Customer Case Study

キヤノン株式会社様 採用事例

理論や実験をシミュレーションで補完しながらアナログ回路の理解を促すカリキュラムを設定

「EOS」ブランドのデジタルカメラで知られるキヤノンは、電気系新入社員向けのアナログ回路研修や、キャリアマッチング制度を利用して転属したエンジニアを対象にしたアナログ回路研修などにLTspiceを導入しています。実験や理論とシミュレーションとを組み合わせて理解を深めるようカリキュラムを設定。分布定数回路を集中定数に置き換えるなどの工夫も行っています。

キヤノン株式会社 人事本部

キヤノン株式会社 人事本部
ヒューマンリレーションズ推進センター
技術人材開発部
技術人材開発第一課
青木 正氏

アナログ回路研修のツールにLTspiceを採用。電気系新入社員などを対象にカリキュラムを設定

キヤノンの中で開発系の技術研修を担っているのが、川崎市中原区の小杉事業所内に設けられた「小杉技術研修所」です。新入社員を対象にした専門基礎研修のほか、同社独自のキャリアマッチング制度[*1]で転属した技術者を対象にしたキャリアマッチング研修、および一般技術者向けの技術分野別研修を実施しています。

カリキュラムの一端を紹介すると、電気系の新入社員専門基礎研修の場合で、チームビルディング、アナログ回路、デジタル回路、電磁気学、周辺技術、ラスベリーパイを使った回路設計~試作実習などが組まれていて、これらをおよそ1.5か月[*2]の専門基礎研修期間の間に学びます。

同研修所がアナログ回路研修に導入しているツールのひとつがLTspiceです。「LTspiceには、無償で使えること、一般的なSPICEシミュレータでは収束しづらい回路やスイッチングレギュレータ回路のシミュレーションにおいても解析が可能なこと、回路規模・機能に制限がないことなどのメリットがあり、2015年からアナログ回路研修のツールとして採用しています」と、小杉事業所の青木 正氏は説明します。

[*1] キャリアマッチング制度:社員が事業部や職種を超えて上司の同意なく社内公募にチャレンジできるキヤノン独自の制度。異動が決まった場合、新たな職務に必要なスキルが足りなくても能力研修を通じてチャレンジが支援される。

[*2] 新入社員研修全体は着任後のOJTを含めて5~7か月。

オシロや信号発生器などで構成される研修環境。一人一台のPCにLTspiceをプレインストール

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図1. 電気系技術研修のツール環境。 二人のチームそれぞれに、1セットの計測器と2台のPCが支給される(本写真では2台目のPCは省略)
電気系の技術研修で受講生に与えられる環境を図1に示します。二人一組を基本とし、帯域70MHzのオシロスコープ、ファンクションジェネレータ、デジタルマルチメータ、定電圧電源がそれぞれ一台ずつと、試作実習用のブレッドボードおよびはんだごてが提供されます。「計測器の使い方が分からない、あるいは、はんだ付けをほとんどしたことがない、といった受講者も中にはいるため、座学による理論の学習に加えて、実践を通じて回路を習熟してもらいます」と青木氏は狙いを説明します。

パソコンは一人一台が割り当てられ、回路シミュレータであるLTspiceがあらかじめインストールされています。「研修では、LTspiceの使い方そのものよりも、LTspiceを通じて回路の動作や原理の理解を深めるもらうことを重視しています」(同氏)。

ちなみに、デジタル回路研修用のツールとしては、ライセンスを必要としないインテル(R) Quartus(R) Prime ライト・エディションもパソコンにインストールされています。なお、次の研修の際に、あのファイルがない、このファイルがない、といったトラブルを防ぐために、研修終了後はディスクイメージを使って全パソコンの環境を毎回初期化しているそうです。

分布定数回路も集中定数化してLTspiceで解析。理論や実動作と合わせて学び理解を深める

LTspiceの活用でユニークなのが伝送線路などの分布定数回路の解析です。LTspiceはアナログ回路シミュレータとして開発されているため扱えるのは集中定数回路に限られています。そのため、伝送線路のような分布定数回路をシミュレーションするには一般には電磁界解析ツールが必要ですが、同研修所ではLTspiceを使ってカリキュラムを構成しています(図2~図4)。
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図2. ファンクションジェネレータとオシロスコープを使った 同軸ケーブルの伝送実験
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図3. LTspiceでシミュレーションできるように、 同軸ケーブル(伝送線路)を集中定数回路で表現
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図4. 実測波形とシミュレーション波形とを比較しながら理解を深める
青木氏は狙いを次のように説明します。「高周波回路を厳密に解くには電磁界解析ツールが必要ですが、ツール自体の習得が難しいだけではなく、たとえば基板上のトレースのリターン電流は直下のグランド層のどこを流れるか、という問題があったときに、電流密度を色で示してはくれても、なぜそうなるかは示してくれません。数値的には厳密ではなくとも、分布定数回路を集中定数回路として近似しLTspiceで解析したほうが、高周波の挙動をより掴みやすくなると考えました」。

一方で、LTspiceの使い方の習熟にはそれほど研修時間を割り当てていません[*3]。「研修の方針として自学を基本としていますので、LTspiceの簡単な使い方などをまとめた動画を受講者に提供し、基本的な操作や簡単な回路の描き方などを職場で自主的に予習できる体制にしています」(青木氏)。

研修テキストは青木氏らが独自に作成したものを使用しています(図5)。研修時間内ではベースとなる必要なことは一通り教えますが、すべてを細かくカバーすることは難しいため、細かいところは職場に持ち帰って復習できるように工夫しているそうです。LTspiceは無償で提供されているため、個人持ちのパソコンにインストールして予習や復習に活用できるのもメリットといえるでしょう。

[*3] 一般向けの技術分野研修として、LTspiceの各解析を行いながら基本アナログ回路を学ぶ「SPICEで学ぶ基本アナログ回路」、DC/DCコンバータの設計から実機評価までをLTspiceを使って行う「SPICEで学ぶDC/DCコンバータ回路」カリキュラムも用意されている。
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図5. 青木氏らが作成したオリジナルテキストの一例

アナログ回路のスキルを高め開発力の向上を図る。将来は実装設計研修にもLTspiceの適用を検討

キヤノンでは、デジタルカメラ、ビデオカメラ、インクジェットプリンターなどの民生製品のほか、業務用複合機、業務用映像機器、医療機器、半導体製造装置などの業務機器および産業機器を幅広く手掛けていますが、アナログ回路の知識はすべての製品開発に役立つと青木氏は考えています。「自社で設計する場合はもちろんとして、基板設計などを外注する場合でも、アナログ回路の原理原則や実装の勘所を理解しているのといないのとでは大きな違いが生まれます」。

実際に、同研修所でアナログ回路を学んだ新入社員が、配属先の開発部門でLTspiceの導入を進めたこともあったそうで、研修の成果は着実に広がりつつあるとの認識を示しています。

今後は、社内技術者から要望の多いプリント基板の実装設計技術や熱解析に関するカリキュラムの新設も検討していきたいとのことですが、そのためには、半導体ベンダーなどが提供するIBISモデルやSパラメータをどうやってLTspice環境に取り込むかが課題になると指摘します。「モデルを変換してくれるユーティリティソフトは市場にもありますが、ブラックボックスではなく中身が分かるユーティリティを、たとえばLTspice Users Clubの有志メンバーで開発することで、LTspiceの活用がより広がるのではないかと思っています」と青木氏は提唱します。

産業界ではアナログ技術者の減少が指摘されると同時に、大学においては電気電子系学科の人気が低下していると言われていますが、同社ではこうした研修を通じて技術者のスキルアップを図るとともに、アナログ回路が持つ面白さや奥深さを伝えながら、ひいては製品開発力の強化へと繋げていきたい考えです。
 

キヤノン株式会社

「EOS」ブランドに代表される映像機器のほか、事務機器、医療機器、半導体製造装置などの開発と製造をグローバルに手掛ける、日本を代表するメーカーのひとつ。
https://canon.jp/

※ 本事例の情報は2018年7月時点のものです。