTC6268およびADA4530-1の仕様を図7に示します。最大入力バイアス電流定格はどちらのデバイスでも同じ(±20fA)ですが、ADA4530-1の代表値は1fA未満となっており、LTC6268のバイアス電流3fAより良好であることがわかります。しかし、この数字はADA4530-1のデータシートの1ページ目では強調されていません。このことから明らかなように、データシートを一層深く読み込むことが必要となります。ADA4530-1は入力バイアス電流の代表値に関しては勝っていますが、他の特徴は異なる可能性があり、この特長だけでどの製品が優れているかを判断するのは不十分です。
まとめると、まずアプリケーションの動作条件を決定し、次にその目的に適う仕様を探すことが重要であるという点を強調しておきます。場合によっては、データシートのフロント・ページやその表題に、別の仕様や動作条件での特徴が強調されていることがありますが、そのような場合は、データシートを詳細に検討して条件に適した製品を慎重に選択する必要があります。製品のパワー・バジェットを判断してからデバイスを選択することも重要です。最高の機能と優れた仕様を有しながらコストが高くパワー・バジェットが大きい、という可能性も常にあり得るためです。