AN-1474: HMC661LC4B および HMC760LC4B THA のノイズ特性とその解析
はじめに
トラック&ホールド・アンプ(THA)の出力ノイズには、サンプリング・ノイズと出力バッファ・アンプのノイズという 2 つの主要なノイズ成分があります。このアプリケーション・ノートでは、この 2 つのノイズ成分について説明します。
サンプリング・ノイズ成分
第 1 のノイズ成分は、サンプリング処理によって生成されたサンプリング・ノイズです。サンプリング処理によって THA のフロント・エンド・ノイズが周波数領域のすべてのナイキスト・ゾーンに混入されます。フロント・エンドの入力帯域幅全体で生成されるノイズは、時間領域における各サンプルに取り込まれます。そして、このノイズは各ナイキスト・ゾーンにほぼ同じ形で分散されます。このノイズは、フロント・エンドの熱ノイズとサンプルのジッタ・ノイズから成り、出力でナイキスト周波数を大幅に制限するようなコーナー周波数のフィルタを使用しない限り除去できません。通常は、このフィルタ処理を行いません。なぜなら、クロック・レートによって実現されるはずの帯域幅が得られなくなり、その結果、出力波形のセトリング時間が長くなるからです。
出力バッファ・アンプのノイズ成分
第 2 のノイズ成分は THA の出力バッファ・アンプのノイズ成分です。THA はこのノイズはサンプリングしませんが、フィルタ処理によって低減させることができます。出力のフィルタ処理の許容量は、使用するサンプリング・クロック・レートに求められるセトリング時間で決まります。許容可能な限界値の目安として、出力経路の帯域幅(A/D コンバータ(ADC)の入力帯域幅を含む)がクロック・レートの少なくとも 2 倍はないと、下流側の ADC でサンプリングされる THA 波形を正確に(例えば、線形で)セトリングできません。一般に、高速 ADC の入力帯域幅はサンプリング・クロック・レートの約 2 倍が目安とされているため、通常、高速 ADC と使用する場合はフィルタ処理を追加する必要はありません。
サンプリング・アンプのノイズ密度
THA の周波数領域における実効的な等価入力ノイズ・スペクトル密度は、従来の非サンプリング・アンプと異なり、A/D 変換前に行う出力のフィルタ処理の帯域幅で決まります。このため、サンプリング・デバイスでは、多くの場合このようなノイズの仕様は規定されていません。なぜなら、実際の出力ノイズが、入力帯域幅全体から 1 次のナイキスト間隔にエリアシングされる入力バッファのサンプリング・ノイズと、従来のアンプ同様の出力帯域制限によって決まる出力バッファ・アンプのノイズの 2 つのノイズによる複雑な関数になるためです。サンプリング・システムでは、ホールドされた出力サンプルの時間領域における出力ノイズ(HMC661LC4B のデータシートを参照)が重要となります。それは ADC がこの出力ノイズも変換するからです。
周波数領域における入力換算ノイズ密度は、時間領域における出力サンプルのノイズを、入力サンプリング帯域幅の平方根 ×π/2 で割ることによって定義されます。
この定義から得られる結果は、同じシングルポール帯域幅と時間領域の出力ノイズを持つユニティ・ゲインの連続波(CW)アンプ(非サンプリング・アンプ)と同じ入力換算ノイズ密度になります。2 分の π(π/2 = 1.57)は、シングルポール、ローパス・フィルタの伝達関数の実効的なノイズ帯域幅が BW3dB ×π/2 であることから導かれます。出力の帯域制限なしに(例えば、出力バッファ・アンプの全帯域幅である 7 GHz で)HMC661LC4B を使用する場合、時間領域で 1.05 mV rms のサンプル・ノイズと 18 GHz、3 dB の入力帯域幅を使用して得られる約 6.2 nV/(√Hz)が、このノイズ帯域幅における等価入力ノイズ密度です。熱ノイズ・フロアは 0.64 nV/(√Hz)なので、実効的なノイズ指数(NF)は約 19.7 dB です。このノイズ指数が高いのは、THA 内にあるアンプ段のすべてがユニティ・ゲインで動作しており、各段でノイズが加算されるためです。
非サンプリング・アンプのノイズ密度
サンプリング・アンプの実効的なノイズ指数をこのように定義することで、通常の非サンプリング・アンプとの比較を等価入力ノイズの性能によって合理的に行うことができます。この定義では、一般的なミキサーにおけるノイズ指数(NF)の定義であれば使用されるはずのサンプリングによるノイズの折り返しが考慮されていません。ミキサーのノイズ指数の定義と同等にするには、ノイズの折り返し補正係数を追加します。これは、次式に示すように、入力サンプリング・ノイズ帯域幅とナイキスト帯域幅の比によって得られます。
NFCORRECTION = ノイズ指数のサンプリング折り返し補正 =
10log(BWN_INPUT/(fCLK_TH/2))
ここで、BWN_INPUT は入力サンプリング帯域幅における実効的なノイズ帯域幅です。
例えば、HMC661LC4B を 4 GHz のクロック・レートで動作させる場合、2 GHz の 1 ナイキスト・ゾーンへのノイズの折り返し(18 GHz × π/2)による劣化を加えたものがミキサーの定義になります。ノイズ指数の劣化分は約 11.5 dB であり、これを追加することでミキサーの定義による総ノイズ指数の 19.7 dB + 11.5 dB= 31.2 dB が得られます。
出力ノイズ・スペクトルの見積もり
出力ノイズ・スペクトルを見積もるには、フロント・エンド・ノイズのすべては 1 ナイキスト・ゾーンに混入される、または折り返される一方で、出力バッファ・ノイズはおよそ 7 × π/2 GHz の出力バッファ・ノイズ帯域幅全体に分布する、という事実を利用します。シミュレーションによると、HMC661LC4B および HMC760LC4B の両方に搭載されている出力バッファ・アンプ段の実効的なノイズ帯域幅は約 12.6 GHz です。小信号出力バッファの帯域幅が 7 GHz であるにもかかわらず、これは 8 GHz の実効的な −3 dB ノイズ密度の帯域幅(12.6 GHz ÷ 1.57)に相当します。このわずかな不一致は、シグナル・チェーンにおけるさまざまな帯域幅のポイントに分散されたノイズ成分によるものと考えられます。表 1 と表 2 に、HMC661LC4B および HMC760LC4B を 1 GHz のクロック・レートで動作させ、さまざまな出力ノイズ帯域幅のフィルタ処理を施したときの、時間領域と周波数領域における出力ノイズ成分を分類したものを示します。
全出力帯域幅の導出
出力帯域幅全体でのデータは、配線すべての寄生容量を基に詳細なチップのシミュレーションによって導出されますが、その結果は実験データともよく一致します(HMC661LC4B の場合、合計ノイズ電圧の測定値(VNT)= 1.05 mV rms です)。通常、フィルタ処理は外付けで行うため、これより狭い出力帯域幅のデータは出力バッファのノイズ・スペクトル密度が一定であると仮定して計算します。全出力帯域幅でのシミュレーション値を、表 1 と表 2 の VNT_SAMPLE、VNT_OUT、VNF_OUT に示します。これらの基本的なパラメータから、他のすべての値が直接導き出されます。
サンプリングの過程で、下流側の ADC は入力帯域幅(表 1 と表 2 に示すように、フィルタ処理の帯域幅と ADC 入力帯域幅の組み合わせ)のすべての THA ノイズを ADC の ナイキスト・ゾーンに混入させます。したがって、この折り返しノイズの合計が、ADC のノイズ帯域幅全体での THA 出力アンプの時間領域における総ノイズとなります。
参考までに、HMC661LC4B を使用して National Semiconductor の ADC12D1600 ADC を駆動したときのデータは、表 1 および表 2 のシミュレーション値に合致します。具体的には、ADC の高速フーリエ変換(FFT)によるスペクトル密度の測定では、THA のノイズ成分は約 37 nV/(√Hz)です。National Semiconductor のコンバータの入力ノイズ帯域幅は概算で約 2.8(π/2)= 4.4 GHz です。この場合、THA の時間領域における出力ノイズは約 0.98 mV rms となり、これに対応する(ADC によるサンプリング後の)ノイズ・スペクトル密度は 43.9 nV/√Hz になります。この値は、ADC でデジタル化されたノイズ・スペクトルよりもとめられた THA 成分の実測値の 1.5 dB 以内に合致しています。
Output Noise Bandwidth (GHz)1 | Sampled Noise VNT_SAMPLE (mV) | Output Buffer Noise VNT_OUT (mV) | Total Output Noise VNT (mV) | Sample Noise Spectral Density VNF_SAMPLE (nV/√Hz) | Output Buffer Noise Spectral Density VNF_OUT (nV/√Hz) | Total Output Noise Spectral Density at Baseband VNF (nV/√Hz) | Total Folded THA Noise after ADC Sampling VNF_TH_ADC (nV/√Hz) |
Full (~12.6) | 0.922 | 0.6142 | 1.106 | 41.1 | 5.462 | 41.5 | 49.5 |
3 | 0.92 | 0.32 | 0.97 | 41.1 | 5.462 | 41.5 | 43.4 |
1 | 0.92 | 0.172 | 0.94 | 41.1 | 5.462 | 41.5 | 42 |
1 フィルタ処理および ADC の帯域幅。
2 シミュレーション値。その他のすべての値はシミュレーション値からの計算値。
Output Noise Bandwidth (GHz)1 | Sampled Noise VNT_SAMPLE (mV) | Output Buffer Noise VNT_OUT (mV) | Total Output Noise VNT (mV) | Sample Noise Spectral Density VNF_SAMPLE (nV/√Hz) | Output Buffer Noise Spectral Density VNF_OUT (nV/√Hz) | Total Output Noise Spectral Density at Baseband VNF (nV/√Hz) | Total Folded THA Noise after ADC Sampling VNF_TH_ADC (nV/√Hz) |
Full (~12.6) | 0.672 | 0.612 | 0.90 | 30 | 5.462 | 30.5 | 40.5 |
3 | 0.67 | 0.32 | 0.73 | 30 | 5.462 | 30.5 | 32.6 |
1 | 0.67 | 0.172 | 0.69 | 30 | 5.462 | 30.5 | 30.9 |
1 フィルタ処理および ADC の帯域幅。
2 シミュレーション値。その他のすべての値はシミュレーション値からの計算値。
まとめ
時間領域におけるサンプルのノイズを 1 ナイキスト帯域幅(ゾーン)に分布させた成分と、下流側の ADC の実効的なノイズ検出帯域幅(アナログ入力帯域幅)にわたり出力バッファのノイズ・スペクトル密度をフィルタリングしたものを合わせて、THA の出力ノイズ・スペクトル密度を見積もることができます。したがって、以下のような見積もり結果が得られるはずです。
VNF_SAMPLE(f) = VNT_SAMPLE/(fCLK/2)1/2
VNF_OUTPUT(f) = 5.46 nV/√Hz (7 GHz 帯域幅より)
VNF = [(VNF_SAMPLE)2 + (VNF_OUTPUT)2]1/2
VNF_TH_ADC = VNT/(fCLK/2)1/2
ここで、
VNT と VNT_x は時間領域におけるノイズ値、
VNF と VNF_x は周波数領域におけるスペクトル密度です。
この計算は、出力波形のホールド・モード部分のスペクトル成分だけを測定すると仮定しています。ADC が THA 波形を同じクロック・レートでサンプリングする場合、ADC の入力帯域幅全体で生成される(THA 出力に対する追加の出力フィルタ処理を含む)時間領域における合計ノイズが 1 ナイキスト・ゾーンに分布されます。原則として、これらの計算は任意のクロック周波数で使用できます。THA のサンプル・ノイズが支配的であることは明らかで、出力のフィルタ処理による影響とメリットは限定的です。
もっと高い信号周波数では、クロックと信号のジッタが生成するノイズ成分がサンプル・ノイズに追加されます。このような高いクロック周波数では、ジッタ・ノイズが無視できないため、これをトータル・ノイズに含める必要があります。ジッタが生成するノイズは入力周波数とジッタの値から簡単に計算できます。通常、ジッタ・ノイズはデータシートのジッタ仕様によって定量化されています。一般に、サンプリング処理中にジッタが生成するノイズの実効値は次のように近似できます。
VNT_JITTER ~ SR × tj
ここで、
SR はサンプル・ポイントでの信号のスルー・レート、
tj はジッタの実効値(RMS 値)です。
正弦波信号のスルー・レート(SR)のピーク値は、次式を使用して計算します。
VIN × 2π × fSIGNAL
ここで、
VIN はゼロ to ピークの信号レベル、
fSW は信号周波数です。
統計的な平均化を行った後、実効的なスルー・レートを VIN の実効値に基づいて計算します。実効的なスルー・レートは、(SREFFECTIVE)=(VIN/21/2)× 2π × fSIGNAL となります。したがって、ジッタ・ノイズの(時間領域のサンプルの)合計は次式で表されます。
VNT_JITTER = SREFFECTIVE × tj = (VIN/21/2) × 2π × fSIGNAL × tj
このノイズ成分は不可避で、周波数に比例して増加します。このため、ジッタによる S/N 比(SNR)の限界値は次のようになります。
SNRJITTER ~ −20log[1/(2π × fSIGNAL × tj)]
任意の周波数におけるトータル・ノイズを計算するには、熱ノイズ・パワーにジッタ・ノイズ・パワーを加算します。HMC661LC4B THA のジッタはデータシートで 70 fs 未満と仕様規定されています。これは THA 単独でジッタを測定して仕様規定されたものです。THA と ADC を組み合わせて測定された代表値は THA 単独での測定値とほぼ一致し、約 65 fs です。このノイズは、任意のサンプリング周波数でのナイキスト・ゾーンにおいて比較的平坦なスペクトルを示す傾向があります。このノイズを平坦に平均化するには、複数の独立したデータを使用します。サブシステム全体のジッタを平坦化するには、高精度の信号発生器およびクロック発生器を使用して、互いの位相をロックする必要があります。また、信号発生器とクロック発生器の出力にフィルタ処理を行い、非高調波スプリアスを除去しなければなりません。
特に信号発生器とクロック発生器の位相ロックによるジッタが混入すると、最先端の低位相ノイズ・合成信号発生器を使用しても、HMC661LC4B が組み込まれたサンプリング・システムには大きなジッタ・ノイズが発生します。発振器によるジッタ・ノイズの影響は、発振器から THA に入力される出力信号にバンドパス・フィルタ処理を施すことによって実測できます。この場合、バンドパス・フィルタ帯域幅に対応する位相ノイズの側波帯が、 THA 出力信号と ADC の FFT 処理後のすべての出力スペクトルで観察できます。狭帯域幅のフィルタを使用して発生器の広帯域ノイズを除去することで、最適な性能が得られます。また、適切なクロック・スルー・レートを維持することも必要です。回路への差動クロック入力のそれぞれの信号が 2 V/ns ~ 4 V/ns になるようにすると、HMC661LC4B のデータシートに記載されたとおりのジッタが得られます。THA を ADC の前段に使用する場合、THA はジッタを発生させますが、ADC は THA からの安定したホールド波形をサンプリングするため、ADC のジッタは基本的に無視できます。複数のジッタ・ノイズを用いて平均化するか、スペクトル分散処理技術を用いることにより、ジッタ・ノイズで S/N 比を改善させることも可能です。また、THA のジッタ・ノイズ成分は広帯域になる傾向があるため、1 ナイキスト・ゾーンに折り返して分布します。したがって、ジッタのスペクトル・ノイズ密度は次のように表せます。
VNF_JITTER ~ VNT_JITTER/(fCLK/2)1/2
サンプルの熱ノイズ、サンプルのジッタ・ノイズ、出力バッファ・ノイズの 3 種類のノイズ成分は互いに無相関で、これらのパワーは線形に加算されます。